2013.01.16 Wed
当事者としての視点から「摂食障害」「母と娘」「セクシュアル・ハラスメントや性暴力被害」をテーマに
ドキュメンタリ—映画を撮り続けている 根来 祐さんにインタビューしました。
作品に登場する女性たちとの交流から紡がれた言葉は、根来さんご自身の体験と共振し、私たちが生きる社会を映し出します。
当事者でなければ見えないこと、感じられないことに自分を重ねあわせ、女性のエンパワメントのために私たちに何ができるか、考えるきっかけにできればと思いレポートします。
(聞き手&編集 A-WAN すずき)
—最新作「らせん」では、セクシュアル・ハラスメントや性暴力の被害者への二次加害に焦点が当てられていますが、
この作品を撮るきっかけは?
また、「支援される側と支援する側に分かれること自体がおかしい」という、いちむらみさこさん(布ナプキンの製造販売を行なう「ノラ」主宰)の言葉からも強い影響を受けた。
登場人物から語られることを自分自身の被害体験と重ねあわせ、「回復とは何か」「尊厳と自尊心を取り戻すとは何か」と問いかけることで、作品が育っていった。
—根来さんご自身がさまざまな人や団体から「支援される」経験を通して、気づいたことは?
当時、職場の労働環境に問題があり、男性中心の労働組合に相談していた。
そこでの「支援する側と支援される側」の関係に、今でも違和感が拭えない。それは、支援する側の経済的に恵まれ高学歴で時間的にも余裕がある男性が、支援される側の女性に対して圧倒的な力を持つ、という構図だった。
支援される女性が〝自分は尊重されていない〟などと言ったら、支援する側に楯突くことになる。それでは争議や交渉に出席してもらえず、自分の労働問題は解決できなくなってしまうのではないかという不安から、力関係が生じていた。
イエス・ノーが言えなかったし、前に進むためには自分さえ我慢すればと黙ってしまうこともあった。
解決後、「思うように交渉してくれなかった」「気持ちを踏みにじられた」と黙って組合を去る人もいると聞く。
支援をしている人たちは支援自体が自己目的化していて、当事者が自分たちの主体性を発揮していくことなど全く望んでいないとも感じた。
支援される側と支援する側に、依存し依存させる関係が作られていた。
—支援される側が「依存」するのではなく、支援する側とされる側が対等な関係を築くことは可能だと思いますか?
アジアの女性労働運動でそれを実現している事例がある。香港でメイベル・オウさん(區 美寳 Au Mei Po Mabel )という活動家と知り合った。彼女はアジア各国からの労働者やセックスワーカーを組織化し、現在は香港のアムネスティで働いている。出身国が違うワーカ同士仲が悪く、組織化するために5年もかけて話し合ったと聞く。
時間はかかったが、基礎ができれば強固であり運動として強い力になっている。当事者の主体性が発揮されればボトムアップ型の運動が達成できるのだと励まされた。
同じ職場の人たちがお互いに相談でき、自尊心を高めながらその職場を組織化し、独立して組合活動ができるというのが最も理想的だが、アジアで見たボトムアップ型の労働運動は日本ではなかなか根づかない。
それは、支援援する側とされる側に力関係があるために、支援される側の主体性が育たないからだと思う。
—根来さんが体験された「自助グループ」では、支援する側とされる側の関係はどういうものでしたか?
摂食障害を自覚した20代半ばにかかわった自助グループには、「支援する、支援される」という関係はなかった。
5年ほど通い、セルフヘルプとはこういうものだと体感できた。
自助グループにはフラットな関係をつくるための細かい決まりがある。
例えばアノニマス・ネーム (anonymous name「匿名」)を用い、話す内容にも固有名詞を使わない、集まりの参加者を否定する言葉を使わない、参加者の話にレスポンスしない、など。
この「言いっ放し聞きっ放し」は、上下関係や利害関係が発生するということを回避する知恵として、アメリカのアルコール依存症のグループ(AA)から始まり、日本で摂食障害のグループに継承された。
そこでの体験があったから、フラットでない関係に不健全さを感じることができたのだと思う。
摂食障害の渦中にいる自分自身を記録した「ゆらゆら」(Ⓒ根来祐 1997/ビデオ/7分)という作品を作ったとき、古い友人から「根来さんの作品を見て、初めて、自分は依存症だということに気づいた」と言われた。
私はそんな大それたことをしたつもりはなかったし、支援者という立ち場でもないけれども、誰かの人生に大きい影響を与えちゃったんだと、びっくりした。自分が作った作品が、第三者が自分をふり返り、変わっていくためのきっかけになったと聞いて、うれしかった。
—作品から、根来さんと被写体の人たちが緊密な信頼関係で結ばれていると感じるのですが、カメラを構えるときどんなことに配慮していますか?
カメラを持っている時点で撮影権、編集権という権力を持つのだということを、いつも自覚している。
支援する側と支援される側との関係と同じように、上下関係や、支配・非支配の関係ができて、お互いが顔色をうかがうようになってしまっては、信頼関係は築けない。「自分は彼女たちと平等です」とは言わないけれど、こちらに権力があるということを振り回しもしない。その辺のバランスがいつも問われる。
—どの作品もとても個人的なことが題材ですが、どこまで自己開示するのかはどう判断するのですか?
カメラを回しているうちにしゃべっちゃったという場合「使って大丈夫?」と聞くと「ぜんぜん構わないですよ」といわれることが多く、こちらが思っているほどタブーはない。
ただ本人の回復の度合いによって外に出せる情報と出せない情報の境目はある。精神科医とカウンセラーがついて常に被写体の方をサポートしてくれている場合と孤立している場合では違うし、裁判中の場合、状況や支援者との関係でも違ってくるので、私が出さない方が良いと提案するときもある。最終的に本人が判断し、そのデメリットは一緒に被る覚悟で撮っている。
グチグチ悩んで結論が出ない場合は、作家同士のネットワークや、労働運動、 メンタルヘルス、著作権や権利の問題の専門家のネットワークに相談している。
信頼できる友人たちが周りを固めてくれているので、彼らに相談すれば自分の中で腹は決まる。
—そのネットワークはどうやって築いてきたのですか?
実際に自分で出かけて足で稼いで得たもの。摂食障害やアディクションに関するネットワークだったり、精神保健メンタルヘルスの問題だったり、性暴力被害の自助グループに通ったり、そこで知り合ったNGOや行政の職員さんだったり。
—「そして彼女は片目を塞ぐ」と「her stories」では「母親」の描かれ方に変化が感じられますが、根来さんとお母さんとの関係に変化があったということですか?
「そして彼女は片目を塞ぐ」では、母親を「私の依存症の諸悪の根源」のように描いている。
一旦自分のせいであることを全部降ろして責任を母親に押しつけ、「母性丸出しの母親」を悪者に仕立て上げたことが正しかったのか?という疑問符がずっとあった。
30代になってみると、女性としての成熟期にシャドーワークを担わされてきた母のわだかまりや恨みが想像できるようになった。「性差別社会で被害に遭っているという点では母も私も同じではないか」と気づいたとき、母との関係が収束の方向に向かった。
私は母の生き方を選ばなかったが、母を尊敬しているし、ありがたいと思う。
性差別社会に対して毒を吐きつつも、「子どもを産み、夫に養われつつ、パートもしつつ、子どもを育てている全ての女性の味方でありたい、より添いたい」と思う。そういう気持ちの変化もあって、「Her stories」では母親に対する描写が変わっていったのかもしれない。
今はまだ、婚姻制度や自分が産む性だということに決着できず、答えを探しているところだが、次回作でそれを形にできるかもしれない。
—お母さんとの関係が収束に向かってからは、体調は?
20歳で摂食障害が出たとき、母から「精神的病だと言われても、私のせいじゃないわよ。あんたが東京に出て行って勝手になったのよ」と言われた。
実は、実家にいたときから発症していて、私は「社会で受け入れられなかった」という母親のフラストレーションが私の依存症に関係していると思っていたが、そんなぼんやりした話をしても、ずっと地方都市に住み続け、オルタナティブに触れたことがない母親に理解されるわけもなく、齟齬が続いていた。
私が30歳ぐらいのとき、私がキリキリ舞いするのとは別に、母は母で「私も悪かったのかなぁ」と言い出したことがあった。
私もあまり意固地にならず、「私は私、母は母」と、母を「その辺の横断歩道を歩いているおばさん」と思うようにしたら、摂食障害がピタッと止まった。
そこから私は自由になったし、母の呪いからも解かれた。私は母を責めなくなり、母も軟化していった。母は子育てを終えて思いっきり絵が描けるという状況になり、母の抱えていた問題がおおむね解決したということもあるのかもしれない。
—その間、お父さんはどういう存在でしたか。
お父さんは全くいないのと同じ、不在だった。日本の社会では、家庭の中で父親の存在は稀薄だと思う。
—父親の存在が強烈で人生に影響がある方がしんどいのでは?
支配的な父親というのはよく聞くけれども、私の父は「年功序列で定年退職まで働き、2人から3人の子どもは大学まで出し…」という、戦後の経済成長政策の中、「こういうテンプレートにはまると幸せですよ」と言われた家族モデルそのものを、そのとおりやってきたような従順な人。
しかし、大黒柱として黙って我慢して働くという役割に、傷ついたこともあったと思う。寝言にまで「職場での安全確認」が出てきて、退職後は現役時代のことは思い出したくもないと言っていた。
妻がいて、介護が必要な母親がいて、子どもが3人いる中、途中でギブアップできない、そこから逃げるという選択肢がない、という苦しみは計り知れないものがある。
それが私に影響していないわけがないと思っている。
父が傷ついているということはちゃんと気づいているし、男性が抱えている男らしさのジェンダーの呪いについては将来作品にしたいと思う。
—そのような「男性社会」に、根来さんはどう対峙しますか?
既存の映画界やアートシーンで評価したり賞を与えたり、という役割は男性に与えられ、審査員、評論家、出資者も圧倒的に男性が多い。就職の面接でも、女性は男性からジャッジされる側にいる。
作品を作ったら男性にも見てほしいし、男社会に認めてもらいたいと思う反面、「男性に承認されたい、選別されたい、評価されたい」と望んでいる自分って〝かっこ悪すぎる〟と常々思う。
そういう葛藤は、パロディにして笑い飛ばさなければやってられない。その
「かっこ悪さ」「惨めさ」を昇華するために、男性社会をちゃかし、今ある状況をパロディ化していくことが必要だと思う。
私は「やおい」や「BL」の文化から、そういったカウンター的な感覚を得たと思っている。次回作ではそういう手法で作品を撮りたいと思う。
それから、ジェンダーの問題は、「男性も楽になるためのもの」だとも伝えて行きたい。
—最後に、根来さんの作品づくりの原動力となるものは?
怒り、憤り。仕事でも家庭でも、女性は常に男性からジャッジされ、評価され、使われる側にいるということへの怒りや憤りが原動力になっている。毎日やってくるその「怒り」にムカついてストレスを溜め込むのではなく、その「怒り」を、映像作品をつくり出したり、ソーシャルメディアに訴えたりしていく「力」に変えていきたい。
「怒り」を作品として昇華し、作品として高めていくことをミッションとして、これからも撮り続けていきたい。
* * * * *
* 根来祐さんの最新作「らせん」上映のお知らせ *
日時:2013 年3 月10 日(日)11:30 開場
場所:北沢タウンホール(北沢区民会館)集会室1、2(東京都世田谷区北沢2-8-18)
【交通アクセス】小田急線・井の頭線下北沢駅南口徒歩4分
*上映後、根来祐さんといちむらみさこさん(「ノラ」主宰)のトークがあります。
*事前にお申し込みください。
*詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
* 「her stories」上映のお知らせ *
日時:2013 年2月2 日(土)12:30 開場
場所:国際基督教大学 ダイアログハウス2F 国際会議室(東京都三鷹市大沢3-10-2)
【交通アクセス】JR中央線武蔵境駅南口より、小田急バス「国際基督教大学(境93)」行き終点下車
*13:00から「震災とセクシュアリティ(仮)」(Ⓒ島田暁 2013 /ビデオ/ 60分)を上映します。
*詳しくはこちらのサイトをご覧ください。
プロフィール
根来祐(ねごろゆう)
岡山県倉敷市生まれ。20歳から10年近く摂食障害を経験。数年自助グループに参加。
映画、テレビドキュメンタリーの仕事を経てフリーに。97年に依存症をテーマに短編を3本制作。01年に摂食障害を扱った長編ドキュメンタリーを制作。祖母、母、自分の三世代の労働とライフスタイルを並べた「her stories」などの作品がある。
消費と依存、モラトリアムと成熟拒否、身体、サブカルチャーにおける女子文化、労働行政と移民政策など様々なテーマで作品制作を続けている。
主な作品
「そして彼女は片目を塞ぐ −Then, She Closes Another Eye—」
(Ⓒ根来祐 2001/ビデオ/57分)
摂食障害という依存症、神経症の世界を、当事者の目で追いかけたもの。
監督本人が摂食障害を抱えているがその視点から自分を取り巻く環境を読み取っていく。
3年越しの彼女たちとの交流で見えてきたものは、かつて少女だった彼女たちの目からみた日本の現状だったと思う。
誰が本当の当事者なのか、あなたの目で確かめてみてほしい。
*山形国際ドキュメンタリ—映画祭2001上映作品
「her stories」(Ⓒ根来祐 2010/ビデオ/50分)
私、36歳。20代の頃は「仕事が自分のすべて」と思い込み、摂食障害にもなった。
現在はフリーの映像作家として、東京で暮らしている。
母、63歳。結婚、出産を期に幼稚園の仕事をやめ、専業主婦をしてきた。
反対を押し切って上京した娘の人生を思うと、今も不安。
祖母、89歳。実の父が自分と母を捨てた後、日本有数の紡績会社で女工として働いた。
茶道の先生を40年以上続けている。
あなたの生き方を、私は選ばない。
あなたがいるから、私はここにいる。
私・母・祖母…異なっていて、つながっている3世代の女たちの私的ドキュメンタリー
「らせん」(Ⓒ根来祐 2012/ビデオ/90分)
この作品には、新卒採用予定だった企業の社長から性暴力を受けて裁判を起こした人や、公共の場、路上を生活の場にしている女性、ブラック企業でくりかえしセクハラとパワハラを受け働くのが怖くなった女性・・・などさまざまな立場の人々が登場する。
監督本人が受けた性被害体験をふり返りつつ、男性優位社会の中での被害者への二次加害に焦点をあて、回復とは何か、尊厳と自尊心を取り戻すとは何かについて問いかける。
複数の女性たちの体験とそこから生まれた言葉が、お互いに影響を与えつつ折り重なっていく様を記録している。
*第1回マイノリティ・ドキュメンタリー映画祭2012にて初上映。
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(聞き手&編集 A-WAN すずきまり)
カテゴリー:アーティストピックアップ