2013.06.16 Sun
女のアートの近代を振り返って、前をみすえる
栃木県立美術館で2013年3月まで開催されていた「アジアをつなぐー境界を生きる女たち 1984-2012」は、アジアの女性アーティストを大規模に展示する、日本では初めての意欲的な企画展覧会だった。私は自らの個展を終えた次の日、怖いものみたさのような心持ちでで栃木まで足をのばしてみることにした。女のアーティストばかり集めた企画は女のアーティストにとって、プラスなのかマイナスなのか。女性のアートを紹介する機会ができるというのはプラスだが、「女(=フェミニズム)」というゲトーにアーティスト達をおしやってしまう可能性があるのでは?そんなことを考えながら美術館の門をくぐった。
この展示は、1984-2012という区切りなので、1980年頃に作品を作り始めたユン・ソクナムの作品と、1980年頃に生まれたシルパ・グプタを中心に紹介しながら書かせていただく。
ユン・ソクナムは展覧会のエントランス付近、第一章のスペースの中で、「ピンクルーム」というインスタレーション作品を展示していた。壁をピンクの切り絵で一面覆い、床はピンクの尖ったビーズで敷き詰め、ピンクの布で張った椅子からは鋭利な刺が突き出している。ビーズはいびつで、踏んだらこけそうだし、椅子の突起は布で作られているのに妙に鋭利にみえる。椅子の足はとんがっていて、居心地が大層悪そうだ。壁に張ってある薄い紙の切り絵は泣いている女の人や、手をつないだ女性が連なっているなどのモチーフだ。 この居心地の悪い部屋で座る場所がなく立ち尽くす女の姿を想像でき、痛々しい。

ユン・ソクナム《Pink Room》1955-2012年、撮影:泉山朗土
この作品を作ったユン・ソクナムは、1939年生まれの韓国人女性アーティストだ。ユンの言葉を引用すると、彼女は「美術とフェミニズムの融合の模索」を続けているアーティストだといえる。ユン・ソクナムは父を16歳のときになくし、シングルマザーになった母親は6人の子供を育て上げなければならなかった。長女だったユンは家族を支えるために大学を中退する。そんなユンが筆を持ったのは、結婚出産を終えた40歳の主婦としてが初めだった。82年、43歳の時の初個展を開催。「母(オモニ)と題し、30点あまりの母の姿を描いた平面作品を発表した。それ以降も、ペイント、インスタレーション、木の彫刻など素材を変えながらも、一貫して家父長制に抑圧された自分の母や祖母の人生を題材に作品を作ってきた。

ユン・ソクナム《19歳の母》1993年

ユン・ソクナム《母》1982年
ピンクルームはユンが初めて、自分を含む中産階級の女の苦悩について言及した作品だ。ユンが作家活動を始めて、10年以上たってからやっと母親から自分にフォーカスをあてるようなったのだ。
なぜユン・ソクナムは作家活動を始めてから10年もたってから、ようやく自分の話をはじめたのか。

「Feminine Mystique」 (邦題:新しい女性の創造)
私が想像するに、中産階級の主婦だったユンは自らの「日常生活の中で少し気が狂いそう」な苦しみは、自分の前のジェネレーションの女性達の苦しみと比べたら、取り立てて話すほどでもない、と思っていたのではないか。しかし蓄積された鬱積は、彼女に筆を持たせた。そして10年後、苦しみの渦中から踏み出せたときに、やっと作品にすることができたのではないか。
この経緯は、かつてベティ・フリーダンが「専業主婦の名のない不安」を世に照らし出し、第2フェミニズムの鍵となった「Feminine Mystique」(邦題:新しい女性の創造)を書いた経緯と似ている。ベティフリーダンは婚期を逃すことを恐れ、博士号を断念し1943年に結婚、3人の子供を持つ。1957年大学の同窓会で大卒者の主婦が「名のない不安」を抱え、不幸せだと感じていることを知りペンを持った。ユンもフリーダンも学業をあきらめ、中産階級の主婦という、社会的にみたら安定した地位にいるにもかかわらず、いわれない不安にかられ、制作、執筆をしはじめたのだ。
ユン・ソクナムの作品を後にし、展覧会を進んでみよう。この展覧会の構成は年代では区切っていないのだが、最後の章、「5.女性の生活ーひとりからの出発」は比較的若手のアーティストが多い。この70年代以降出生のアーティスト達は、「自らのアートが「女性」という枠組みにくくられるのを嫌う人も多い。」と学芸員による説明書きにあり、思わず大きくうなずいた。私はアーティストとして活動しているが、やはり「女性」という枠に入れるのは抵抗がある。社会が男性=人間、という価値観を持っているからこそ、自らの「女性」という面が強調されることにフラストレーションを覚えるのだ。しかし、一方で女性であることを、意識して活動していないといったら嘘になる。
シルパ・グプタは1976年生まれのインド人アーティストで、今回の展示ではコンピューター上に7人の迷彩柄の服をきた女性が様々なポーズをとる映像が流れ、観客はマウスで操作できるような錯覚に陥る、という作品を発表している。

シルパ・グプタ《無題》2004年 福岡アジア美術館蔵 写真提供:福岡アジア美術館
メディアによる他者からの誘導、つながりという名の裏の操作について言及している作品だ。彼女は、インタビューで「母の世代ならフェミニストになったかも知れないが、カテゴライズされるのはもうたくさん」と述べている。人=男というコンテクストが長らく存在していたが故、どんな作品を発表しても、「女のアート」としてとらえられ、まさにこの「境界を生きる女たち」という企画展示にも「女」という枠がついていることに抵抗を感じるのだろう。
「アジアをつなぐー境界を生きる女たち1984-2012」は作家一人一人の息づかいが聴こえるような展示だった。
私は、各作品の論点と自分との距離をまさぐりながら進んでいった。ユン・ソクナムの題材、「主婦のやりどころのない苦悩」と私の距離は、普段自分が主婦と呼ばれて生活していることから、とても近く感じた。一方で、シルパ・グプタの迷彩柄の服を着た女性との距離はいささか遠かった。しかしグプタがインタビューで話す「女」という枠組みにたいするフラストレーションは私の肌に近いトピックだった。こうした「女性」というくくりの展示が開催されることに意義があるうちは、人=男という前提が世の中にあるのだから。

ゲリラガールズ 「女性がメトロポリタン美術館にはいるには、裸にならなきゃいけないの?」2004年、ポスター
アート界は、他の業界と同じように男性主権の長い歴史を持つ。ゲリラガールズが、「女性がメトロポリタン美術館にはいるには、裸にならなきゃいけないの?」という作品で端的に指摘しているように。
この数が、50%にならない限り、こうして「女」という枠で展覧会をしていくことが必要なのだろう。
http://www.guerrillagirls.com/posters/getnakedupdate.shtml
「女」や「フェミニズム」という枠が、来る20、30年の間どのような意味を持つように変化していくか、今を生きる私たちの発言や表現によって形作られていく、そんなことを考えさせられた展示だった。
クラークソン瑠璃(アーティスト)
*参考文献:「ユン・ソクナム講演録」(『20世紀美術家と視覚表象の調査研究 』2011/発行 北原 恵)
*ユン・ソクナム《母》、《19歳の母》は「ユン・ソクナム講演録」より引用。「アジアをつなぐ—境界を生きる女たち1984-2012」の展示作品ではありません。
アジアをつなぐ―境界を生きる女たち1984-2012は、アジア16か国・地域、48人の女性アーティストによる日本初の大規模展覧会です。
現在、三重県立美術館で開催しています。
アジアをつなぐ―境界を生きる女たち 1984-2012
会期:2013年4月13日(土)〜 6月23日(日)
会場:三重県立美術館
詳細はこちらをご覧ください。
*ご感想やメッセージをぜひawan@wan.or.jpまでお寄せください。
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