2013.12.11 Wed
社会とアートはどのように関わっていく方法べきだろう ー 私をはじめ多くのアーティストは、常日頃考えながら活動しているトピックだ。社会活動家であり、アーティストである辻井美穂さんからどんな見解が聞けるのか興味があった。
2013年8月、辻井美穂さんが中心となって活動するStand Up Sisters による「お針子プロジェクト」ワークショップ・展示が開催された。オープニングレセプションは、女性が集まり、おしゃべりをしながら縫い物や用意された画材で思うままに描くという、居間にいるような雰囲気のものだった。Stand Up Sisters の紹介文で読んだ「女性の尊厳に光を当てる」「千人針」などのキーワードから想像される「荘厳」なイメージは、来場した瞬間心地よく裏切られた。数日後彼女はインタビューに応じてくれた。
(1) 社会活動とアート表現の関係
— 社会活動(アクティビズム)に取り組むきっかけは?特に私たち、70〜80年代産まれの世代にしてみれば遠い昔の戦争中の問題「慰安婦」にとりくむようになった理由は?
辻井◎高校時代から社会活動はしたいと思っていた。海外駐在コミュニティで育つとものすごい保守的な価値観で日本人コミュニティの中にあって、それに対して反発していた、批判的にとらえていた。エリート志向とか、女性の扱いとか、表面性とかに対してハテナで、ハテナだけじゃなくて、これは行動してかえなきゃと思っていたので、家でも学校でも1人で行動していた。でも、もっと自分と同じ考えを持った人と一緒に行動したいという意志ははっきりと思っていました。
大学の夏休み横浜の「AIDS文化フォーラム」という、大きな会議にフラッと館内にいってみたら、そのワークショップのひとつが人身売買だった。当時96年には、そんな情報は新聞で見ることもなかったし、財布を落としても戻ってくる街で、パスポートをとりあげられて性的虐待を受けて監禁されている人がいるっていうことにすごく驚いた。それで、もっと知りたいなと思って自分で調べだしたら、全然資料がなくて、NGOとかで極めている人に電話したりするしか知る方法がなかった。そして松井やよりさん(元朝日新聞で退職して社会運動をしていた)という人身売買やアジアの女性達の人権の問題について活動していた人に手紙を書いてみたら、会ってもらえることになった。その松井さんが女性国際戦犯法廷の共同代表をやっていて、そこで事務局に入りませんかといわれて、「ハイ、もちろん!」と言ったのが始まり。
そのときの事務局長の高嶋たつ江さんが、フィリピンの慰安婦サバイバーの直接支援をしていた。それで「原告の人が明日フィリピンから沢山くるから判決の翻訳とか通訳を手伝って」と言われて、「もちろんいいですよ」って言ったら、おばあさんたちが沢山きていた。それが東京地裁判決で92年で提訴して以来、初めての判決の日でサバイバーの人はすごく期待してきていた。今まで何年もかけてやっているので、勝てるかもしれないと思っていたら、完全に棄却だった。「こんなんだったら裁判するんじゃなかった。」「恥ずかしくて村に帰れない」という人がいて。その人がトマサ・サリノグさん(愛称ロラ・マシン)さんだった。だからどんどんどんどん、活動から抜けられなくなっていった、という感じです。それでトマサ・サリノグさんの直接支援をしはじめました。家を建てたり日本との行き来のサポート、地元の人からの偏見を解くために、地元のリーダー達に彼女は国際的に人権活動家で、日本の仕組みの被害者であるということをつたえたりしました。
—他にはどういう活動をしていたんですか?
辻井◎ネオコン時代、つまり小泉政権の時代ーアフガン戦争とかイラク戦争をしていた2001年末、Women in Black Tokyoというのを仲間達と一緒に作ったんです。日本中で軍事主義みたいな右翼思考が強くて、街頭でも存特会など今よりもっとひどいくらいの状況だったので、どうすればいいのかわからなかった。それで、世界でいろんなところでやっている活動で、女性が真っ黒をまとって、ただ沈黙で立つという「Women in Black(ウーマン・イン・ブラック)」をやろうと思った。仲間達と一緒に始めて、2001年冬から−2004年の間、街頭パフォーマンスとしてやっていた。プラカードを持ったり、「人にどうやったら響くだろう」と色々工夫しながら。
—たしかにそういうことになってくると、「表現」ということにつながってきますね。
辻井◎そうそう。すごい毎回練ってどうゆう風にどう立てばいいか、どうやって街頭の人と接するか、それか距離を持つかも含めて。
—街頭でパフォーマンスやデモンストレーション的なことをやると周りの人はどんなリアクションですか?
辻井◎私たちの場合は シュプレヒコールをあげない。チラシとか声明文とかも面白いサイズにして配っていたし、わりと受け取ってくれる人もいて。でもだいだい「ちょっと怖い」って感じで通っていく。なるべく、それでもなにか記憶に鮮明にのこるように心がけていた。デモ行進の時とかは一方的に歩いているんだけど、それとはちがう — 視線と、感覚と感性と考えていること、そういう関係性を持つようことがあった。毎回新しく試みるみたいな感じだった。道に出るしかないという感じもあった。
初めやったのは銀座で、でも立っているだけでは怖いだけかなと思った。けれど少なくとも無視されたくないと思ったので、次は奇抜なカッコで白塗りしてみたりした。新宿南口では2週間に1回くらいやってました。当時、有事法制、有事とみなされれば軍事力を発揮してもいい、というのを通そうとしていてそれに対しての反対活動だった。
イラク攻撃の前夜は日比谷公園でダイ・インをして、そのときはメディアもきた。8月15日のパフォーマンスでは国のために、自分の身体は捧げないという女性のメッセージを掲げた。戦争当時お国のために死ぬのは名誉というパフォーマンスが行われていて、骨壺が帰ってきたら骨壺を歩き回ってまるで名誉というように地元を歩き回ったということをしていたことから。
—私は街頭でそういうのやってたら、いつも逃げるんですよ。「なんか怖い」って思うです。なんで怖いって思うんでしょうね。
辻井◎確かに何で怖いと思うかは興味深いですよね。スタイルに寄るとおもうんですよ。私も確かにシュプレヒコールとか出しているのは、「怖い」と思う気持があって。マッチョって思うんですよ。「わーっ」て、一方的にがなり立てているのは、うるさいし怖いし、そんなに一方的に言わないでって思ってしまう。でもなんかもっと違う・・例えば、去年から金曜日にやっている首相官邸前でやっている10万以上集まったりすることもある「再稼働反対」は、声にリズム感があって、みんなキラキラしていて、その一体になっているのは、すごい心地いい。「サイカドウはんたーい!!!!(怒)」っていう感じじゃなくて、「再稼働はんたい、再稼働はんたい」ってみんな真剣に言っていて、それはすごいよかった。
(2) ギャラリーや美術館にこだわらないわけ
—私が今まで見てきたアートの多くが、ギャラリーや美術館という決められた場所だった。「じゃあ、銀座で黒い服をきて立ちます」ということになかなか脳みそがまわらないのですが。
辻井◎私は発表する時に発表空間のことを考えいて、伝統的な空間ではやらなくていいかなと思っています。なぜかというと、たぶん自分の表現の目的はただ人の心と響いて連動したい、一緒に生きていきたいというのが一番にあるから。アート界という業界のきめられたギャラリーという決められた空間の中で、「何かを見に来る」って思ってきていて、しかも特定の人しかこない、アクセスがない・・・誰でも入れるけど、でも実際はそのへんの労働者の人はこない、文化が違うので。たまにはそういうことをやってもいいけど、いつもじゃない。道の上でやるというのは極端な例で、軍事主義の右翼的な環境ががあったから身体をはっていたのだと思う。でも今、ストリートアートとか逆にもてはやされているけれど、その業界の中に埋め込まれるというというのは狙いたくない。冷静に人と関わっていく、という社会空間でやればいいかなと思っています。
Stand Up Sisters と同時に連連影展FAV(Feminist Active Video Documentary Festa)と共同で活動していて、FAVのオーディエンスって結構いて、Stand Up Sisters と合体してみたんです。「これはアートです。これはドキュメンタリーです」というわけじゃないけれど。初めて自分がモノローグのステージに立った時、見えない手が「わー」と、自分に向かってくる感じがあった。そのあと、「性的虐待をうけたことがある」と人生で初めて話せた人がいて、その人が次の年出演者でてくれたり、色んな形で一緒に本当に「一緒に生きていく」という感覚があった。尊厳を人生に響くものとして共有する、という感覚がありました。それはまたひとつ違う社会空間なんだけど、もっと違う層と違う関わり方があると思う、それを常に模索していたいと思っています。
—アート業界にいたことはあるんですか?
辻井◎アート業界は早いうちから、「これは違うな」と思っていた。まあ色々アートの学校には行っています。先に美学校に3年いって、2012−2013年にニューヨーク大学芸術学部でアートポリティクスを専攻しました。美学校に入った時に、とても男臭かった。すごくマッチョだった。それで気がついたのが、ただ女性として表現している人はたくさんいるけれど、社会的意識をもって、女性の尊厳とか暴力、格差とか抑圧とかを自己表現として説明しながらやっている人って全然いない。それをやろうとしたら認められなかったりした。そういう話を始めると、「いや、違いますからっ!」と女性アーティストが拒否反応をおこしたり怒ったりするのも見てきたりした。日本にかぎらないけれど、ミソジニーがすごいあると思う。
あと、商業アートかミュージアム、ギャラリー、囲まれた空間のアート業界の空間以外の場所での広がりが少ない。だから最初からアート業界で成功することは、自分の目的とマッチするポイントがない、ここでやったら遠回り、と無視して。たまたまラッキーなことに同じ美学校に共通の意識を持った人を見つけることができた。最初はお互いの家にいくのをコーディネートしてご飯作ったり、音楽を共有したり、そしたら、人生の話になって、やはり、それぞれ女性特有の困難さを抱えて生きていることが出てきて、「モノローグやらない?」といったら、「やりたい」というふうにいってくれた。集団になったら、社会だから活動しやすい。
(3) アートポリティクスとその可能性
—アートポリティクスという学部について教えてください。
辻井◎アートポリティクスは、アート業界を批判にとらえていて、アートの業界を変えていくことを意識して、そういう人を送り出したいという目的を持った学部。アートポリティクスでは思想のクラスが必修で社会全体の中のアートとか文化の位置づけ西洋図から始まり、今の状況を考えさせてくれる授業があります。例えば今アートというものがエンタータイメント業界と商業的目的に吸収されている。それは社会的にはプランされているくらいの構造になっている。ようするにアートは、人をかえたり大勢を動員したりする力が備わっていて、例えばセントラルパークでコンサートがあると公園がうまっちゃったり。例えばモノローグでも出演したり接したりすることで、人生がすごい変わっちゃったり、癒されたり、エンパワーされたり人と新しい関係ができたりする。すっごい力をもっている。でもそれがフルになっちゃたら政権とかおびやかされてしまう。それに使われると。だからアートの力を押さえ込んで、商業目的のところにおしこんだり、資本主義に相反することだから・・・そういう視点を学んだことが大きかった。
—アートと社会がどういう形になっていきたいか、という理想は?どうなっていけばいいと思いますか?
辻井◎それは模索中です。例えば他のコミュニティと連携して勝手な社会空間を作るとかはありだなと思ったり。例えば女性の問題に興味がある人だったり、プエルトリコに似たような活動をしている人がいるから、連携して、日本に空気を通すような活動をしていく。業界をこえた活動がひとつかな。それを模索中かな。アート業界でやんなきゃというのはないのですごい自由。
今回はニューヨーク大学から助成金をとってきて、Stand Up Sisters の展示はしたのだけど。ファンディングは問題。全体のアートファンドの助成金の割合ってすごい少なくて、ほとんどは個人ドーナーなので、内容によっては「じゃそれに対しては出しません」というパトロンみたいな態度もやっぱり出てくるし・・。
今ちょっと考えているのは、国連が取り組んでいるような課題に取り組むこと。例えば紛争解決とかトラウマへの対応とか、平和の構築とか、貧困、経済格差の問題とか、それが政策レベルの話になってくるんだけど、現状では社会的に対応する時、全然クリエイティブ・アーツは出てきていない。人道的支援をするとか軍事をおくるとか、そういうことのみされている。自分がモノローグやった時に、これだけ人がいやされて変わって、共感して新しく人間関係が構築される、気づいた時、「ああ、じゃあクリエイティブ・アートも絶対使った方がいい」と、思った。国連など国際的な人権活動の枠組みにおいて芸術を主体とする動きはないだろうかと思いながらNYへ行ったけれど、今のところほとんどなく、誰に聞いてもただグッドラックという答えが返ってきている。
アートとか文化とか芸術とかってそもとも生活に響く要素を持っているから使いやすい気もするし、それがあまりりもパワフルってことに人が気づいて弾圧をうけたりもするけれど。
—なるほど。最近そういうふうに考えたことがなかったです。最近無力感を感じたのは、友人の看護師が国連のパレスチナの難民キャンプで産婦人科でインターンをしていたら、検診に来た女性達が、夫からDVについて話す人がいたので、それをレポートにまとめたんですね。そのことを聞いたら私には何ができるんだろう?文化は何ができるんだろう?と考えて。
◎辻井 わかります。私も直接支援、社会活動をしていて、もっと表現とか文化的手段を使うようになったけど、社会活動をしている人の言語が共有できなかったりもする。でも例えば、女性達がバラバラで会えないという状況があったとして、例えば月一回刺繍の会を開いて、手を動かしておしゃべりをすることで相談したり共感してもらったりそういうネットワークができることは重要なことだったりする。そういう文化的な会ではなく、「自助グループをつくります」と高らかに掲げる活動も大事だけど、それだと自己の生活の危機を感じて参加できない人もいる。あとは、やはり手を動かすことでいやされたりもする。逆に文化的なものがないと出来ないこともある。
例えば、直接支援が得意な友人が国連のジェンダースペシャリストとしてある村に送り込まれた時、その村のコミュニティの状況をみて、「これはもう音楽をもってこう」と、思った。その文化では音楽がとても重視されていてすごい自然な営みだった。それを持っていったんです。そしたら人が集まって、敵対していたグループも「それなら自分たちも参加したい」となった。でもやはり村同士で順番などで争うんだけど、「それは自分たちで解決してください」と、任せたんです。そしたら、その文化にもともと根付いたコンフリクト・ソルーション的なことが始まって、和解のプロセスが始まった。時には文化的なもの、手作業とか伝統とか根付いたものがないと進まないこともあると思います。
辻井美穂 イアンフ、戦争、放射能、女性の体などをテーマに、語り部・映像・インスタレーションを交えたパフォーマンスを発表。’98年にイアンフサバイバーに出会い、特にフィリピンのトマサ・サリノグさんの側で正義への道のりを支援。フェミアート集団Stand Up Sistersを結成し、’10年より15名程の女性と東京のギャラリーや学校でモノローグ公演、アート展、千人針を振り返るプロジェクトを展開。美学校で学び、米国スワスモア大学で学士号、ニューヨーク大学芸術学部でアートポリティクス修士号取得。
写真提供:全て辻井美穂
聞き手: クラークソン瑠璃 artist
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