▶主人公マリアの魅力的なキャラクターとライフスタイル

仁生:こんにちは。「シネマラウンジ」で映画紹介を書いている仁生碧です。今日は、11月27日公開の映画、『黄金のアデーレ 名画の帰還』について、映画評論家の川口恵子さんと、また対談形式でお話ししたいと思います。
映画を観て、冒頭から印象に残ったのが、主人公マリアのエレガントな存在感でした。アメリカに住む年配の女性で、小さなブティックを経営しながら、独り暮らしをしている。決して贅沢ではないんだけれど、全てが上品で洗練された雰囲気で、育ちがいい女性なんだろうなと思わせる何かがあります。

川口:ブティックも本物の豪奢を知っている大人の感性で選び抜かれたような軽やかで上品な洋服ばかり並んでますしね。

仁生:最初から、彼女自身やその身の回りのものに、非常にヨーロッパの上流階級的な雰囲気を感じましたね。

川口:今はアメリカの西海岸に住んでいるけれど、オペラと絵画を愛する芸術の都ウィーンに生まれ育ったユダヤ系ヨーロッパ女性という設定なんですね。 第二次大戦中に故国オーストリアを去り、オペラ歌手だった夫と二人、アメリカにやって来た――。教養があり、夫の死後も、毅然として品位を保ち、エレガントに生きている。

仁生:ファッション・センスも、すごくすてきでしたね。

川口:この映画は裁判の場面が多いのですが、毎回、彼女が裁判の場に出るたびにファッションも変わって。大きめのイヤリングにネックレス、明るめの上品な色合いのスーツがとても似合ってました。裁判の成り行きもさることながら、つい、彼女のファッションに目が―。女性観客を意識した作りなんでしょうね。こんな風に年を重ねられたらいいなあって、私も完全にこの映画のターゲットとする観客層に自分が入ってるのを感じました(笑)。

仁生: そして、なぜ裁判かというと、この映画はある有名な絵の所有権をめぐるマリアとオーストリア政府との闘いを描いているんですね。その絵というのがタイトルになっている〈黄金のアデーレ〉で、正式名称は『アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像 I』というらしいのですが、グスタフ・クリムトがマリアの伯母アデーレを描いた肖像画なんですね。全面に金箔が貼られていて、黄金に輝く絵です。これが全て実話に基づいた話だということに驚きました。


▶肖像画の流転と芸術の価値

川口:肖像画って、昔は王侯貴族が著名な芸術家を雇って描かせ、所有し、館に展示することで権勢の徴としてきたのですね。それを新たに台頭してきた富裕な市民階級も真似た。ユダヤ系であるマリアの一族もそうだったらしきことが別れ際の父の言葉からわかります。それが、時の勢力・ナチスに奪われ、高官の別荘に飾られ、戦後も返還されることなく、オーストリア絵画館(オーストリア・ギャラリー)という新たな権力装置の中で展示されることになった。そうした絵の数奇な運命が招いた事態を映画化したものですね。

仁生:オーストリア政府としては、過去の経緯はともかく、現在、絵の所有権が自らにあることを疑っていない。

川口:オーストリア国家の資産となったわけですから、たとえ元の所有者だったとしても、移住後、アメリカ市民となったマリアが法廷での訴訟に持ち込むなんて、普通は考え難い。マリアの強固なプライドと意志を感じさせる行為です――何が彼女をそうさせたのか、考えさせられました。

仁生:彼女は、とうてい勝ち目のなさそうな闘いであるにも関わらず、ありとあらゆる手を尽くして、この絵の正当な所有者が自分たち家族であることを証明しようとする。そこには、理屈ではなく、この肖像画が象徴するものに対するきわめて強い思いが感じられます。

川口:故国オーストリアに戻り、肖像画と再び出会い、絵の中の伯母を見つめるマリアの表情が物語っていますね。ぜひ劇場で見て、感じ取っていただきたいです。肖像画自体がたどった流転の運命も興味深い。それでも、描かれたアデーレは、変わることなく、妖艶に微笑んでいる――

仁生:当時、ほかにも同様の経緯で、正当な所有者から時の権力に奪われ、結果的に、世界のあちこちに分散してしまった芸術品や美術品が数多くあるのでしょうね。

川口:離散の民・ユダヤのディアスポラ性を象徴するかのように、世界中に散逸した――のでしょうか。他の生存者たちの証言にあるように。

仁生:時代は異なりますが、かの有名な肖像画『モナ・リザ』も、フィレンツェ(イタリア)人であるレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵ですが、当時の複雑な政治的状況の中で、レオナルドは最終的にイタリア内に居場所がなくなり、王の招きで、絵を持ってフランスに行く。そして、『モナ・リザ』は彼の死後、遺言で弟子に譲られますが、フランス国王がそれを買い上げ、その結果、今もルーブル美術館に所蔵されています。しかし、後世の私たちにとっては、絵の時々の所有者が個人・国家を問わず誰だったかは関係なく、芸術家の名前だけが最後まで残る。場合によっては、絵のモデルの名前も。そして、絵の素晴らしさに感嘆する。そう考えてみると、歴史の激動と国家の盛衰の中で変わらぬ価値を長年保ち続ける芸術というものの偉大さがよくわかりますね。

川口:ほんとうに。映画を見終えて、あらためて絵画を見たくなりました。きっと、この映画のさまざまなシーンが脳裏に蘇ることでしょう。映画を通して、別の視覚芸術である絵画の価値に触れると、一種の交感作用みたいなのが働きますね。芸術の秋にふさわしい!


▶国家にとっての正義と、個人にとっての正義

仁生:マリアは、オーストリアで生まれましたが、ナチスによる迫害で財産を奪われ、家族と別れ別れになり、アメリカに亡命したユダヤ人です。彼女にとって、伯母が描かれたクリムトの名画を取り戻すことは、国際法上、絵の所有権が誰に所属すべきかという観点とは別の意味があったと思います。マリアが難しい訴訟にこれほど必死になったのも、マリア個人にとって、この絵を取り戻すことは、失われた故郷と家族という彼女自身のアイデンティティを取り戻すのと同様の意味があったからではないでしょうか。

川口:サバイバーとしての強い使命感を感じました。苦難の歴史を背負ったユダヤ系家族の中でただ一人、新天地アメリカで生き残った者としての自覚に支えられた――。マリアにとって、この〈黄金のアデーレ〉という絵は、切断された家族の歴史と誇りの象徴だったのではないでしょうか。

仁生:映画には、困難な訴訟の過程でマリアを助ける若い世代の二人の男性、アメリカ人弁護士のランディと、オーストリア人ジャーナリストのチェルニンが出てきますね。ランディは、実は著名な作曲家シェーンベルクの孫で、オーストリアにルーツがあるユダヤ人。しかし、当初はナチスにもホロコーストにもあまり関心がなく、マリアの訴訟を引き受けたのもお金のためでした。ですが、マリアに付き添ってウィーンの街を歩く中で、自らのユダヤ人アイデンティティに目覚めていく。もう一人のチェルニンも、戦争を知らない世代ですが、別の理由からマリアに積極的に協力するという設定になっていましたね。

川口:中高年の女性観客にとって、シニアなヒロインが若きジェントルマンたちに支えられてるって、心がくすぐられますよね(笑)。エリザベス二世を堂々演じた英国の名女優ヘレン・ミレンが、二人の男優に敬意を払われつつ気持ちよく演じています。弁護士は、マリアを助けるうちに一見フツウの〈アメリカ人〉から〈ユダヤ系アメリカ人〉に意識覚醒してゆく。そのプロセスが、マリアの話と同時並行して描かれ、わかりやすかったです。アメリカ映画的ですね。オーストリア人ジャーナリストの方は、やや付け足し的に感じました。演じている俳優さんは有名な舞台演出家の息子。ドイツを代表する俳優として国際映画祭でも知られています。そのへんのキャスティングは少々あざとい……。ヨーロッパ市場への配慮でしょうか。



▶〈現在〉と〈過去〉の幸福な融合

仁生:この映画は、現在のストーリーが進行する中で、マリアの回想シーンを随所に織り交ぜるという形で撮られています。特に物語終盤、マリアがかつての自宅があった場所を訪れた際の回想シーンが非常に印象的でした。

川口:彼女にとって、大切な家族の記憶のつまった街角は、同時に、痛みを伴う場所でもあったのですね。それが裁判を通して、過去と向き合い、自らの内なる苦しみを乗り越えて、ようやく、幸福だった家族の記憶が、次々、視覚的記憶となって蘇ってくる……あのシークエンスは、彼女の〈現在〉と〈過去〉が融合する、祝福と恩寵に満ちた素晴らしいシークエンスでした!

仁生:そして全体を通して、マリアという女性の生き方そのものが素晴らしいと思います。ウィーンでの少女時代の芸術に囲まれた優雅な暮らしぶりもさることながら、アメリカでの70歳を過ぎてからの控えめでエレガントな暮らし方もとても素敵で、先にも話に出ましたが、まさに人生のお手本にしたい感じ(笑)。どんな時も、自分が大切にしているものを守り抜こうとする筋の通った生き方と強さが、マリアに静かな輝きを与えているように見えました。

川口:クリムトの描いた耽美的なアデーレより、老齢のマリアのほうがだんだんステキに見えてきたほどでした。でも、〈描かれたアデーレ〉の側から見た映画もできそうだし、観てみたい気がしますね。


『黄金のアデーレ 名画の帰還』
2015年11月27日(金)より、TOHOシネマズシャンテ、シネマライズほか全国ロードショー
監督:サイモン・カーティス
脚本:アレクシ・ケイ・キャンベル
製作:デヴィッド・M・トンプソン
撮影:ロス・エメリー
美術:ジム・クレイ
出演:ヘレン・ミレン、ライアン・レイノルズ、ダニエル・ブリュール、ケイティ・ホームズ
配給:ギャガ
(2015/アメリカ・イギリス/109分/カラー/シネスコ/5.1chデジタル)
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