レントゲンでは「異常なし」だったが・・・
私自分が早期に「乳がん」を発見できたのは、気が進まなくても、毎年、検診にでかけていたこと、そして、熱心な乳腺専門医との出会いがあったからだ。
もともと乳腺症があり、石灰化が乳房全体にある私を、この医師はいつも前年のレントゲンと照らし合わせながら、しっかりとチェックしてくれていた。「乳がん」が見つかった7年前も、レントゲン検査では特に異常が見られなかったのにもかかわらず、丁寧に触診をし、エコー検査で、小豆大のしこりを見つけてくれた。
主に40歳以上の女性を対象に実施されているレントゲン検査は、「マンモグラフィ」はと呼ばれている。乳房を片方ずつ、機材でぎゅっと挟んでから撮影する。検査技師から、手のひらで乳房をつままれ、そして機材に押し込むように扱われて撮影されるのは、さすがに痛い。男性医師による触診も、当然のことだが、抵抗感がある。誰もが、できれば受けたくはないと思っても不思議ではない。私もいつもそう思ってきた。
だが、もしあの時、私が「自分だけは大丈夫だ」と高を括り、「乳がん」検診を怠っていたとしたら、病気の発見はかなり遅れていたに違いない。次の検診まで、しこりに気づかなかったとしたら、がんは大きくなり、治療は複雑になるばかりか、治療に伴うさまざまな苦痛や副作用を強いられていただろう。
私が知り合った「乳がん」経験者のなかには、しこりがあることは何となく気になっていたが、そのまま放っておいたら、だんだんと大きくなり、受診した時にはすでに6センチの大きさにまでなっていたという女性もいた。
すべての女性にいいたいのは、そうならないためにも、もし自分にしこりがあるのを見つけたら、まず、専門医のところへ飛んで行ってほしい。実際に精密検査をしても、何も問題がないひとの方が、統計的に見ると圧倒的に多いのだ。
それにもまして、病気に対して、不安な気持ちを抱えたまま日々生活すると、精神的にも不安定になり、ストレスにまで発展しかねない。がんになる要因のひとつに、ストレスがあることは、すでに多くの専門家によって指摘されている。
救いの手を差しのべてくれた友人
早期発見も重要だが、もし万が一、「乳がん」になってしまった場合、ひととのつながりがいかに大切かということも、今回、私は学んだ。
私が人生の先輩として尊敬している男性に、Yさんがいる。私が「乳がん」だとわかった数日後、もう何年も会っていないYさんから突然、電話がかかってきた。Yさんは、私が年賀状に書いた「希望」という文字を見て、感銘したと電話をくれたのだった。
もう何年も会っていないYさんは、その間に前立腺がんを患い、克服したことも知った。がんをのり越え、前向きに生きようとしているYさんの心に、「希望」の文字が響いたことは、私にとっては自分の存在を認めてもらえたような気がした。
Yさんからもらった電話で、私は「乳がん」が見つかったことを打ち明けた。その時点では、夫にしか病気を知らせていなかっただけに、自分でも不思議なくらい自然と話せた。
Yさんの人格もさることながら、このタイミングで私に電話をくれたことが、救いの手を差し伸べてもらったように思えたからだ。
会社経営に手腕を発揮してきたYさんの行動はす早く、翌日には、休日というのに、懇意にしている医師に引き合わせてくれた。
医師に直接相談できたことで、私はどのような病院で、どういう主治医を求めているのか、自分の気持ちを整理し、病気に立ち向かう気持ちを強く持つことができた。
Yさんは、長年、ロータリークラブで活動しているが、そこで「乳がん」の早期発見のための勉強会も開いていたことも知った。具体的には、同クラブでは、夫が妻の異変に気づくことができるよう、乳房の模型(実際の乳房のように柔らかく、そのなかに大豆ほどの大きさのしこりが埋め込んである)を使って、しこりがないかどうかを見つけるための、実践的な講習を行ってきたそうだ。
思い起こせば、夫が妻の乳房にできたしこりを発見したケースが、かつて私の周囲にもあった。母が闘病中、病室まで訪ねて来てくれた鍼灸師のMさんが、そうだった。
ある日、奥さんの胸にあるしこりを見つけ、びっくりしたMさんは、すぐ、奥さんに病院に行くように勧めた。その結果、全く心配のいらない良性腫瘍だったと話してくれたことがある。このように、しこり=「乳がん」とは限らないのだ。
Mさんは、「胃がん」の母が入院中、激しい痛みから眠ることさえできない状態になってしまったとき、病室まで来てマッサージをしてくれた東洋医学の専門家である。
当時、母に付き添っていた私は、ベッドの上で、喘ぐように痛みに耐えている母の背中を、撫でることしかできず、途方にくれていた。相部屋の一角の、周囲をカーテンで仕切られただけの狭い空間で、母とふたりきりでいる私にとって、それは恐ろしいほど耐えがたい時間だった。
そんな私たちの間に表れたMさんは、母が少しでも楽になるよう、その卓越した手技を駆使して、歪んでしまっていた母の表情が和らぐまで揉んだりさすったりしてくれた。この時間だけでも、過酷な苦しみから逃れられた母が、Mさんにきちんとお礼をいう姿を見て、私はどれほど気持ちが救われたかはかりしれない。今でも、あの時の記憶と、Mさんに対する信頼感は、深く私のなかに刻まれている。
どうすることもできない、人間の最期を救うのは治療でも薬でもなく、「愛」のあるひとの手の温もりであった。
今ではなかなか会う機会もないが、私のなかにあるMさんへの感謝の気持ちは、一生消えることはないだろう。
75歳で「乳がん」になり、完治したおじいちゃん
話が横道にそれてしまったが、前にも触れたように、がんは発見したときの病気の進み具合で、その後の治療法が大きく変わってくる。
病気を恐れて検診に行かないのではなく、病巣の発見が遅れることが無いよう、そして大切な命を落とさないためにも検診に行くのだと、すべての女性に思ってほしい。
日本での検診の比率は欧米諸国に比べて、まだ極端に低いのが現状だ(北斗晶さんの報道がきっかけで以前よりは増加したが・・・)。
私の知り合いで、自分で胸にできたしこりを発見し、すぐに受診したことで、大事に至らなかったひとを紹介したい。
3年前の夏、三重県に住む友人のUさんの自宅で、夕食をごちそうになる機会があった。彼女は今では還暦を過ぎているが、45歳でフランス語を学ぶために再び大学に入学した。
しかも在学中に、交換留学生にも選ばれ、一年間、フランスでの寮生活も体験した行動的な女性だ。
フランスに留学するとき、彼女の子どもは4人のうち、いちばん下の女の子は高校生になっていたというものの、彼女の思い切った行動に、家族全員、驚いたというか、あきれたらしい。しかし、このときも真っ先に賛成してくれたのは義父であった。彼女と年老いた「じっちゃん(彼女は義父をそう呼ぶ)」はとても仲がいい。互いの個性を理解し、「じっちゃん」も自分の価値観を、彼女に押しつけたり、嫁としての役目を強要したりしない。
この日の夕食の席で、「じっちゃん」も私たちの輪に加わった。Uさんにはまだ病気のことを伝えていなかった私は、その場で、「乳がん」の手術をしたことを打ち明けた。
すると「じっちゃん」は、自分も75歳のとき、「乳がん」にかかったのだと語りだした。男性にもまれに「乳がん」が発症することは聞いていたが、身近に、しかも、「じっちゃん」のような高齢の男性もかかることを知り、さすがに驚いた。
「じっちゃん」は、ふとしたことで胸にしこりがあるのに気づき、急いで病院で診てもらうことにしたのだという。しこりは「乳がん」であることがわかり、それを切除する手術では、脇の下のリンパ節全体を、えぐるように取り除いた。がんが広がっている可能性のあるところはすべて取るのが、手術の鉄則であった時代だ。当時はまだ、リンパ節に転移があるかどうかを調べる「センチネルリンパ節検査」も確立していなかった。
「じっちゃんのいいところはね、からだのどこかがおかしいと思ったら、すぐに病院で診てもらうところなんだよね~」とUさんはいう。
この「じっちゃん」の例でもわかるように、男性にも稀に「乳がん」を発症する。「じっちゃん」は自分で気がついた異常を放置せず、医師に診断してもらったことが、早期発見につながった。
素人判断せず、病院に行ったことで命拾いした「じっちゃん」は、
「今でも、こうすると、まだちょっと腕が上がりにくいんだけど…」と、健康的に日焼けした満面の笑顔で、手術した方の腕をぐるぐると回して見せた。
2015.12.10 Thu
カテゴリー:乳がんを寄せつけない暮らし / 連続エッセイ