発達障害かも知れない子どもと育つということ。34
もう世間はクリスマスが近いというのに、今回はハロウィーンについて。いつからハロウィーンはこんなにメジャーなお祭りになったのか。子どもたちもあちらこちらでパーティがあるようである。娘も、習い事のハロウィーンパーティと学童のパーティとに参加した。
実は娘は、友達からもパーティに誘われていた。本来だったら、母親である私が即座に「お招きいただいているのかしら? ありがとうございます」と電話すべきだとは思ったのだが、忙しいのと億劫なので後回しにしていたところ、「友達に『まだよくわからない』といわれた」という話になり、最後には「『人数制限を超えたので、来ないで欲しい』といわれた」と最後には断られたのである。カチーン。
察するに、子ども同士が約束をしたのを、親が渋い顔をしたという感じ。そもそも電話をすぐにしなかった私にも問題はあるのかもしれないが、前にお互いに遊んだときに「うまくいかなかった」ので私も先延ばししていたのである。
相手の子も切り替えが下手でなかなか帰らなかったのが問題になったし、こちらの娘もあちらからなかなか帰れず、お片づけもできなかった。お母さん同士の仲が良ければ、「お互い様よね」となるのだろうけど。お母さん同士の関係が、私も億劫なのである。
子どもがクラスの集団行動についていけない場合、もしくは乱暴だった場合、第一子のお母さんは間違いなく孤立している。これが上に子どもがいれば、すでに学校の保護者になじんでいるため、陰で悪口をいわれるだけで済んでいる。うちは一人っ子で、子どもに「問題がある」と思われてから、微妙に周囲に「遠慮」や「配慮」をしている感じが伝わってくる。それまで仲良く話していても、子どもの癇癪をみたりすると、すーっと距離を置かれる感じが手に取るようにわかる。「親の評価」は、明らかに「子どもの出来」に連動しているのだなぁと感動したり、がっかりしたり。私の人づきあいもうまくないのが問題なのだろうけれど、妙に疲れる。
来年もハロウィーンパーティがあちらこちらであるのだろうか。今から気が重い。
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