
◆北婦研「かいほう」がミニコミ図書館にやってくる――上野千鶴子
ずっとゆくえを探索していた北陸婦人問題研究所の「かいほう」。長く代表をつとめてこられた梶井幸代さんが亡くなられて、解散したと聞き、情報の散逸を憂えていました。金沢はわたしにとって実家のあるゆかりの地。ここに生まれた女性学の根を、WANミニコミ図書館に保存したいと願ってきました。
あいだを仲介してくださる金沢大学の八重澤美知子さんのご尽力で、バックナンバーの現物が石川県女性センター図書情報室に寄贈してあることが判明。しかも関係者のおひとりが、その情報室のボランティアをしておられることをつきとめました。
以下は北婦研「かいほう」をWANミニコミ図書館にご提供いただくまでの感動のエピソードです。ご本人のお許しを得て、以下に掲載いたします。
八重澤さん、高栁さん、ありがとう。
◆不思議な女の縁――高栁淳子(元北陸婦人問題研究所会員)
2015年11月25日午後2時ころ・・・私は石川県女性センター図書情報室の当番でした。図書受付の合間に5社の新聞の女性記事を切り抜く作業をしますが、上野千鶴子さんが内灘町(S28年「おかか」が主役の基地問題内灘闘争で有名な町)で講演された『北陸中日新聞』の記事を切り抜いていたその時です。慌ただしく図書室へ駈け込んでいらした人がいました。
ああ! あの時のあの人でした。しばらく前のことです。
「北陸婦人問題研究所の機関紙、有りますか?」
「はい有ります。郵送していましたから、この棚のどこかに有るはずです」
「有ることがわかればいいです。頼まれたので」
と帰っていかれました。なんとお忙しそうな方。それにしてもどなたが『機関紙かいほう』を読んでくださるのだろう、とその時は思いました。
北陸婦人問題研究所(北婦研)が解散してもう7年、梶井所長も亡くなって3年。なんと不甲斐ない自分だろうと反省しきりでした。梶井所長の嘆きが聞こえたようでした。
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この日も慌ただしく図書室へ入ってこられ、
「女性センター館長室へ寄つたら、『丁度よかった。今日高栁さんが当番だから』と言われたので、駆けつけてきたのよ。あの時も当番だったよね。不思議ね」
私の当番は月2~3回なのです。
「上野さんに頼まれたので」と名刺を下さいました。八重澤美知子(金沢大学教授)。
「お名前だけは存じていましたが(八重澤さんは女性センターの理事)、失礼しました」
やっと上野さんと結びつきました。そして上野さんのご提案「かいほう」のミニコミ図書館への収蔵を聞きました。
「それでどうすればいいのでしょう」と私。八重澤さんは「上野さんに電話で聞いてみます」と携帯電話をかけて下さったのです。
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たまたま図書室に来ていた三人の女性たちが、驚いたように、「あの上野さん?」と上野さんの新聞記事を手に取り、「内灘で逢いましたよ」「あら私もいきました」「私も」と三人の、初対面の人々がそれぞれ声を合わせて、「怖い人だと思っていたけれど・・・・分かりやすい講演で」と会話が流れていきました。
私はふと「おんなの縁」の不思議を感じましたが、急に八重澤さんから手渡された電話に、久し振りの上野さんのお声に舞い上がって、しどろもどろで失礼してしまいました。
「明日は女性史の学習会なのでみんなに相談しますが、梶井所長がどんなに喜ばれるだろうと思います」そのようなことを答えたようでした。
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私はみんなに説明しなければと、帰ってパソコンを開いてミニコミ図書館の趣意書や現在の上野さんの活動をよんで、ご提案して下さった意味をやっと納得したのでした。
女性史の会は『石川の女性史』編纂に関わった北陸婦人問題研究所の10人で1か月1回、細々と、澤地久枝さんの著書や、もろさわようこさんの著書などをテキストに話し合いをしてきました。まず新聞記事の切り抜きと、茶菓子を持ち寄って鬱憤を吐き出す、要するにストレスを発散させる場所なのですが。アクションは?と問われれば無言。高齢を理由に、家族の介護、孫の世話、自分の持病を理由に、言い訳には事欠かない主婦たちの集まりです。が、上野さんのご提案に一同の眼が輝いたようでした。どんなに梶井所長喜ばれるだろうという思いは一つでした。

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丁度そこでも不思議なことに北陸中日新聞社の女性記者が、「戦後、婦人選挙権が公布されたのが1945年12月17日。今年は70年。第1回の衆議院選挙は翌年(1946年4月10日)。その当時の様子を聞きたい」と参加されたていのです。
いくら今は高齢でも当時成人にはなっていなかった私たちは、具体的な記憶はなかったのです。が、市川房枝さん等の呼びかけで婦人参政権獲得同盟の金沢支部を全国2番目に旗あげしています。女性史編纂で知りましたが、当時『北国新聞』の文芸欄「短歌」に投稿していた、米山久子(戦後第1回衆議院選でトップ当選)、駒井しづ子(石川県会議員5期20年間)に影響をあたえたのが、当時の女性記者西村さんという方。いま私のできることは、若いこの記者さんを応援することだと、励ましの言葉を一生懸命に並べましたが、梶井所長のことは知らないと言われる世代、時代なのです。上野さんのご提案の事を話し、もし『かいほう』が電子データ化されたら、ぜひミニコミ図書館を開いて、読んで下さいと頼んでしまいました。
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昨日は一日上野さんのブログ、ツイッターを遡って、初めて読みました。当然なことですが、同じ日に同じような問題で怒っていらした事に、そうそう私たちも・・・・と。
でも『なにを恐れる』という女たちの映画をみても「懐かしいが遠い感じ」でした。あの時の私の情熱はどこへいったのでしょう。
江の島・岐阜・新潟・奈良・東京等と参加していた「全国女性史研究交流のつどい」も今年は諦めました。(上野注:今年の岩手の大会にはWANからミニコミ図書館のメンバーが参加してワークショップを開催しました。当日の映像は近くWANサイト上で公開の予定です。)
振り返ってみれば、細々と女性学、環境問題、古典、源氏物語、哲学カフェと、それぞれがバラバラに学習だけは続けていましたが、北婦研開設当時の懐かしい会員の多くは病気で施設に、また故人となられ、淋しいことに気付きました。梶井所長の志も何処へ? これを機会に「女の縁」を大切にと思いました。
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いま私は、毎月1回の日曜日に、あの「高齢社会をよくする女性の会・全国大会・金沢」(1995年)「福祉とジエンダー」部会で私たちの代表として上野さんや春日キスヨさん・杉本貴代栄さんとテーブルにつかれた水谷千鶴子さんと一緒に、女性学、フェミニズムから哲学の荒野をさまよっています。
11月、プラトンの『国家』上・下をやっと読み終えたところです。戦後70年・国家とは? 民主主義とは? プラトンはその師ソクラテスを死刑においやった法律、その不条理から『国家』を書きはじめ、学園を創設したとか・・・。
ソクラテスと高齢者との対話、それを聞いていた若者たちの反論、討論から国家とは?正義とは?という導入につい引き込まれました。
紀元前4世紀、理想の国家の施政者に哲学者を。それは納得ですが、数学、幾何学、天文学、音楽、芸術も戦争に勝つために、軍隊を統率するためにと、目を疑う程「戦争」という文字の多さに驚きました。
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平和な国、国民が幸福な国→人口増加→食料、住居、土地不足→獲得のための戦争・・・・。何時も世界のどこかで戦いが。今の国会の騒ぎも重なって、私は読書の目が止まり、政府の民意を無視した言葉・行動に憤激。疲れてしまいました。「日米安保条約はいらないの?」「一国平和主義でいいの?」と反論して考えさせようとする水谷さんの言葉に、私は逃げるように「世界に一つくらい平和な理想の国があってもいいと思わない?」と賛同を求め「北陸新幹線に乗って国会前でデモを」「邪魔になるだけだよ」
私もそう思って、膝や腰にシップをはる自分の姿に無念の納得でした。
この度、所長の志が、私たちの記憶が永久保存されることは、嬉しいことです。ありがとうございます。
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