▶1950年代NY——神話が剝がされた後のダーク・シックな色合い
N こんばんは。そろそろ始めますか? 『キャロル』は、前評判がすごいみたいですね。
K アメリカの業界受けじゃないかしら? この映画の良さをわかるってかなり業界人ぽい気がします。
N いくつかレビューを読んだら、まず衣装や美術を褒めてるものが多かったですね。
K ダークでシックな色合い。
N 私も、トッド・ヘインズ監督の絵的センスは大好きです。『エデンより彼方に』を思い出しました。あれも50年代アメリカが舞台。
K 50年代アメリカといえば、昔は黄金時代といわれてたけど、神話剥がしがなされたあとのダークさが、全体のトーンになってる感じ。
N 『エデンより彼方に』もやっぱり、シックな秋色でしたね。うわべの幸福が剝がされた後の哀しみが表れてました。
K こちらはニューヨークの冬に始まる。
N そう、最初が冬でしたね。
K 2015年の映画として50年代ニューヨークを懐古的に再現してる。だからどことなくノスタルジアも漂うのね。そこが映画のマジック。
N しかも、クリスマスの買い物シーズンのデパート。今の時代では失われてしまった、香り立つようなエレガンスがキャロルの立ち姿から感じられました。
K 1952年、マンハッタンにある高級百貨店フランケンバーグの設定なのね。1950年代アメリカって消費文化がまさに花盛りだったみたい。映画の中でも毛皮やレザーの手袋が効果的に使われてた。
▶白人社会のメロドラマ——アッパーミドルクラスの郊外妻とデパートガール
N キャロルは、裕福で何もかも満たされているかのように見える。
K 一見ね。
N 衣装がその象徴。
K なのに満たされてない。
N 一方、テレーズの方はまだまだハングリーな若者という感じ。お金もあまりなさそうで、世の中のこともよく知らなそう。で、一見完璧に見えるキャロルに憧れる。
K 裕福なアッパーミドルクラスの50年代郊外妻とデパートガールの出会い。
N お互い、欠けているものを補い合う関係なのかな、と思いましたね。
K テレーズって、イノセントすぎて、キャロルにはまぶしかったのかな。
N そんな感じ、しました。キャロルにはもうないイノセンス。もちろん美少女(?)でもあるし。
K 私には、いまいち二人が引かれあった理由がわからなかった。
N まあ、恋に落ちるのに理由は要らないので(笑)。でもやっぱり、お互い、ないものを持ってたということでは?
K 最初は、だから、映画的にメロドラマの復権として成立してるなって感じで、映画の作りに注目して見てた。長さもちょうどよくて、こじんまりした品の良い映画にまとめてるなって。TVドラマが人気になるのも1950年代だけど、それでも映画観客は今より多かったでしょう。昔はこんな感じで、映画を見ていたんだろうなって。仕事帰りやデートにちょっと見るのにふさわしい小品。上質のメロドラマを見た幸福感に最後は包まれて。ああいいなって最後は少しだけ幸せな気持ちで家路につくのにふさわしい。
N 『エデン』もそうでしたね。でも、あれは内容も素晴らしかった。これ以上ないメロドラマであると同時に、極めてあの時代的な社会問題をえぐり出していました。
K 『エデン』が打ち出した〈社会性〉は『キャロル』からは欠落していた気がします。
N そうですね、ひたすら美しいというか、そこが一番のような……。
K 白人社会のメロドラマ。
N まさに!
K 互いの階級差は出てるけど、自分たち白人女性が社会に置かれた位置はまだ自覚してない。黒人がまったく登場しないし。
▶〈名づけられない不安〉という閉塞感
N ただ、あの時代の〈女〉が置かれていた閉塞感はよく出ていた。
K 例の「名付けられない不安」ってやつはにじみ出てた。ベティ・フリーダンが『女らしさの神話』原題The Feminine Mystique(邦題『新しい女性の創造』、1963年)で50年代アメリカで郊外に住む白人専業主婦たちを取材調査して、指摘したーー
N なんか、息苦しいといったやつ。でも理由ははっきり自覚できてない。
K 良妻賢母の役割から、キャロルは完全にはみ出てたよね。夫と義母の世界からは身を剥がして。
N そういう意味では、当時としては、進歩的な女だったのかも。
K でも、〈母性〉には縛られてた感じ。
N 彼女の夫の求めてるものはよくわかりませんでした。
K キャロルは家庭の天使じゃないしね。夫ももう亀裂は感じていて、でも、せめてうわべだけは繕ってくれ的な?
N 体面ですね。男はそれが一番。女は、ある一線を越えると、それもどうでもよくなる。ただ母性だけは、どんな時代の女も一番捨てられないものなのかもしれない。私は子どもがいないので、そのへんは、なんとも意見がいえないのですが…
▶ジェンダーとセックス
K 私はこの映画は、彼女の〈母親性〉と〈セクシュアリティ〉の二律背反が、興味深かったな。社会的性差である〈ジェンダー〉と身体的性差である〈セックス〉がそぐわない感じが。それは彼女が〈女〉に生まれたことから生じた悲劇でもある。
N どっちも諦められない感じでしたね。
K 〈良き母〉を求められた1950年代という時代のジェンダー規範に苦しんでる。郊外中流妻に求められていたモラルからはすでに距離を置いてるみたいだけど、彼女自身のセクシュアリティはまだ社会的に認知されてなくて、〈母〉として失格の烙印を押されてしまう。それが離婚調停シークエンスに表れてた。あの場面での、弁護士や夫といういわゆる権威ある白人男性層、エスタブリッシュメントたちの、キャロルのセクシュアリティに対する言葉遣いが印象的でした。婉曲用法の極致です (笑)。
N でも、そんな引き裂かれた状態に苦しんでいた彼女も、最後には愛を選んだ?
K 愛なのかな?(笑)。ここである引用を紹介したいですね。
N どうぞ。
K 「ジェンダーはセックスのうえに構築される社会的・文化的な性差である」という定義は十分なものではなく、「社会的・文化的な性差であるジェンダーによって、セックスという虚構が構築される」と定義しなおさなければならない。
N 誰の言葉ですか?
K 竹村和子さんの『フェミニズム』(岩波書店、2004年、2007年第7刷)からです。「ジェンダーこそがセクシュアリティの物語を捏造し、セックスという身体的性差を事実として遡及的に生産している」と述べています。
N セックスとジェンダーの関係については、私の信奉するフロイト学者も同様のことを言ってます。人間社会においては、常にジェンダー・ファーストってことですね。生物学的性はあまり関係ない。
K 妻としてのジェンダー役割を演じ続けることの欺瞞を感じているらしきことを、キャロルが電話で親友にさらっと話していたシーンがありましたね。ジェンダーという言葉は使っていませんでしたが。義父母の邸宅での夫を交えたランチ・シーンのあとで、もう耐えられないって(笑)。夫との間では、離婚によって妻というジェンダー役割は解消できても、〈母〉という次元では、やはり娘に対する愛に引き裂かれてた。生物学的には母でも、養育権を失えば社会的〈母〉役割は失ってしまう。ところでキャロルは、女性との関係においては、〈男〉役じゃなかった?
N そう、〈男〉役です。ジェンダー的には
K そこも矛盾しちゃうよね(笑)。なんか、普段のジェンダーと彼女自身のセクシュアリティの次元がそぐわなくて。だから、目だけこわくて(笑)
N 攻める目かな、獲物を狙うような。キャロルにしてみれば、反動かも。
K 何からの?
N 良妻賢母役からの。ほんとはそんなのやりたくなかったのかも。あの時代は、男にかしずく妻じゃなくちゃいけなかった。
K でもキャロルも、途中からいい気なもんだって、私はしらけちゃったけど。白人女性フェミニズムに対するもどかしさ的な違和感があって。
N ちょっと中途半端な強さでしたね。キャロルは、テレーズに最後の判断を委ねたんですよね、結局。テレーズの決断した後の表情が凛々しかった。
K テレーズは一歩踏み出した感がありましたね、たしかに。日本の女性観客はどう感じるかしら。
N 私は、個人的には、あまり共感できなかった。キャロルには。テレーズには、ある程度共感できました。
K 共感できなかったのはなぜ?
N うーん。結局、金持ちの道楽の感かな。もしテレーズに振られたら、元の暮らしに戻ったんだろうなって。
K ラディカルに自己変革しようって人じゃないよね。西に向かう旅も途中で終わっちゃうし。普通、アメリカ映画だと〈西〉に向かうことで意識覚醒したりするんだけど。『テルマ&ルイーズ』がそうだったみたいに。キャロルとテレーズは特に何も発見したようには見えなかった。あ、自らの性には目覚めたか・・・そのへん、いまいちピンとこなかった。
▶視線のドラマ
K 私は視線のドラマを感じたな。映画的に、あー、昔はこうだったよねーっていう。こんなに人と人は視線で結び付いたよなあって。あのキャロルの視線に感動したの。それは彼女をまっすぐに見つめるテレーズから見たキャロルの視線でもある。
N 目ヂカラですね。最後、どうなったかは描かれてないですよね、明らかには。観客に委ねている?
K いや、視線のドラマで(映画が)語ってる。
N そこは、キャロルも覚悟を決めた強さが出てた。どうなっても受け入れようという。
K 3DやCGじゃない本物の人間感情が視線に表れてた。映画美学的に、新鮮でした。だから業界人受けしたかなと。
N ケイト・ブランシェットの面目躍如でしたね
K アカデミー候補もそこかな。
N もともと演技派として名高い人だし。
K 心乱れるクイーンが似合う人。
N 今回もほんとに上手かった。
K じゃあ、そろそろ? 愉しかったけどライン・トーク疲れた(笑)
N そうですね。では、また!
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【2015/アメリカ/カラー/DCP/ビスタ/118分】 字幕翻訳:松浦美奈
原作:河出文庫「キャロル」(パトリシア・ハイスミス著)12月8日発売予定
提供:ファントム・フィルム/KADOKAWA
配給:ファントム・フィルム
2016年2月11日(祝・木)全国ロードショー
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