やはりこのブログは迫力がありました。数あるブログの中からこれを拾い上げて国会に出した民主党(いま民進党)の山尾志桜里参議院議員の功績は見逃せません。誰かがいいことを言っていてもそのいいことを拾い上げる人がいなければ、埋もれたままになってしまいます。議員の目に留まったのは、「何なんだよ日本」ではじまるブログのことばがとても強烈で迫力があったからです。
そしていま、対策に追われて各自治体が枠を広げて待機児童を減らそうと躍起になっています。国会で問題になったから政府も自治体も無視できなくなりました。対策が進むのはいいのですが、基準を緩めたりして保育の質が落とされないように、目を光らせている必要もあります。
前回、わたしはこのブログを絶賛しました。近年の大傑作と賛美しました。そして、多くの人が受け入れたことからジェンダー規範が緩むきかっけを作った功績をたたえました。
ところが、現実はそう甘くはありません。
曽野綾子氏が産経新聞の一面の「小さな親切大きなお世話」(2016年3月13日)というコラムに次のように書いていました。
「…いつの時代にも、現実は理想通りにはいかないことを自覚するのも成人の証だ。私の子育て時代には、児童全員を保育園に入れなければならないという発想もなかったし、幼稚園さえ経済上の理由で入れない家庭もあった。…別に大人げなく反論する気もないが、日本を世界有数のいい国だと思っている私もいるのだから、この人の方が嫌いな日本を捨てて、今すぐもっと上等な他国に移住なさればいい。…このブログ文章の薄汚さ、客観性のなさを見ていると、私は日本人の日本語力の衰えを感じる。言葉で表現することの不可能な世代を生んでしまったのは、教育の失敗だ。…」
この文章に反論したいことはいろいろあります。「私の子育て時代に全員を…発想はなかった」と言い切っていますが、曽野氏は1931年生まれですから、子育て時代と言えば1950~60年ごろです。その当時でも保育園(保育所と言いました)がなくて困っていた人たちがいて、「保育所がほしい」と母親大会の議題になったり、「ポストの数ほど保育所を」という運動が展開されたりしていました。曽野氏ご自身は保育所は必要がなかったでしょうが、その時代全般のこととしてご自分のまわりのことで代表させて決めつけられるのは、それこそ客観性がない書き方です。
日本が嫌いなら出ていけばいいなど、それこそ反論もする気もなくなります。
でもわたしはあくまでもことばが気になります。「このブログ文章の薄汚さ、客観性のなさ」ということばです。どういう文章のことを薄汚いと言われているのでしょうか。薄汚さとは「活躍できねーじゃねーか」「クソ」「ふざけんな」などのことでしょうか。
でも、男子高校生が「雨ばっか降って練習できねーじゃねーか」と言ったり、出勤途上の男性が目の前で電車のドアが閉まって「クソ」と言ったら、薄汚いと非難されますか。女性が言ったと思うから薄汚いと感じるのではないでしょうか。それだけ女性の言葉に対しては許容できないしばりがあるわけです。ここにはジェンダー規範が強く残っています。こうしたジェンダー規範を逸脱したことばを使うと「日本語力の衰え」と嘆かれます。
女性が「保育園に落ちて困っています。どうしましょう」などとブログで書いたら、だれも目を留めません。国会にも取り上げられません。「ふざけんな日本」と書いたから、みんなが目を留めました。政治家も動かざるを得なくなったのです。こういう言葉を使わざるをえなかった。そしてこのことばは力を持った。この事実を考えないで「薄汚い」も「日本語の衰え」もないでしょう。
そして、この曽野氏の文章を受けて、舛添要一東京都知事は、
「ブログで問題提起は結構と思うが、産経新聞に曽野綾子さんが書かれていたが、日本語がちょっと下品すぎるな、と。そうだなという感想はあった。しかし、待機児童問題というのは非常に大きいので、総力を上げて今後ともやっていきたい。」(毎日新聞2016年3月19日 「知事会見」のコラム)
と述べています。曽野氏は「下品」とは言っていませんが、都知事が「下品すぎるな」と感じたということのようです。この「下品」も「薄汚い」と同じです。女性が言ったから「下品」だと感じたので、男性が言ったら「下品」とは言わなかったでしょう。
そもそも、保育園に落ちて困るのは母親である女性だけではないのに、母親・女性の問題に限定しているのがおかしい。父親も困っているはずです。2人で働いてマンションを買おうと思っている人も買えなくなります。でも、やはり困り方が違うのです。そこが問
題です。保育園に子供を預けられなくて会社を辞めるのは母親・女性です。父親は会社を辞めなくていいから、切実さが違います。男性の方が給料がいいからどうしてもそうなります。こうした男女の格差が、保育園が足りなくて困っているのは女性だけという限定付き課題になります。騒いでいるのは母親・女性だけ、とりあえずこの騒ぎをなんとかしずめておけば、そのうち収まる、政治家はそう思っているでしょう。
これでは、2月3月になると毎年「保育園落ちた」と言わなければならなくなります。
いまこのブログがまだ効果があるうちに、父親たちに「保育園落ちた」「ふざけんな日本」と言ってほしい。そうすれば「下品」なことばの女性が騒いでいると言いがかりをつけたい人も何も言えなくなります。父親たちが動き出せばこの問題はもっと早く解決するのではないでしょうか。
2016.04.01 Fri
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば