買い物の仕方も生活習慣
以前に紹介した『乳がんと牛乳~がん細胞はなぜ消えたのか』の著者、ジェイン・プラントは、自分がなぜ「乳がん」になってしまったのか、研究者らしい探究心をフルに生かして、追求していった女性である。
彼女の著書と、「マクロビオテックス」を実践している友人の助言によって、私は子どもの頃から愛飲し続けていた牛乳を、飲むのをやめた。
彼女は同書のなかでこう記している。
「どんなに時間に追われていても、よいものを食べることを優先しよう。ブランド品を購入するためにお金を節約することと、キャリアの上昇のために食事の時間を惜しむことは、キャリア女性の乳がんの二大要因である」
この言葉は今では私に対しての警告となり、食事の準備さえできないような仕事のやり方はもうしない。そのことを日々、自分にいいきかせている。
彼女のライフスタイルから、理想とする生き方を教えてもらったともいえる。
我が家の近くには、某デパートがあり、専門店のなかでも「おふくろの味」を売り物にした家庭惣菜店が並んでいる。一見すると、健康的な野菜中心の料理に見える。
デパートともなると、惣菜といっても結構な値段がするが、夕方6時を過ぎるとタイムサービスが始まり、値段がとたんに安くなる。
「お得ですよ!」
という呼び声につられて、私は仕事帰りによく買っていた。しかし、惣菜が盛られた容器に貼られている原材料のシールをよく見ると、添加物の羅列にまず驚かされる。
保存料まで、しっかりと入っているものも多く、無自覚でいるうちに、ずいぶんと不必要なものをからだに入れてしまっていたのだ。
肉や卵、さらに乳製品や砂糖さらに科学調味料を、なるべく使わない食事を基本としている私にとっては、こうした「できあい」の惣菜を、日常的に食べるわけにはいかない。
それだけに、どうしても料理する時間がないときに買うか、あるいは、ちょっと贅沢をしたいときのスペシャルメニューとして、使わせてもらうようにしている。
これらの惣菜は、油を多く使っていることもあり、こってりしている。たまに食べる分には変化があって、食べごたえがあるが、自家製のものと違って、味が濃いため、量はたくさん食べられない。
食生活に神経質になりすぎ、「手作り」ばかりにこだわっていては、かえってストレスをためることにもなりかねない。だが、誰がどのように作ったのかがわからない惣菜の味が、そのまま家庭の味になってしまうのでは、どこかさびしい。
子どもの味覚や心にも、母親の味が記憶として残らないだろう。
賢い消費者になるためにも
自分でこまめに料理をするようになると、経済的にも安上がりで、たっぷりの量の野菜がとれることがよくわかる。いろいろな野菜を試してみることで、食材を選ぶ選択眼も向上しいく。
特に野菜は新鮮であることが最優先で、大地のエネルギーをしっかりと吸収した、元気そうな野菜を買い、味噌、醤油などで味付けをすれば、余分な調味料も必要ない。素材が持つ旨みを引き出せて、美味しいものができあがる。
原材料や熟成期間にこだわった味噌や醤油などの発酵調味料は、確かに値段は高めだが、わが家では、市販のドレッシングやタレなどを買う頻度が格段に減った分、支出が極端に増えてしまったということはない。テレビから流れるインスタント食品や、レトルト食品のCMは、
「簡単、早い、美味しい!」
と、巧みに購買意欲を刺激してくる。
ポップな音楽とともに流れるそうした食品のCMを見ていると
「こんなに楽に、しかも美味しい料理ができるのに、使わないなんて、損よ!」
といわれている気さえする。
この記憶が、知らず知らずのうちに脳に蓄えられ、スーパーの棚に並んだ、こうした商品に、自然と手が伸びて買ってしまうのだ。しかも、
「テレビCMで流れているくらい大手の会社が作っているから、安心できる食品に違いない」
と、私たちはどうしても思いがちだ。それほどテレビから受ける影響は大きい。
以前、中国製の毒入り「ぎょうざ」が問題になって以来、材料となっている原産国名は、ずいぶんと明記されるようになった。しかし、「国産」と書かれていないものは、ほとんどが外国からの輸入食材であり、それらがどれほど安全に考慮して作られているのかを、私たちは知る術もない。
「国産」であるから、すべては安全だとは限らないが、原産国がわからないものは、なるべく口に入れない方が賢明だと思っている。
レトルト食品はパッケージもおしゃれでいかにも美味しそうである。しかし、工場で機械によってつくられていることを想像すると、私はどうしても食欲が減退してしまう。
私は母から受け継いだ「母の味」をほとんど持たずにきた。働くことを第一優先にした母が用意するものは、出来合いの総菜が多かった。それだけに、これを食べると、母の味がするという、特別な食べ物が、残念ながら、思い浮かばない。
親が子どもにしてあげられることは何かと考えるとき、この子が健康で幸せに生きていけるような「ごはん」を作ってあげることではないだろうかと、私は思う。
子どもに何かを教えられるのは、まだ幼児のときだけである。勉強は学校で学び、好きなものは自分で見つけるようになる。
実際のところ、親が子どもに教えられることなど、それほどないのだ。
そう考えると、毎日、何をどう食べるかを考え、実践し続ける姿勢を示すことほど、親が子どもへ伝えられる大切な仕事はないような気がする。
その積み重ねが子どもに安心感を与え、健やかな人生へと導いていけると信じている。

書の作品を随時アップしているFacebook のページより~ Setsuko Nakamura "Sho no michi"
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