2009.08.19 Wed
2000年に出版され、世界中で500万部を売り上げた小説『朗読者』。その映画化「愛を読むひと」は、みなさんご存知のとおり大ヒットとなっています。今回の「特集」は、『朗読者』(原作ベルンハルト・シュリンク)を翻訳された、ドイツ文学者・松永美穂さんに原作と映画の魅力についてお聞きしたインタビューです。
*「原作者」と「翻訳者」
B-WAN:
そもそも『朗読者』を翻訳するきっかけは何だったんでしょうか?
松永:
原作は1995年で、私がお話を頂いたのは1998年でした。実際に訳したのは翌年の夏休み頃です。ちょうど10年前ですね。「こういう話があるけど、やりませんか?」と言われて「あ、じゃあ、やります」みたいな感じで。新潮社のクレストブックスシリーズの2周年記念キャンペーンとして発売されたのも、最初から言われていたわけではなく、たまたま私が訳し終わっていてタイミングよくという感じでした。
B-WAN:
『朗読者』を一読して、よくできた短編推理小説を読むような全く無駄のない印象を受けました。翻訳に当たって、どんな点に気を遣われたのでしょうか?
松永:
そうですね、ありきたりなんですけど、語り手が男性なので、一人称を「ぼく」にするか、「私」にするかは悩みましたね。後半では主人公が40代くらいになるので、第一部と第二部で一人称を変えようかとも思ったんですけど。でも、それも感じが変わりすぎてしまうので、「ぼく」に統一して語らせることにしたら、やっぱり成人男性になってからの部分が、「ぼく」でいいのかなと思いながら訳しました。あとは、ドイツ語は人称代名詞が結構たくさん出てくるので、日本語にするときには削れるだけ削ったというところはありますね。
B-WAN:
特に『朗読者』の翻訳で訳しにくかったところや苦労したところなどはありますか?
松永:
専門知識がなくても一応は訳せましたが、裁判制度の詳細が分からなくて、ドイツの「三審制」について法学部の学生さんに教えてもらったりしました。あと苦労したのはどういうところだったかな。うーん、こんなことを言うと嫌われそうだけど、実はあまり苦労してなくて。実質3ヶ月で訳したんですけど、なんかね、スラスラ訳せて。シュリンクのドイツ語は実はすごく読みやすくて、わかりやすいドイツ語なんです。私がそれまでに翻訳してきたものよりも、やりやすかったというか、自分にすごく合っていたという気がします
B-WAN:
相性が良かったのでしょうか。
松永:
原作者のベルンハルト・シュリンクはもともとミステリー作家で、いつも第一部、第二部、第三部と分けて、しかもその中を小さく章分けしていて、そのまとまりもちょうど、一日に一章やったら丁度いいような感じでした(笑)。複雑な文章がないし、文章自体もあまり長くないんですよ。ギュンター・グラスのように凝った文章でもないし、カフカのように単語の意味は全部わかるけど何を言っているのか分からないというのでもないし。シュリンクは、あまり文体には凝らない人なのかなと思います。
B-WAN:
『朗読者』のあと、同原作者の『逃げてゆく愛』と『帰郷者』の翻訳も松永さんが手がけてらっしゃいますよね?比べてみていかがでしょうか?
松永:
そう言われると、最近の『帰郷者』の方が大変でしたね。『帰郷者』は、翻訳していて苦しかったです。小説が長かったせいもありますけど。シュリンクは教養のある人なので、ドイツ語の合間にフランス語、イタリア語、英語とか外国語がよく出てくるんですね。『逃げてゆく愛』とかは、イタリア語が結構分からなくて苦労しましたね。その点、『朗読者』の場合はそういう問題はなかったというのはあります。
B-WAN:
原作者のベルンハルト・シュリンクさんとお会いしたことはありますか?どんな印象を受けたでしょうか?
松永:
何度もお会いしました。主人公とは違って(笑)、堂々とした感じの、女性に気をつかうタイプに見えました。堂々たる学者という感じの方ですね。でも、『朗読者』に描かれた主人公とお父さんとの関係なんかは多少、個人的なものが反映されているのかなと思います。お父さんは有名なキリスト教の神学者で、戦争の時には戦争反対の立場を貫いた人のようです。主人公が法学を学ぶ人で、離婚経験があるところも似ているかもしれません。*「朗読者」から「愛を読むひと」へ
B-WAN:
今回、アメリカで映画化された「愛を読むひと」をご覧になって、松永さんはどのように感じましたか?驚かれたことや、想像していたのと違った点があれば教えて頂きたいのですが。
松永:
それはすごくいろいろありました。メディアが変わると表現がこんなに違うんだなと感じましたね。小説では男性側の一人称の語りなので、私自身も訳していて、ハンナという人が何を考えて、こうしたんだろうと思うことがいっぱいあったんです。それが映画では、ハンナ役のケイト・ウィンスレットが、言葉で語るわけじゃないんだけど表情の端々に、演じる彼女自身が想像しながら表そうとしているものが、肉体を持って表現されているなと思ったんです。映画のパンフレットにも書いたんですけど、ケイト・ウィンスレットの演技が非常に良くて、小説を読んだ時より、ハンナという人が存在感がある感じがしました。
B-WAN:
ハンナ役のケイト・ウィンスレットは、翻訳されているときにイメージしていたハンナと近かったのでしょうか?
松永:
いや。私は、あんなきれいな人じゃないと思っていて、逞しくて四角い顔のガッチリしたタイプの人を想像していたんです。でも、ケイト・ウィンスレットも努力して、思ったより粗野な感じをうまく出していたので驚いたんですけど。彼女はもっと上品な役だってできるじゃないですか。最初はニコール・キッドマンの予定だったんだそうです。ニコール・キッドマンが妊娠したのでケイト・ウィンスレットに代わったらしくて。原作者のシュリンクさんはケイト・ウィンスレットを最初から自分のイメージの中にあったと言っていますけど。川本三郎さんとかは、「これは絶対、メリル・ストリープだ」とおっしゃっていて(笑)。
B-WAN:
つい主人公のミヒャエルとハンナの年齢の差に目を奪われがちですが、ハンナの持つ逞しさ、粗野さは、それとある種の老いたイメージは、同時に階層の差であるようにも感じました。このあたりは、小説と映画では描かれ方にどのような違いがあるのでしょうか?
松永:
そうですね、原作も階層を意識させる物語なんだと思います。小説では、ミヒャエルのお父さんの書斎にいって「これ、全部、お父さんが書いたの?」という場面があるんですけど、映画のポスターには使われていたのに、映画の中ではカットされていました。そういうところで、教養市民層とほとんど学校に行けなかった労働者層の、大きな違いを感じさせる場面がいくつかあったんです。でも映画だと逆に、個々の場面で見せなくても、さまざまな場面で階層の違いが示されていたと思います。たとえば、映画の中で描かれるミヒャエルの家とハンナの家の様子や、ミヒャエルの家族の食事の場面を見ると、食事の仕方、使っている食器の違いに気づかされます。ハンナが話す英語も、それを意識してぶっきらぼうな、教養がない人の話し方を意識しているなということは思いました。
B-WAN:
それ以外でも、小説と映画の違いを感じた場面はありましたか?小説と映画というメディアの違いをどんな風にご覧になったでしょうか。
松永:
やっぱり小説だと、すべてを少年の一人称の語りで聴きますよね。それと、画面で絵として見る映画は、視点が全く違いますよね。逆に、映画になると少年の語りがほとんどないですよね。基本的にはずっと絵として見せていくし、そこでは常に男性も見られ続けている。ナレーション的なものが最後にちょっと入ったりもしますけど。あともう一つ、映画というメディアの、小説にはできない技だなと思ったのがありました。小説にはなくて、新しく付け加えられた最後の場面なんですけど、娘を連れて教会にいくところがありますよね。そこでBGMとして流れてくる音楽が、ハンナとミヒャエルが自転車旅行に行った時に立ち寄った教会で、聖歌隊が歌っていた音楽だったと思うんです。音楽を重ねていくことで、教会にすごく意味を持たせることができているというか、そういうことを暗示させていることができているというのが、映画にしかできないなと。
B-WAN:
映画を見たあとで、改めて小説を読み直すと、また違った印象があるでしょうか?
松永:
私は映画は映画で、結構気に入ったんです。でも、男女関係とか階層の問題を考えていくと、実はヨーロッパに古くからある、いいところの坊ちゃんが女中と関係を持ってしまって、女中が身ごもっても破滅していくのをどうしようもなく「ああ、ぼくはこんなことをしてしまった」ということで、ズルズルいっちゃうみたいな話にも似ているかなと(笑)。そう思ったら急に腹が立ってきましたけど(笑)。ゲーテも『ファウスト』の中にグレートヒェンという女の人が出てきますけど、あれだってまさにそんな感じですよね。グレートヒェンはファウストと夜をともにしたばっかりにお母さんもお兄さんも、自分が身ごもった子どもさえも死ぬことになってしまって、破滅して死刑になることまで決まって、それをファウストは助けきることができずに、第一部が終わるんですけど(笑)。ホーソンの『緋文字』というのもありますよね。アメリカの開拓地で未婚のまま妊娠して「誰の子を妊娠したんですか?」と追及して、実は牧師の子なんだけど、牧師はそれを言えないから女の人も絶対言わないで、女の人だけが罰を受けるみたいな。
映画「愛を読むひと」公開記念 松永美穂さんインタビュー(下)に続きます。
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