
この春から始まったNHKの朝ドラ「虎に翼」があちこちで話題になっています。主人公寅子が、理不尽だったり不可解だったりする場面に出くわしたとき、大きな声でつぶやく「はて?」がいいと毎日新聞のコラムは書いていましたし、参議院議員の福島みずほさんも自身のメールマガジンに書いています。
「日本で初めて弁護士になり、後に裁判官になった三淵嘉子さんをモデルとした話。法学部に行き法学を勉強し弁護士になった自分の出発点を見るようでワクワクする。嘉子さんを演ずる寅子さんだけでなく、いろんな女性がいて、それぞれ悩みを抱えながら、支え合っているということにも励まされる。」
と。そして、ドラマの中で話題となっている明治の民法の条文も紹介しています。
妻は婚姻によりて夫の家に入る
妻は無能力者
夫は妻の財産を管理する
子はその家にある夫の親権に服す
「妻は無能力者」など、全くひどい条文ですが、それが厳然と生きていた時代の話なのです。
わたしも、先月、このコラムで女性の医師第1号の荻野吟子を取り上げた縁もあって、日本で初めて弁護士になった人がモデルというので興味を持って見ています。それまで男しかいなかった分野に女性が飛び込んで、道を切り開いていくのですから、それはそれは辛く苦しい困難な道だったろうと想像しかできなかったところに、実際のそのいばらの道を100年後に見せてくれているわけです。
ドラマに入ります。
初めて設立された明律大学の女子部に70人の女子学生が入ったのですが、その課程を修了して本科に進むことができたのは5人しかいなかったというだけでも、その厳しさはわかります。この5人が今後どんな険しく厳しい道を乗り越えていくのでしょう。5人の同級生全員が弁護士になれるといいと応援しながら見ています。
中でも、わたしはこの5人の女性のことばに興味があります。5人の女性とは、主人公の猪爪寅子、男装の山田よね、弁護士大庭徹男の妻梅子、華族の娘桜川涼子、朝鮮からの留学生の崔香淑です。
よねは、いつも口をしっかり閉じて怒ったような怖い表情をしています。寅子たちが登校した初日に、男子学生を代表して、リーダー的存在の花岡悟が、歓迎のスピーチをします。あなた方は開拓者だ、男女平等の世を切り開いていく人たちとして尊敬していると。それに対してよねは言います。
よね:あいかわらずおめでたいやつらだ、すぐに化けの皮がはがれる。
いかにも女性の立場を理解して応援しているかのようなスピーチに、他の女子学生は嬉しそうな表情をしますが、「すぐに化けの皮がはがれる」と、よねは冷静です。「おめでたいやつら」と、男性用語とされる「やつら」のような乱暴なことばを使い、「やつらだ」という強い断定の表現をします。「化けの皮がはがれる」も、動詞の終止形のみで言い切っています。
さらに花岡は、男子学生と女子学生が親しくなるためにとハイキングを提案します。
花岡:ハイキングにでも行きませんか。
よね: くだらない。
他の女子学生はにこにこして「いいわね」など言っていますが、よねはにこりともせず、「くだらない」と切り捨てます。花岡の提案に対して、男子学生の中でいちばんマッチョな言動をする轟太一が難癖をつけます。
轟:女は男と体力が違うから、一緒にむりだ。
この女性差別発言に、よねは黙っていません。
よね:行く。お前より早く山に登りきる。
男性より弱いと言われたのには猛反発して、ハイキングなどくだらないと行かないつもりだったのを撤回して、「お前」より早く頂上に登って見せると断言するのです。男性語とされる「お前」を使い、「行く」「登りきる」と動詞の終止形で言い切ります。男装している人物にふさわしいことば遣いをさせているわけです。こうしたことばを使わせることによって、この人物がただファッションとしての男装をしている女性ではなく、強い意志と信念をもって難関である弁護士に立ちむかう人物であることを示しています。
もうひとつ、私の長年のテーマである配偶者の呼称に関して、「そう、そう」と肯いた場面があります。少し長い引用ですが、弁護士大庭の妻梅子のことばを中心にそのやりとりを見ていきます。
あるとき、主任教授の穂高重親が体調を崩して、代理で大庭が教えることになります。大庭は学生たちの受けを狙って、わざと妻をけなす発言をします。その授業の後で梅子は、クラスメート全員を、行きつけのお汁粉屋に誘います。
梅子:主人の授業を真面目に受けてくれたお礼よ。
というわけです。
その夫は、外に妾がいて帰ってこないこともよくあります。妾がいることは学生たちも知っていて、花岡や轟は、社会的に活躍する有能な男が妾を持つのは当然だと話し合っています。
5人の同級生たちが、どうして法律を学ぶようになったのか、それぞれ話し合うシーンがあります。
梅子:夫と離婚するために私は法律を学んでいる。ただ離婚しても子どもを渡すわけがない。私は子どもの親権がほしい。
よね:むりだ。
梅子:そうね、民法877条には「子はその家にある夫の親権に服す」とある。今の法律では、離婚して大庭の家を出る私に子どもたちの親権を付与されることはありえない。それでもやらないといけない。今はダメでも、糸口を必ずみつけてみせる。長男はもう無理かもしれない、でもせめて次男とこの子は絶対に夫のような人間にしたくない。
寅子:どうしてもっと早く言ってくれなかったの。
梅子:だって、皆さんが私を好きになってくれたから。妻としても母としても何も誇れない、こんないやな女の私を。
崔香淑:いやな女なんかじゃない。梅子さんは入学式でも私を輪に入れてくれた。いつもだれよりも先に声をかけてくれた。梅子さんがいなきゃ、きっと私は今ここにいない。
梅子は、お汁粉屋に学生たちを誘ったときは、大庭のことを「主人」と言っていましたが、離婚を考えている相手としては「夫」と呼んでいます。この配偶者の呼称の使い分けに、梅子の意識の差がはっきりと表れています。弁護士の妻として、依存し従属しているときは「主人」ですが、離婚を考えている配偶者は「夫」なのです。昭和初期のことですし、福島さんが紹介している民法のように、「妻は無能力者」とされているのですから、配偶者は「主人」と呼ばざるを得なかった。でもその無能力者から「今はダメでも、糸口を必ずみつけてみせる」と決意を述べる女性に変身すると、「夫」という対等の関係を示すことばを使うことになるのです。こうした「主人・夫」の語の選択は、現在の妻たちの選択にも共通しています。
そして、最後に、梅子のことばの力強さをみていきましょう。お汁粉屋に誘ったときは「…お礼よ」と言っていましたが、この決意表明のシーンでは「お礼よ」の「よ」のような終助詞は一切使いません。「夫と離婚するために私は法律を学んでいる」、「私は子どもの親権がほしい」、「民法877条には…とある」、「今の法律では、…はありえない」、「それでもやらないといけない」、「今はダメでも、糸口を必ずみつけてみせる」などなど、動詞も形容詞も補助動詞もみな、文末は終止形です。文末をやわらげたり、あいまいにしたりする終助詞や助動詞を全く使わず、強くはっきりと断言しています。
それに呼応して、日ごろは「です」「ます」の敬体で話す留学生崔香淑も、「いやな女なんかじゃない」、「梅子さんは…輪に入れてくれた」、「だれよりも先に声をかけてくれた」「梅子さんがいなきゃ、きっと私は今ここにいない」と、常体で強く言い切ります。
このふたりの女性のことばは、専制的な夫に従属する妻、植民地からの留学生という弱い立場のふたりが、実は非常な決意を秘めて、今後の苦難に立ち向かっていくという予告になっているとわたしはみています。
ドラマの今後の展開も興味津々ですが、ドラマの中で登場人物が話し合うことばにも注目してみてください。現代の私たちのことばを考えるヒントもたくさんありそうです。
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