図 1野営キャンプ、デモ三日目(4月20日撮影)

4月18日、ニューヨークマンハッタンにあるコロンビア大学の学生108人が、キャンパスの中心部でニューヨーク市警察によって逮捕された。中東ではパレスチナ情勢が混迷を極める最中、コロンビア大学の学生らはガザでのイスラエル軍による軍事行動に反対するとともに、ガザでの虐殺から利益を得ている企業に対して大学が行っている投資の撤退を求めて、去年の10月以降デモ行進を繰り返した。数日前に行われたコロンビア大学学長の連邦下院での証言をきっかけに、「ガザ連帯の野営キャンプ (Gaza Solidarity Encampment)」をキャンパス内に設置し、数十張りのテントが緑地を埋め尽くした。これらはいずれも平和的かつ非暴力的な運動であったが、コロンビア大学学長は学生らによるキャンパスの不法占拠をニューヨーク市警察に通報し、これらの運動に参加している学生らの逮捕を要請した。また逮捕された学生のほとんどは、大学側からの措置として停学処分が下された。一部の学生は大学敷地から追放され、学生寮の部屋を15分以内に空け渡すよう命じられた。無論、15分以内で部屋を片付け荷物をまとめて退去するのは現実的ではない。さらにアメリカの一般的な大学では、学生寮に住み、食事を含めたすべての生活基盤がキャンパス内で完結するようなシステムであるため、キャンパスへのアクセスの剥奪は、学生の基本的な生活が奪われることを意味する。

学生の逮捕が起きてからキャンパスの空気は極めて異様だ。ニューヨーク市警察のものと思われる何台ものドローンが上空を飛び回り、監視活動を行っている。デモに参加していない学生であっても、ドローンや固定カメラによる監視から逃れようとマスクや帽子で顔を隠しながらキャンパス内を移動する。ドローンは学生が生活している寮の窓のすぐ外を飛んでいることもあり、保護されるべきプライバシーの侵害など、監視に関する懸念も高まっている。

普段であればこのキャンパスは、至る所で学生が本を読んだりピクニックをするような、平和的でとてものどかな場所である。さらに毎年、卒業式を間近に控えたこの時期には、広大で風光明媚なキャンパス内のあらゆる場所で学生が卒業写真を撮影し、春風が舞い込み幸せなムードに包まれている。それが今年は一転して、キャンパスから笑顔は消え去り、デモ隊の掛け声とパトカーのサイレンの音だけが響き渡る。

“Free, free Palestine! Free, free Palestine! Columbia, you can’t hide, you’re supporting genocide!” ―「パレスチナに自由を!パレスチナに自由を!コロンビアよ、隠れることはできない!大虐殺の支援者よ!」

午前1時になっても、寮の部屋からデモ隊の声が聞こえる。朝9時に起きても、デモ隊の声は続いていた。

図 2 コロンビア大生と外部デモ隊(4月20日撮影)

部屋から聞こえるデモ隊の叫び声の主は、コロンビア大の学生ではなく、なんと大学外の一般人である。コロンビア大生の抗議運動を応援するため、数百人の一般人が毎日、大学の周りに集まって来る。このため、キャンパス内外には数百人単位の警察官や機動隊員が配備され、学生が授業や学生食堂に行く際に何十人もの警備員の前を通過して移動せざるを得ない。ニューヨーク市警察、略してNYPDは大都市ニューヨークの治安を守る有名な警察組織であるが、人種差別に関連した残虐な暴力行為を覚えている市民の中には、NYPDに対して恐怖の印象を持つ者も少なくない。

大学キャンパスにおけるこれほど多くの警察官や機動隊がいる景色は、平和な環境で学業に勤しみたい学生には威圧感をもって映る。この殺伐とした雰囲気は、キャンパスの治安維持という名目で、学長が本来守るべき自らの学生を警察に引き渡してしまった結果だと言えよう。ここにいる警察は、私たちコロンビア大学の学生を守るためなのか、それとも監視や逮捕をするためにいるのか分からなくなる。

このような混乱の中で、学生の不安と怒りは募る一方だ。野営キャンプのデモが始まり、多くの学生の逮捕や停学処分が行われてから数日経過したものの、大学の代表である学長からのメッセージは未だ聞こえてこない。キャンパスが実質的にシャットダウン状態で、週明けからの授業の見込みや、逮捕や停学処分に関して大学の公式な発表はないままの状態だ。このような混乱が続く中、SNS上ではミスインフォメーションやディスインフォメーションが多く飛び交い、憶測による噂がより一層、学生を疑心暗鬼にさせている悪循環が見て取れる。

図 3 大学の周辺で待機している警察(4月18日撮影)

コロンビア大学は、1968年に起きたベトナム戦争への反戦運動を含め、盛んな学生運動の歴史を持つ。大学は学問の自由を尊重し、学生が自由に学問を追求できる環境を提供するという責務を担っており、それを求めて全米、いや世界中から多くの学生がここに集まって来る。私はこの伝統あるコロンビア大学の学生であることを誇りにしているが、しかし現在のこの混沌を見ていると何か後ろめたさに似た感覚すら湧いて来る。

その理由は、今この大学は民主主義社会における教育機関としての使命を果たすことに失敗しているように思われるからだ。時には互いの意見や価値観が対立することもあるかもしれないが、私たち学生は広い視野に触れ、刺激を受けることによって、周囲に対する理解と尊重の精神を養う。しかしこの大学における昨今の流れは、自らの学生に自由に学問を追求する環境を奪っただけではなく、基本的な人権すら侵害しているとまで言える。実際に多くの学生団体、さらにこの大学の教授陣までもが学生に対する不当な処分とキャンパス内への警察官や機動隊の立ち入れを非難している。大学は学生と共にあると主張しながらも、実際には学生を突き放し、弾圧しようとしているのである。互いの意思を表現する場や、対話の場を閉ざしてしまったら今後の発展は期待できないものとなる。教育とは、少なくとも財や権力がものをいう世界ではなく、知恵と知識、そして人々の権利と人権が尊重される世界であるべきだ。このことは当たり前のようではあるが、残念なことに、今のコロンビア大学は学生からの信頼を裏切っている。

学生のデモ隊がキャンパス内に抗議を示す野営キャンプを設置してから4日が経った。参加者や賛同者が日に日に増えていて、民主主義の底力を体感している。今回のデモに直接参加しなくとも、間接的にこの抗議活動を支援している学生が多く存在する。皆それぞれの事情があり、参加したくても参加できない学生も多い。そのような学生は、毛布やカイロなどの物資の差し入れや、水分やお菓子などの食糧支援を行なっている。キャンプ内では互いに対する助け合いと思いやりの心で溢れている。皮肉ではあるが、野営キャンプに参加することによって、コロンビア大学に入学以来、初めて学生コミュニティを感じたと友人は語った。私たち学生や研究者、そして学生に寄り添う教授陣がコロンビア大学の心臓だと感じた。

週が明け本日(4月21日)から授業が開催されたが、授業の態勢について連絡が来たのはつい数時間前の午前1時14分だった。コロンビア大学の学長からのメールで明日行われる全授業はリモート授業となることが発表された。もうすでに寝ている教授や学生も多くいるだろう。教授たちも、授業形態を変更したりなど、多くの調整が必要だろう。一限目は午前8時10分から始まるというのに、このままで今日を乗り越えられるだろうか。大学側は、学生らからキャンパスの扉も、学問への扉も閉ざしてしまったのだ。第一には反戦と反ジェノサイドへの戦い、そして第二には大学による権力の乱用によって脅かされた、学問の自由と言論の自由に対する戦いは続く。