誕生を待つ生命 母と娘の愛と相克

著者:高良 美世子

自然食通信社( 2016-06-05 )

戦後最初の参院選で議員になった平和運動家、高良とみ氏の三女高良美世子著、二女の詩人、高良留美子編による『誕生を待つ命 母と娘の愛と相克』(新刊 現在にも通じる母娘関係を生きた少女の軌跡)が自然食通信社から2016年6月に出版されました。

高良留美子さんはこの本の出版後に過労のため緊急入院をし、その後も休んでいることが多いそうです。この著書は、83歳の高良さんを疲弊させたのでしょうが、それでも纏められる価値、必要のあった本でした。

自然食通信社の新刊紹介では、母とみ氏と美世子さんの母娘関係の葛藤を以下のように記している。
 
「日本がアジア侵略の野望を明らかにしつつあったころ、インド独立への闘いの中にあったガンジーを訪ねるなど果敢に行動していたとみであったが、侵略戦争への抵抗は挫折。そのうっ屈は幼い美世子への溺愛へと向けられる。戦後、平和運動家として解放され全力疾走する母の変容に戸惑い、母親喪失の深い傷を負いながらも、自分の人生を生きること、世界と関わることへ強い意思を「詩」「創作」「手紙」「日記」として表現しつづけ、母からの精神的離脱をはかろうと苦闘するなか、拒食症で18歳と7カ月の生涯を自ら閉じた美世子」。

美世子さんの中学1年(1949年4月)~高校3年(1955年3月)までの日記、親友、高階(石井)菖子さんとの手紙の往還、母とみ氏、父武久氏、祖母登美氏の便り等がおさめられている。 美世子さんは、「存在の不安」「神」生きる意味について思考し、「吐きたい欲望の感覚に直面しなければならない」、「ロカンタンは死ななかった」とも記している。

1953年(高校1年)には、以下のようなルオーの絵画作品についての感想が記されている。

「午後からルオーを見た。私の心のどこか片すみをとても悲しい激情と化する色。絵の中の道化たちや女たちは何一つよそからの力を受けつけない。一つ一つが何か霊の魂をもった顔。霊はそれぞれの人のかたちをして踊りながら、しやべったり歌ったり雑音をたてたりしながら、あの大きな黒いまなざしは、私を永遠に深い静けさの支配する夕闇に引きこむ。 あれは単なるモチーフとしてではない。芸術が人間の至高な激情の場であるときのものなのだ」。

題名は美世子さんの遺稿からとられた。「わたしにとっては、こんな哀れなみっともない自分でも、たった一つの生命であるのです。それも誕生を待つ生命なのです」。

亡くなった美世子さんの意志も受け継いで高良留美子さんは反戦、平和、命、循環する文明・・などのテーマを評論、詩等さまざまの形で追っている。

感想を下さった中に以下のようなものがあったという。

「(前略)高良さんの解説「加害する母の溺愛と戦時中の“うつ”――高良美世子の闘い」に引き込まれ、時間の経つのも忘れて、一気に拝読。ここまで、深く鋭く、ご自身を、ご家族を解剖なさった高良さんの誠実さと使命感に、感嘆しました」。

本書は、美世子さんが抱えた深い孤独・・に寄り添えきれなかった著者の悔いも含めた60年後の応えの一つかもしれない。

母に見捨てられた娘としての留美子さんから、公人として、私人としての高良とみ氏を冷厳に記述することも、書くことを選んだ娘の務めでもあり、それ以上に愛情でもあるのだろう。

以下は高良留美子さんの追悼詩です。
   
死んだ者へ

虚ろというには

あまりにもそれは痛く

痛みというには あまりにも

暗い憤怒(いかり)にみちている

きみがもう絶対に見ない

いわし雲をうかべた空を

私はこの虚ろの中から押しだしてくる

憤怒(いかり)をもってしか見ないだろう

きみがもう決してあらわれない

脂汗をうかべた人問の群れに

私はこの鉱石のような憤怒(いかり)を

投げこむためにしかあらわれないだろう

すでに殺されている人たちの間で

生きるとは

きみが死んだ死を

絶えず死ぬことなのか

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『誕生を待つ命 母と娘の愛と相克』(2500円+税)
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