にわか「山ガール」になって
「乳がん」の手術で右乳房を切除した直後、私はまっすぐ歩くことさえままならない状態になった。からだがふらつくと、精神的にもぶれやすい。気持ちがふさぎこみ、ますます内向的になってしまう。些細なことにも怒りっぽくなり、感情が抑えられない不安定な精神状態が続いた。からだを動かしたほうがいい、細胞を活性化させるにはスポーツをはじめなければ、と頭ではわかっていても、ひきこもり状態だった私は、何もできずにいた。
そんな内向的な心の状態に大きな変化を与えてくれたのは、長野県に住む私の親友だった。同じ町にすむ看護師で登山家のJさんを紹介してくれ、急いで山登りの計画を立て、私を山へと連れ出してくれたのだ。
私は昨今の「山ガールブーム」にも関心がなかったうえに、まさか自分が山に登るなど、考えたこともなかった。「山ガール」の女性たちはウェアもカラフルでおしゃれだ。しかし、金銭的にも余裕がない私は、登山用のウェアにお金をかけられない。何を着ればいいのか迷っていた時、子どもが着古したサッカーの練習着があるのを思い出した。小学校の高学年の時のものだ。あの頃の息子の身長は165センチ。私の身長と同じだ。引っ張りだして着てみると、サイズもぴったりで、生地がクタクタになるほど洗濯しているため、肌触りもやわらかい。汗でベタベタすることもなさそうで、綿素材のものよりはるかに軽い。周囲の目線など気にしなければ、最適なウェアになると思った。
子どもの衣類は、成長して着られなくなってもなかなか処分できない。可愛かった頃の思い出がいっぱい詰まりすぎて、手放すのがつらい。だがこうして再利用でき、子どものものを自分が着られると思うだけで、何だか嬉しくなった。
買わなければならないのは、しっかりと足を守ってくれる登山靴と、雨具だけである。雨具は急な雨に対処するためになくてはならないらしい。たかが小雨ぐらいと、たかをくくるとからだが急激に冷え、体力を消耗する。リュックサックと専用カバーは登山家のJさんに借りることにした。
何も考えない心地よさ
いよいよ標高1917メートルの飯綱山に登る日がやってきた。親友の夫や、近所の友
人も誘って、総勢6人で山頂を目指す。登山家のJさんのすぐ後ろについて、大股にならないように気をつけ、もくもくとあるきはじめた。
ほとんどの登山者はスティックを地面に付きながら登っている。それによって、からだを安定させ、また滑ったりする危険からも逃れられるからだ。しかし、私は手術で乳房を切除した影響で、右手を動かすと脇がつってしまい、上手く使えない。腕に力も入らない状態だったので、スティックを使うことはあきらめた。
登山道で行き交うひとたちから、
「スティックなし(・・)で登るなんて、すごいですね~」と度々思いもよらない反応があったが、事情を話す気持ちにもなれず、ニコリと微笑んで聞き流した。スティックを使っていない分、私は瞬時にからだのバランスがとれないことがよくある。他のメンバーがさっさと登っているというのに、これ以上ぐずぐずしていては仲間に迷惑をかけてしまう。軽快に歩いていく仲間に、なんとか遅れをとらないようにとあせりながらも、自分のからだをいかに安定させられるかをいつも考えた。
石ころや岩がごろごろある山道で、試行錯誤しながら、左右に揺れてしまうからだのバランスをとっているうちに、腰の位置と足の踏み込み方で、安定して歩けることが次第にわかってきた。要はからだのバランスが崩れて揺れるからだを、一歩さきに予測すればいいことに、気がついたのだ。そのことによって、スティックを使わないでも、自分のからだの中心をフラフラさせずに登れるようになった。
リュックサックの中では、親友が用意してくれた、昼食用のおにぎりが2個、背中で揺れている。登山家のJさんと親友の後ろ姿を見ながら、彼女たちが私を元気にしようと思ってくれていることへの感謝の念が無性に湧いてきて、私は思わず目頭を押さえた。
自分のことは案外わからない
登山は精神面でもプラスに働いた。「体幹」を意識しながら、歩くことだけに気持ちを集中すると、余計なことを考えなくてもすむ。雑念が少なくなり、頭も軽くなるのだ。
たいしたものは入れていないが、結構重くなってしまうリュックサックを背負いながら、デコボコ道を歩いていると、自分の足を前に進めることだけに必死になる。必然的にもう何も考えられないのである。何も考えないというのは、こんなに気持ちのいいことなのだ…とはじめて知った。
今では、多くの中高年女性が山に登りたがる気持ちがよく理解できる。登山をしている時間は、その時自分が抱えているさまざまな問題や、何かと気にかかることから、一気に解放される。
さらに、山が教えてくれたことは、どんなにつらいときでも、一歩足を前に踏み出せば、いつかは必ず頂上につくということである。ごくあたり前のことだが、私たちは日常のなかでこうした一歩前に進む行為が、どれほどの意味を持っているか、気づく機会はなかなかない。気持ちが沈んでしまって、問題解決の突破口が見えないとき、何か行動を起こす気力も萎えてしまったとき、私は山で経験した、この一歩の大切さを思い出す。
さらに、登山家のJさんが
「あなたは登山に向いている!」と私を持ち上げてくれたせいで、調子に乗った私は、白山、富士山、さらに北アルプスまで登った。
手術から4年目の夏には、2度目となる富士山の頂上にも立ち、再びご来光を拝むことができた。自分の意志とは関係のないところで、友人たちが導いてくれた登山…。「乳がん」の手術以降、心身ともに自信を失ってしまった私には、想像すらできなかったことである。