山を登りはストレスに強い脳をつくるだけではなく、美容や健康にもよいといわれている。
そうした「いいことづくめ」の言葉を信じて、私は登山をはじめたわけではないが、実際にやってみると、その言葉がつくづく正しかったと感心した。
特に富士山の山頂で、雲よりも高い位置から地上の広い風景を眺めて以来、あまり細かいことに囚われすぎないようになった気がする。
富士山は聖なる場所であることも、登ってみてつくづく実感した。なぜなら、富士山は自分の力で登ったというよりも、山の神様に許され招かれたように感じたからだ。
山に登ると、血行はあきらかによくなり、顔色がさえる。素顔に日焼け止めを塗っただけの顔でも、みんななんとなくきれいに見えるのはそのためだ。
そして何より、今度どんな山に登ろうかと、山友達と次の登山を計画しているだけでも、気持ちがワクワクしてくるのだ。
登山の効用は、精神面だけではなく、体幹を意識することにもつながった。
山に行くと「歩く・休む・食べる」、この三つが基本だ。そのほかにすることはないといってもいい。
登山道に咲いた小さな花々を見つめる。
樹々の悠然とした姿を仰ぐ。
空の移り変わりに心を奪われながら、ただボウーっとする。
それだけで、なんと気持ちがいいのだろう!
私と同じように乳がんの経験者である、山友達のMさんがいっていたように、
「ひとつひとつ、がん細胞を踏みつぶすように意識しながら歩く」
というイメージトレーニングもできる。
自分の呼吸や足の運び、体感に意識を集中すれば、時折、突然湧き上がってくる病気への不安や余計な考えも消え去ってしまう。
もともとがんという病気は、自分のからだのなかから作り出したものである。つまり自分のからだの一部分に他ならないのだ。
もう5年前になるが、名古屋で行われた「乳房再建」をテーマにした講演会で、ゲストとして招かれていた、乳腺専門医であるN氏の印象的な発言を思い出す。
「がんもあなたの〈個性〉のひとつですからね…」
人工乳房による形成術の実績を持つ医師が、専門家ならではの見解を示しながら、〈個性〉という括りで、がん細胞を位置づけた話は刺激的だった。
それは言い換えると、
「憎悪の対象としてがん細胞を捉えるのではなく、自分の一部として認めることから、新しい生き方をはじめませんか!」
という提案でもあった。
それは同時に「生活習慣を変えることでがん細胞の増殖を防げる」という助言でもあり、「実践するかしないかによって、あなたのこれからの人生はかわりますよ」という、専門医からの心強いメッセージでもあった。
がんを患ったひとなら、誰でも、自分がこの病気にかかったことで、一度は自分自身のからだに裏切られてしまったような、切ない気持ちになると思う。
私も自分を苦しめる病気を、心底憎んだ。
だが、よく考えてみると、私のからだは、なんらかの要因があって、がん細胞を生み出してしまったのである。
そのことを許し、これからはそうした間違いが起こらないようにできるのなら、自分自身を責めずにすむ。
病気が取り入りこむ隙間を作らない。健全な細胞が活性化していくような生活を手に入れるために、自分の体幹を鍛える。
そして、凝り固まったからだを緩める時間を、毎日の生活のなかに意識的に組み込んでいくことで、心もからだもぶれない自分を創りあげていけばいいのである。
山に登っている、あのときと同じように、
「無理せず、ゆっくり、ゆっくり…」
私は日常生活のなかで、しばしばそう自分にいいきかせている。

名刺サイズの小さな作品。Facebook のページより~ Setsuko Nakamura
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