少し古いですが、万葉集の防人の歌を思い出してくださいませんか。

 「駆けつけ警護」―なんとも変な日本語です―で南スーダンへ飛び立つ自衛隊員とその家族の別れの場面から、防人を連想した新聞記事もありましたが、ここでは防人の歌の中の両親を指すことばについて考えてみます。

父母が頭搔き撫で幸くあれて、言ひし言葉ぜ忘れかねつる  20-4346丈部稲麿 (=父と母が私の頭を撫でて、幸せになるようにと言った言葉が忘れられないことだ)

旅行きに行くと知らずて母父に言申さずて今ぞ悔しけ   20-4376川上老 (=遠くに行くと知らなくて、母と父に言ってこなかったのが今はほんとに悔しい)

 どちらも、両親と別れて遠く辺境の地の守備隊として赴いた若い兵士が、親を思う気持ちを切々と歌ったものです。ここで、両親を表すことばが「父母」と「母父」とふたつあることがわかります。(「母父」は「あぼしし・おもちち」などと呼ばれたようです。)現代語だったら「父母」と言い「父母会」と言うだけで、「母父」とは言いません。父親はほとんどいなくて、大部分が母親の会でも「母父会」とは言いません。「母父」は古語辞典には載っていますが、現代語の辞書にはありません。

 万葉集のできた奈良時代の人は「父母」も「母父」も使っていたのですね。父のことを先に言いたいときは「父母」と言い、母を先に思い浮かべるときは「母父」と言う、という自由な発想があったことが窺われます。

 留学生に日本語を教えていて、初級のころはよく家族のことを言わせたり書かせたりします(最近はプライバシーの観点から、みんなの前で表現することに慎重になってきてはいますが)。身近なことの方が覚えやすいし、まだ語彙が少なくても家族の事なら言いやすいと思う学生が多いからです。手紙の練習では、「お母さん、お父さんお元気ですか」と書き始める学生が圧倒的に多く、また「日本への留学を母と父に相談しました」とやはり母が先になるのが多いのです。 日本の中学生は作文で「母と父に相談した」と書くでしょうか。書いたとしても先生は「父と母」に直すのではないでしょうか。

 万葉集の時代ではどちらでもよかったのに、現代ではどうして「父母」だけになってしまったのでしょう。長年知りたいと思っていたのですが、最近そのなぞが解けました。石井公成氏の「仏典漢訳の諸相」(『日本語学』2016年9月号)という論文です。仏教の経典は漢字に訳されてアジアの国々に伝わったのですが、そのもとになるサンスクリット語のテキストと漢字訳とを比較した研究が報告されています。

 石井氏は、サンスクリット語のテキストには「孝」に相当する語はないのに、漢字訳の経典では「孝」の語がたくさん使われていると紹介したのち、次のように述べています。

 それどころではなく「父母」という言葉に当てはまる表現も見当たらなかった。対応していたのはmata-pitr〔サンスクリットの表記ができません。aの上に-、rの下に・がついています、遠藤注〕(母父)などの語だった。インドでは両親を指す場合は「母父」と呼ぶのが普通なのであって、個別に言う場合でも「母は~父は~」などと述べる場合が少なくないのだ。 しかし、儒教が浸透している中国では、そうした表現は不自然に聞こえるばかりか倫理の点からも許容できない。このため……ほとんどの漢訳経典ではこれを「父母」と訳している。そうした途端に、母より父、女性より男性を尊ぶ儒教の価値判断が加わってしまうことになるのだ。(P47)

 もともと、インドでは「母父」だったものが、儒教の価値判断の結果「父母」に逆転してしまったというのです。日本では奈良時代はまだ儒教の影響を受けていなくて、母が上位のことばも使われていた。それが時代が下って儒教思想が強くなると「母父」は許容されなくなり、「父母」に一本化されてしまったということでしょう。その価値判断が脈々と続いて、現代の日本語でも「父母」しか認めないという偏向が残っているのです。 本来日本語にあった「母父」が無理やり「父母」にさせられてしまったのです。

 そうである以上、父でも母でも、表現するときのウエイトのおき方で「父母」でもいいし「母父」でもいい、という古代の先人たちのおおらかさにみならいたいものです。そして、儒教によって抹殺されてしまった「母父」を取り戻したいものです。