アルゼンチン共和国(以下、アルゼンチン)と聞くと、みなさんはどんなことを想像されますか? スポーツが好きな人に聞けば「サッカー」と返答する人もいるでしょうし、音楽が好きな人やダンスを趣味にされている人に尋ねると、「タンゴ」と言われるでしょう。日本からは、アメリカを経由して飛行機で36時間。日本の裏側に位置するアルゼンチンには現在、11,726人の邦人が生活をしており、卸売業や小売業、運輸業や郵便行業、金融業や保険業などの業種から54企業が進出しています(海外在留邦人数調査統計:平成28年、外務省)。中南米第3位の日系人大国(第1回掲載参照)でもあるため、その背景を知る人にとっては「日本と関係の深い国」と話す人もいます。
プレジデンテ・ロケ・サエンス・ペーニャ通りにて。週末のアルゼンチン首都ブエノスアイレスでは、至る場所でタンゴを踊るエンターテイナーを見ることができる。
1996年、イギリス人のアラン・パーカー監督がアメリカで作成したミュージカル映画「エビータ」はご存知ですか。これは、アルゼンチン大統領(第29並びに41代)のファン・ペロン(以下、ペロン)の妻、エバ(以下、通称エビータ)に焦点を当てた作品で、彼女が群集を統一し、後の女性副大統領の地位にまで上り詰めようとした姿を、まるで画家のウジェーヌ・ドラクロワが画いた「民衆を導く自由の女神」を髣髴(ほうふつ)とさせるかのように描きました。翌年には日本でも上映され、日本の人々がアルゼンチンを知るための媒介にもなりました。

アルゼンチン大統領官邸(Casa Rosada)にて。建物内に飾られたファン・ペロンと妻エバ(エビータ)の肖像画。週末には多くの観光客が見学に訪れる。
実はエビータの姿を知る手立てはほとんど残されておらず、歴史から推測するしかありません。1900年代のアルゼンチンは寡頭制で、労働者が劣悪な労働環境を強いられていました。早い段階で労働組合が形成されていたものの、民衆は保守層の激しい弾圧下にあり、その改革の先頭に立ったのがペロンでした。一方のエビータは19年にアルゼンチンの片田舎で生まれ、15歳で首都ブエノスアイレスへとやって来ます。そして、日系人が経営するカフェなどで働いた後にラジオドラマの声優や映画女優として活躍し始めた頃、ペロン(当時の肩書きは三つ、副大統領・国防大臣・労働局長)と出会います。国力を増大させるために政治や経済を含んだ社会的動因に着目したペロンは、労働法の整備や低所得者の社会福祉制度を打ち出します。ところが、ペロンが労働者保護の政策を掲げて民衆支持を集めたことに危機感を覚えた保守派が、45年に彼を拘束。群集がその釈放を求めてブエノスアイレスの「5月広場(Plaza de Mayo)」に結集した際に、国民に向かって呼び掛けながら人々を支えたのがエビータでした。その後、大統領となったペロン政権下では初の女性参政権が認められ、エビータはその中心的役割を果たします。「近代世界は全てが男性の物差しで成り立っており、行政府に女性はいません。国会にもいません。国際組織ですらいません。我々(女性)が男性と共同の運命を持っていないとでも言うのでしょうか? 男性の共通認識とは反対に、我々は活動の場、その内部でより良く生きるという信念を持っていると私は考えています。何故ならそれは、私自身が政治活動と社会活動の中で目撃した事実だからです(著者による略訳文)」。唯一の自伝とされる書物には、彼女が語った公的領域における女性の参加に向けた言葉がこのように残されており、この活動が後に「非暴力主義の抵抗運動の象徴」としてクローズアップされることにつながります。
アルゼンチン大統領官邸(Casa Rosada)前の5月広場(Plaza de Mayo)にて。アルゼンチンの歴史はここから始まった。
アルゼンチンが「男女平等ランキング(ジェンダーギャップ指数)」の上位に位置する理由は、このような歴史的背景が関係しています。
私が滞在中に視察した一つに、「アルゼンチン日系センター」という若手日系リーダーの団体があります。同団体は、アルゼンチン社会を盛り上げ、日本とアルゼンチンの架け橋となるための取り組みを積極的に行っています。歴代会長の小木曽(こぎそ)モニカさんは、アルゼンチンの日系社会で初の女性会長となった人です。彼女は主にメディアの仕事に就いており、日本で放映されるアルゼンチン番組の現地コーディネーターなどを行っています。
モニカさんが会長に就任したのは17年前(2000年)。中南米日系社会では世代間の隔たりが深刻化し、日本語を話す一世(親)と日本語を話せない二世以降(子供)によるミュニケーション問題や、日本文化と日本語継承を如何に取り組んで行くのかといった問題が表面化していました。また、当時の日系社会は男性だけで組織されており、そのような中で彼女はたった一人の女性として会議や会合に出席し続けます。アルゼンチン日系の若者の代表として、様々なアイデアや意見を投げ掛けるものの、就任初期は全く相手にしてもらえなかったと聞きます。追い討ちを掛けるかのように、アルゼンチンが経済危機に直面します。活動資金もままならない状況でも、彼女は、日系の若者が中心となる行事(講演会や日系リーダーのための勉強会)を実施したり日本のアーティストの公演などを企画したりしながら、若者が日系社会の中で認められるように奮闘し続けました。そんなアイデアと行動力で引っ張ってきた彼女の取り組みがあったからこそ、今では「アルゼンチン日系センター」を知らない中南米の人はいません。また、巨大で強固な日系の若者によるコミュニティーを中南米全土に張り巡らせており、今後の日本とアルゼンチンの関係強化のための中核を担うとまで言われています。

滞在中に参加した「アルゼンチン日系センター」主催による「DALE(アルゼンチン国際日系ユース交流会)2017」にて。中南米全土から代表に選ばれた若者達が集い、交流することで中南米の日系社会を盛り上げている。
アルゼンチンで活躍するモニカさんの経験は、日本の男女共同参画の構造に通ずるところがあるのではないでしょうか。
日本は女性がアクションを起こすことに過敏です。文化的側面もあるとは思うのですが、何か事を起こせば他者が足を引っ張り、頑張る人を応援すると言いながらも本音が違うことも多いと感じることが度々です。先人の先を行けば、それに対して不平を言う人もいます。最近流行しているお笑いの女性芸人の方が「日本は生き(活き)辛い」と発言しているのを見ると、豊かで安全な国で生活をしていても満たされず、悩みを抱える女性が増えている表れに思えます。また、数日前に読売新聞が掲載(2017年5月5日付け)した記事、「日本国内の主要企業の8割が女性管理職(課長相当職以上)比率を引き上げ」の内容を見ると、「2020年までに管理職比率を30%程度にする」という日本政府の数値目標には程遠く、女性正社員比率が横ばいにあることも踏まえれば不安は否めません。

読売新聞が行ったアンケート結果と記事は、読売新聞HP(http://www.yomiuri.co.jp/?from=ygnav4)から検索できます(掲載タイトル:女性管理職8%に増…政府目標の30%には遠く)。

アルゼンチン大統領官邸(Casa Rosada)にて。中庭をバックに撮影。
今回の視察中、私は、日本とアルゼンチンにおける生き方に対する考え方(捕らえ方)の違いを強く感じました。身体の作りが異なるという差異(出産による休暇制度など)は致し方ないと捕らえつつも、「女性だから駄目だ」とか「男性だから理解してくれない」といった考えは少なく、人々は「如何に自分が満足しながら過ごすことができるか」に重点を置いて生活をしています。ある時エビータは、「女性であることを放棄することは女性の男性化に他ならない(略訳文)」と発言しました。これは、女性が虐げられている現状に対して男性のように進もうというのではなく、男女が互いに寄り添いながら歩むことの必要性を語っています。今回ご紹介したモニカさんだけでなく、アルゼンチンには「日本をつなぐ橋渡し」として数多くの方々が活躍しています。彼らを動かす原点は何なのか? 次回はそんなアルゼンチン日系社会の様子をご紹介したいと思います。(つづく)
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