先月(2017年5月)18日から20日にかけて、アルゼンチンのマウリシオ・マクリ大統領が19年ぶりに日本を訪問しました。わずか2泊3日の滞在でしたが、分刻みの外交をこなしながら視察も行いました。滞在前からソーシャルメディアを活用し、日本へ向けたメッセージを配信するといった粋な計らいをしたり、渋谷のスクランブル交差点を歩く姿がFacebookで配信されました。首脳会談では、戦略的パートナーシップ・経済関係の強化・国民交流の三つの観点から二国間関係の話し合いが行われ、今後の日本とアルゼンチンの関係に期待が膨らんでいます。日本の対外協力といえば、今までは「支援や援助」が中心でしたが、新たに「連携」というキーワードが出され、その架け橋にアルゼンチン日系社会が深く関わっています。
今回の大統領訪問における話し合いも注目すべきことですが、実は、私が興味を抱いたことは他にあります。それは、マクリ政権下における女性活躍です。スイスのジュネーブに本部を持つ列国議会同盟(IPU)は、毎年、「各国議会の女性進出に関する報告書」を発表しています。今年3月に発表された報告書(2016年度版)で、アルゼンチンは16位でした。同国は、1991年に「クオータ制度」を導入しており、議員の一定数を女性に割り振ることが義務付けられています。そのため、ランキングを見た人の中には「クオータ制度で女性議員が増えただけだ」と揶揄(やゆ)する人もいます。しかし、前年の23位から上位に飛躍したことをみると、現在のアルゼンチン社会で女性の地位が高まりつつあるのは事実です。アルゼンチンは、上院・下院を含めた総議員数(329人)の内、130人が女性議員です。昨年5月に来日したガブリエラ・ミケティ副大統領や今回の大統領来日に同行したスサナ・マルコーラ外務大臣、そして、日系人唯一の国会議員であるアリシア・テラダ下院議員などを筆頭に、多くの女性が政治の舞台で活躍をしています。
歴史を振り返ると、国家が大きく変化を遂げるときには女性が活躍をしています。例えば、日本で初めて婦人参政権が認められた1945年も激動の年でしたし、アルゼンチンでエバ・ペロン(エビータ)が活躍して女性参政権を得た時(1946年)も国の過渡期でした。あれから約70年。政治と経済の不安定から混沌としていたアルゼンチンが、マクリ政権に変わったことで大きな変貌を遂げつつあります。そしてその影には、先にご紹介した女性議員などの働きが影響を及ぼしています。そもそも、政治分野における女性参画は、多様な民意反映のために重要なものです。しかしそのためには、男女のパートナーシップが必要であり、互いが性別的な違いの中で補いながら進んで行く、そんな平等な社会が営まれることが求められています。ところが、現実はそう簡単には進みません。日本では、女性が声を上げれば偏見の目を向ける人もいますし、意見を言えば遮られたりと、ジェンダー平等とは言い難い現実(実社会)が広がっています。しかし、日本とアルゼンチンでは、何故このような差(違い)が生じてしまっているのでしょう。
近年のアルゼンチンでは、多くの人が日系企業で働くことや日本への留学を望んでおり、今後、日本でアルゼンチン人(日系人を含む)に接する機会が増えることが予想されています。同国では、経済が不安定で雇用率が低下する中、安定を求めて資格取得を試みる人も増えており、その考えは日本人もアルゼンチン人も同じようです。友人の日系人と話をしていると、労働に関する悩みなどの話題も同じですし、特段、日本人との差異は感じません。ただ一つ。今回アテンドをしてくれた日系人女性が、「お水を買うのですら何店舗も比較しなければならないほど、アルゼンチン経済は悪いのです」とつぶやくように、同国の国民生活は非常に厳しい現状です。そして、アルゼンチンを含む中南米諸国ではそれが当たり前のことであり、人々は日々の生活を通し、生きること(生き抜くこと)を学んでいます。それ故に、日本以上に貪欲な姿勢で頑張って生きてきており、我々と同じルーツも持った人々ではあるものの、環境や状況の違いから行動力や捕らえ方に差が生じているように思えます。
ちなみに、中南米で日本語の必要性が高まったのは、日本語を話す日系人子弟の減少が発端でした。日系人移民が中南米へ移住した当初は、一世の人々は生活をすることに必死で、スペイン語を学ぶ時間もありませんでした。家族でアルゼンチンへ渡った人も多く、学校へ通う子供たちは現地のスペイン語学校に通う手立てしかなかったと伝え聞きます。子供は子供なりにスペイン語を覚え、現地社会へと溶け込んでゆき、次第に明るみになるのが「家族間での言葉の壁」です。スペイン語だけで生活する子供世代と、日本語だけで活きてきた親世代。子供が成長して現地の人と結婚をし、孫の世代ともなれば日本語を話せる人口が更に減ります。そんな状況が続き、日系社会では日本語教育の必要性が心配されはじめます。「子供と会話ができない」、「孫と会話ができない」。一世に突きつけられた辛い現実が大きな危機感となり、移住地では日本語学校やカルチャースクール(センター)などが設立された経緯が、中南米の日本語教育の歴史です。
そんな背景を抱えた日本語教育の現場では、多くの女性が活躍をしています。その中の一つ、首都ブエノスアイレスにある日亜学院は、三井デリアさんという日系人女性が教育部門長を務める学校です。生徒総数は1,354人(滞在時における学院側発表数)。校内には、幼稚園から中高等部と、週末や夜間に学ぶ成人コース(文化センター)が設置されています。1937年にアルゼンチン政府から初の公認校を認定され、現在では「英語・スペイン語・日本語」のトリリンガル教育を受けられるということから入学希望者が後を絶ちません。また、礼儀作法を通して日本文化を学ぶことができるために、将来は日系企業で働くことを目指して入学するアルゼンチン人も多く、生徒の約9割が非日系というのが現状です。時間割には給食や掃除もあり、作法や習慣を通して「義務・責任感・協調性」などを学ぼうという日本型の学校理念に注目が注がれています。
テラダ下院議員をはじめ、医者、弁護士、企業家など、アルゼンチンでは様々な分野で日系人女性が活躍しています。近年のアルゼンチンでは、配偶者からの暴力といった問題などによる離婚率も増加しており、個人弁護士を持つ女性が増えていることも起因です。また、日本同様に、雇用悪化の矢面に立たされるのも女性です。テンポラリーで働く人の大半は女性ですし、同国では近隣国からの労働者の流入も影響して、希望の職に就くのは難しいのが現状です。しかし、アルゼンチン日系社会を見ていると、様々な苦労の中でも女性が声をあげ、立ち向かい、社会を引っ張っています。中南米の友人達が、「政治や経済がずっと悪かったから、諦めたら最後なのかもしれないよ」と笑いながら働いているのを見ていると、日本も負けてはいられないと気の引き締まる思いがします。(つづく)
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