
今回は、フランスのリリ・ブーランジェ(Lili Boulanger)をお届けします。1893年生まれの生粋のパリジェンヌ、1918年、25歳でメジ=シュル=セーヌで亡くなりました。生まれつき虚弱体質で、気管支を病み、免疫低下の症状もあり、最後はクローン病に冒されていました。ちなみに、女性作曲家シリーズIのフランス人作曲家セシル・シャミナードは、リリ・ブーランジェの36年前に生まれています。
きらめく才能は祖父母の代からブーランジェ一家に脈々と受け継がれました。祖父はチェリスト、祖母は歌手、姉妹の母親はキエフの貴族出身、そしてオペラ歌手でした。父親はオペラ作曲家、後年パリ音楽院声楽科で教鞭をとりました。後年、レジオン・ドヌール勲章を授与され、フランス芸術アカデミー会員にも選出されたフランス音楽界のエリート中のエリートでした。父と母は音楽院で師弟として出会い、父62歳、母18歳の時結婚しました。そして作曲家・教育者として名高く長命だったナディア・ブーランジェ(1887-1979)は、リリの5歳上の姉です。その他二人の兄弟は、幼くして亡くなっています。

父親エルンスト

母とリリ

姉ナディアとリリ
リリはまだ2歳にして、父親の友人で作曲家のガブリエル・フォーレにたぐい稀な才能を見出されます。わずか5歳で姉ナディアのピアノ伴奏をしたり、6歳でフォーレの歌曲を歌っていたという記述が見つかりました。初見(練習することなく、ぱっと見てすぐ弾くこと)も得意で、ピアノ、チェロ、バイオリン、ハープにも親しみました。
先に音楽を学んでいた姉は、パリ音楽院の授業に時々妹を連れて行くなど、いつも妹を慈しみ支え、仲良く暮らしました。
しかしながら、リリは生まれつきの虚弱体質、健康な体を持って生まれていれば、きらめく才能を発揮したはずが、最後の最後まで病に苦しめられます。とうとう、作曲の先生に自宅に来ていただき、個人レッスンを続けることになりました。どんなに体調が悪くても、生まれつきの鋭い直感や霊的感覚も兼ね備えており、音楽への気持ちはひたむきでした。
1909年から1913年は、リリにとって特別な年になりました。個人レッスンの下、4年間でローマ作曲家大賞応募の準備をしました。ちなみに「ローマ大賞」は1663年、ルイ14世により設立され、若き学生を対象に建築・絵画・版画・彫刻部門が創設されます。加えて1803年に音楽部門が設立されました。
グランプリ受賞者はイタリア・ローマのメディチ家別荘で2年間を過ごし、創作の特典を与えられました。その他にも様々な優遇制度がありました。受賞者にはベルリオーズ、フォーレ、ドビュッシー等、フランスを代表する作曲家となった才能もいれば、一方ではラヴェルは5回応募しましたが、様々な運命のいたずらに受賞は逃しました。なお、音楽部門は1968年に廃止されています。

ローマ大賞受賞の仲間たちと
そして、1913年、リリにローマ大賞の白羽の矢が当たりました。姉ナディアに抱きつき、ふたりで喜びを分かち合いました。作品はゲーテの戯曲を基にしたカンタータ「ファウストとエレーヌ」。審査員たちは三分の一も聞き終えていないところで、すでに彼女の受賞を確信していました。女性として初のローマ大賞受賞者となったのです。
それまでは、受章者に与えられる特典、2年間のメディチ家別荘での創作活動が、女性作曲家には難題なのではないか?という偏見とも言えるものがあり、実際、姉のナディアが選に漏れた理由の一つとして語られていたものです。かくの如く、それまで女性が選ばれることはありませんでしたが、リリの作品は審査員に有無を言わせない圧倒的な才能を感じさせました。
遠い昔、父親のエルンストも同じく19歳でローマ大賞を受賞していて、リリが生まれた時77歳だった父は、リリにとって神様のような存在でした。そして、メディチ家別荘での創作中は、すでに亡くなっていた父を感じながら過ごしたものでした。また、才能豊かな友人たちに出会い、音楽のみならず充実した日々を送りました。
なお、メディチ家での創作活動は、時代により受賞者に与えられた期間に違いがありました。潤沢な賞金により実質5年ほどの活動時期を与えられた時代は、他国でさらなる研鑽を積む者もいました。
リリは第一次世界大戦が始まったことにより、メディチ家滞在は2年ほどとなり、病もあってパリの自宅へ戻らざるを得ませんでした。そして、第一次大戦に出兵していた、ローマで出合ったフランス人の友人たちのため、姉や女友達とともにコミュニティを立ち上げました。戦地の彼らを励まし勇気づけるための音楽情報を送ったり、小包を送ったり、和声の課題の添削をしたり、この活動は戦場の仲間たちに大いに喜ばれました。また、兵士として連絡が取れなくなっていた友人同士を繋げる役割もしました。このコミュニティはアメリカ人の資金サポートにより、「国立音楽演劇芸術院仏米委員会」と名付けられました。

リリとナディアが一緒に眠るお墓
なお、姉のナデェア・ブランジェは妹が亡くなった後、妹ほどの才能もない自分は指揮や教職活動に専念したいと、作曲活動より教育へ目を向け、多くの才能を育てました。例えば、アメリカでの弟子には、アロン・コープラント、エリオット・カーター、クインシー・ジョーンズ、レナード・バーンスタイン、またフランスでは「シェルブールの雨傘」のミッシェル・ルグラン、タンゴで高名なアスター・ピアソラ等、後年大成した音楽家に影響を与えたのです。幅広い層の弟子を輩出したことは、ナディアの指導法が、自分の考えを押し付けることなく、いかに生徒の才能を尊重し引き出すものだったかの証左と言われています。
また、後年創設された姉妹の名前を冠した奨学金制度、「Nadia et Lili International scholarship 」は、世界中の才能ある若手音楽家へ門戸を開き、毎年支援を行っています。かくの如く、ブーランジェ一家の才能は指導を受けた弟子から、そのまた弟子へ、世界中に脈々と生き続けています。
リリのイタリアでの精力的な創作期に、合唱と管弦楽の「詩篇」3作品、ゲーテの戯曲を基にした「ファウストとエレーヌ」等があります。加えて、歌曲にも秀逸な作品を残しました。ピアノ曲は8曲、「行列」、「主題と変奏」、「古い庭から」、「前奏曲」2作品などを書きました。
出典)
鷲沢紳助 ブログ「雨降りの日曜日」より、リリ・ブーランジェに関するエッセイ2編の日本語訳
・カミーユ・モークレール「リリ・ブーランジェの生涯と作品」 鷲沢紳助訳
(Camille Mauclair,"La vie et l’ æuvre de Lili Boulanger.")
・ポール・ランドルミ「リリ・ブーランジェ(1893-1918)」 鷲沢紳助訳
(Paul Landormy, "Lili Boulanger (1893-1918).")
http://blaalig.a.la9.jp/boulanger.html
@BBC Radio 3: Lili Boulanger from "The Composer of the Week"
http://www.bbc.co.uk/programmes/p02kt04h
小林緑・編著『女性作曲家列伝』1999 年、平凡社
小林綠・編著『女性作曲家ガイドブック2016 古典派から近代の26人』非売品
日本語版ウキペディア リリ・ブーランジェ
English Wikipedia Lili Boulanger
この度の演奏は「Cortège - 行列」。ドビュッシーやフォーレの様式を彷彿させ、絶え間なく変化する和声やリズムが魅力的な作品です。
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