9月、山田五十鈴生誕百年記念特集「彼女が演じた娘・妻・母」(主催:日本映像学会関西支部・京都府京都文化博物館)で、10作品が上映された。
「國土無双」(伊丹万作)、「折鶴お千」(溝口健二)、「浪華悲歌」(溝口健二)、「昨日消えた男」(マキノ正博)、「女優」(衣笠貞之助)、「女ひとり大地をゆく」(亀井文夫)、「流れる」(成瀬巳喜男)、「暴れん坊街道」(内田吐夢)、「どん底」(黒沢明)、「ぼんち」(市川崑)。そしてシンポジウムも。その中から一本、見たい映画「流れる」を見に行った。シニア料金500円はなんとも安い。
「流れる」(東宝・1956年)は幸田文の同名の小説をもとに、監督・成瀬巳喜男、脚色・田中澄江/井出敏郎。配役、梨花・田中絹代、つた奴・山田五十鈴、勝代(娘)高峰秀子、なな子・岡田茉莉子、染香・杉村春子、お浜・栗島すみ子、米子・中北千枝子、おとよ・賀原夏子と、当時一流の華やかな女優陣に、宮口精二、中村伸郎、仲谷昇、加藤大助と男優たちが脇を固める。
1947年、父・幸田露伴の死後、幸田文は『父・こんなこと』を書いて一躍、文壇に登場するが、1950年、断筆宣言をして柳橋の芸者置屋に住み込み、女中として働き始める。その経験をもとに、華やかな花柳界と零落する置屋を女中の目を通して見事に書き切ったのが、初の長編小説『流れる』だ。映画は、幸田文をモデルに女中・梨花を演ずる田中絹代と、女将・つた奴の山田五十鈴と、そのどちらもが主役といえる二人の名演技に、もうため息が出るくらい。
色街の女の流れるような所作や立ち居振る舞い、江戸前のキリッとしたセリフの、なんてあでやかなこと。お座敷に向かう芸妓たち。長襦袢をさらりと肌につけ、粋な着物の襟を整え、裾をあわせ、帯締をキリリと結んで仕上げるさま。宴が終わった後の紐解きの仕種のしどけなさも、なんともなまめかしい。
「じいっとこちらを見つめている眼が美しい。重い厚い花弁がひろがってくるような、咲くという眼なざしだった。職業的な修練だろうか、それともこういうときに匂いを放つような美しい心なのだろうか」と梨花は女中の目で観察する。かたや梨花の「お使いづらいと存じますが、どうかひとつ・・・、どちらさまでも方々で歳とりすぎているとおっしゃられまして」とお目見えをする物言いに、「おねぇさん、このひと口利けるわよ、ことばちゃんとしてるもの」と品定めする芸妓の目も確かだ。「くろと」と「しろと」との境目が、あるようで、ないような、ひと昔前の誰もがもっていた人としての礼儀正しさが生きている。
男に貢いで捨てられ、娘と居候する女将の妹。借金の取り立てに追われる年増芸者。逃げた若い芸者の田舎の叔父が、姪をネタに強請にくる置屋の慌ただしい日々。原作は女中の「心の底」に写る女たちのありのままの姿が見事に描かれるが、成瀬監督のカメラの目は、どこまでも女優の美を引き出そうとするところにある。映画と原作の結末は少し違ったが、女将・つた奴と喧嘩して飛び出した年増芸者の染香が、また戻ってきて詫びを入れ、そのあと山田五十鈴と杉村春子の二人が弾く、連れ三味線の音が鳴りやまないラストシーンは、それはそれでまた味わい深い。
1960年代前半、大学の社会学専攻の7、8人の中で女子学生は私ともう1人。西太平洋メラネシアのトロブリアンド諸島で実地調査した文化人類学者B.K.マリノフスキーがご専門の甲田和衛先生は、いつも私たちに「女に学問なんかいらない」と、けんもほろろだったけど、でも、厳しくも優しい先生だった。
ある時、「君ね、幸田文の本をぜひ読みなさい。人として、女の人が生きていく上で一番大切なことが書いてあるから」とすすめられ、『父・こんなこと』を読んでみた。父との日々の暮らし、家事やしきたり、作法、掃除の雑巾がけまで、父・露伴が娘の文に教えこむ、人としてのあり方が丁寧に記されていた。
映画「流れる」を見て、もう一度原作の『流れる』をめくってみた。作者の心の底にくっきりと写し出される動かぬものを、見えるものも、見たくないものも、全部ひっくるめて、それを「女の言葉」で、まるで「語る」ように書いてゆく。ああ、これは男には決して書けない文章だ。
50年前のある日のこと、大学の研究室でお昼のお弁当を食べた後の授業で、甲田先生にひどく叱られたことがある。「誰ですか!研究室の床に蓮根を一切れ落としたのは」。ああ、恥ずかしい。
もう一人、卒論指導をしてくださった上田一雄先生は、部落産業の社会学的研究がご専門。当時、一世風靡していたクレージーキャッツの植木等は遠縁にあたると聞いた。植木等の父・徹誠は浄土真宗の僧侶で戦前、部落解放運動にもかかわり、戦中、ずっと「戦争反対」を唱え続けた人で知られる。「一度、楽屋へ訪ねていったら、ほんとにこの人、コメディアンなのかと思うくらい、寡黙で礼儀正しい人でしたよ」と話してくださったことがある。今、NHKで「植木等とのぼせもん」が放映中だ。そのまんまの人だったんだろうな。
昔の人は、みんな人としての生きる姿勢を、ちゃんともっていたんだろうなと思う。今はもう忘れられて懐かしいものになってしまったのかもしれないけれど。
映画「流れる」の冒頭は、隅田川の吾妻橋からの下流、大川の流れを映し出す。「水は流れたがって、そのくせとまりたがりもして、たゆたい、渋り、淀み、でもまた流れていた。水は流れるし、橋は通じるし、『流れる』とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている」と幸田文は結んでいる。そんなふうに、止まったり、流れたり、清濁あわせのみつつ、「流れる」ように、わたしも、あともう少し生きてゆきたいなと思う。
映画「流れる」(c)1956 TOHO CO.,LTD