10月28日の毎日新聞の記事を読んで考えさせられました。みなさんはどうお考えでしょうか。
 中学校の先生が交代で書いている「声 学校から」というコラムです。Yという先生が書いています。<>は生徒の言ったことば、「 」はY先生の文章です。

 文化祭が近づいて、合唱コンクールでグランプリを取るために生徒たちの練習が始まりました。 <今日の男子の歌声良かったよ><○○君、よくがんばっていたよ> と女子生徒がほめているのだそうです。それをみながら、先生は書いています。

「保育園から付き合ってきた女子たちは、男子がどうしたら本気になってくれるかを知っている。だからこそほめ方がすごい。さらにこんな励ましが続く。<すいぶん深い声になってるよ。この調子で頑張ろう><あと少し強弱を意識するといいかな。でも音程はいいよ>。
 ほめながらちゃっかり注文もだしている。『よくここまで……』。笑いをこらえている私に、女子は<ほめて、やる気になってもらわないと合唱はうまくいかないからね>と真顔で言った。」

 最初に気になるのは、「女子は」という言い方です。今の学校では「女子生徒の○○が言った」とは言わないで、「女子が」とか「男子が」とか言っているようですが、「女子は…と言った」という言い方には引っかかります。「女子は」と言うと、女子生徒のグループ全体を指しているように思ってしまいます。個々の姿が見えてこなくて、個人の発言とは受け取りにくいのです。「カオリは」とか「ハルナは」とか、仮名でいいですから個人名で言ってほしいと思います。

 呼び方はさておき、私はこの「声」を読んで、複雑な気にさせられました。この女子生徒の男子生徒に対する「すごい」ほめ方を、先生は微笑ましく思いながら見ているようです。そして、「やる気になってもらわないと困るからほめている」という女子生徒の本心も聞き取っています。

 最初読んだとき、わたしは今の中学校の女子生徒は大したものだと感心し、偉いと思いました。でももう一度読んでみて、これはまずい、喜んではいられないと思うに至りました。女子生徒が男子生徒をほめてやる気にさせることが、そんなにいいことでしょうか。

 コンクールにグランプリを取るためには、しかたのないことかもしれませんが、こうやって、まだ14,5歳の少女時代から男をおだててやる気にさせて、なんとかコンクールでがんばるように仕向けている、それが女にとっていいことなのでしょうか。 あらためて、男はこうやって大人になっていくのだと思い知らされます。大学の受験勉強も卒業前の就活もそうです。男はいつもだれかにほめられ、おだてられて何とか一人前になっていくのです。

 一方、ほめておだてて男のお尻を叩いてきた女はどうなっていくのでしょうか。中学校のころまでは女子生徒のほうが成長が早いと言われ、精神的にも早く「大人」になると言われて、男子をリードしてきた女子生徒です。高校大学に進むにつれて、勢いを失っていくのはなぜでしょうか。

 将来の自分の進路を考えるとき、周囲を見まわして目につくのは、職場でこき使われて疲れている姉の姿や、保育園探しに駆け回り、子育てと職業との両立に苦しんでいる先輩です。生き生きと輝いている先輩もいるにはいますが、数から言って、圧倒的に少ない。そういう現実を知ると、少しぐらいがんばっても先は見えている、何も、いい仕事につけるようにしゃかりきになることはない、一生養ってもらえるだけの高給取りの男性を探して結婚したほうがいい、いい子供を育てていい大学に入れるほうが私の天性に合っている、こうやって自分を納得させて家庭に入る道を選ぶ女性が、いまだにかなりいるのではないでしょうか。そして、また、こどもをほめておだてて育てていく。結局、女子生徒に戻ってしまいます。

 わたしは、男子生徒をほめる余裕のある元気な女子生徒に言いたいです。
 そんな頼りない男をほめているより、元気な自分たちだけで先に行ってしまいなさい、男を育てるためにあなたのエネルギ-を使うより、自分を育てるためにそれを使いなさい。だって、そんなに一生懸命に男をほめて育てても、その男たちが社会に出て主導権を握ったときに、あなたに何もしてくれないんですよ、と。

 コンクールに入賞するために男子生徒のお尻を叩く姿は、一見頼もしいです。今の女の子はしっかりしていると、それこそほめたいです。でも、そういう女性にほめてもらって成人した男たちが、育ててくれた女に何もしてこなかったのが日本の社会です。女にほめて育てられた男たちが、少しでもその恩を感じているなら、いつまでもジェンダーギャップ指数が111位などという不名誉な地位に日本の女性を置いておくことはなかったはずですから。