
水田宗子さんは、比較文学研究者、女性学研究者、詩人であり、2016年11月30日まで、学校法人城西大学の理事長を務めていた人物である。イェール大学でPh.Dを取得し、1970年代南カリフォルニア大学で教鞭をとっていた水田さんは、城西大学の創始者であり大蔵大臣を務めた父水田三喜男氏の死後、日本に戻り、城西大学の大学運営に従事することになった。以来30年あまり大学運営に携わり、1992年には城西大学の姉妹大学として城西国際大学を設立し、1996年には日本で最初の女性学専攻大学院を開設するなどの実績を次々に作ってきた。睡眠時間を削り、昼夜を問わず、大学のため、私学教育のため、自分の人生の時間を大学運営に注ぎ込んだ。そんな水田さんが、突如として校法人城西大学の理事長を「辞職」した。
しかし本書によれば、この「辞職」は、水田さんが文科省元事務次官の小野元之氏によって「辞職しなければ解任」という事態に追い込まれた結果であり、本人の意志に反して行われた「解任劇」だったというのだ。本書を読めば、小野氏と文科省OBの北村幸久氏という文科省天下り官僚によって、その日を迎えるために何年かにわたる計画が進められていたことが推察できる。本書にあるように、水田さん追放の口実として、文科省OBによって文科省の「学校運営調査」の結果が事実と異なる形で利用されていたのだとすれば、由々しい事態であるといわねばならない。
本書の帯にはこれを評した「官製クーデター」の文字が躍る。この11月30日の水田宗子さん理事長「辞任」の理事会において、小野元之氏は、学校法人城西大学「理事長代理」に就任し、以後10ヶ月にわたって学内を掌握した。『奪われた学園』が明らかにするのは、理事会当日の記録に基づき、文科省元事務次官である小野元之氏が、何を理由にして、どのような手段で、水田宗子さんを「辞任」に至らしめたかという経緯である。
また、城西大学における経営上の派閥抗争の歴史についても著者は触れている。初代理事長は水田三喜男氏、二代目理事長は水田清子氏(宗子さんの母親)、三代目理事長が水田宗子さんである。城西大学は、水田三喜男氏の急逝後に内部分裂の危機を迎えている。その危機を回避するために、次期理事長に就任したのが清子氏であったという。本書には、男性の教職員と理事を中心として構成される学校法人の中にあって、三喜男氏の妻である清子氏が理事長に就任したことに対する内部の反発が激しかったことが書かれている。それはその跡を継いだ水田宗子さんにも向けられた。ここには母・娘という二代にわたる女性理事長に対するミソジニーの気配が漂う。
さらに、理事会での水田さんの解任動議提出の際に、「セクハラ」「認知症」などの言葉まで投げかけたという小野氏の言動からは、どのような理由をつけてでも水田宗子理事長を排除したかったという文科省元事務次官の強い意志が感じられる。水田さんの経営体制に批判があるのならば、人格否定のような解任劇に至る前に、理事会で話し合いができなかったのだろうか。小野氏を含めて、水田さんと共に経営に携わってきた理事会のメンバーは、なぜこのタイミングで突然の解任決定とその後の排除を遂行したのか。その背景は何か。文科省の意向が関係しているのか。やはりこれは「官製クーデター」なのか。一読して謎は深まるばかりである。
水田さん当人の排除と並行して、水田さんが力を入れた人文科学、国際教育、女性学の教育領域の縮小化が行われているという。とくに女性学分野における人材の排除、プログラムの廃止などが起きている。稀少な女性学教育のプログラムについて、大学は、水田さんと共に排除しようとしているのだろうか。現在、水田さんは、自身の名誉回復と巻き込まれた学生や教職員の救済を求め、全面的に学校法人と闘っている。日本で極めて珍しいという学校法人の女性理事長、そして独自路線を貫いた私学経営者としての水田さんの名誉の回復がすみやかに行われること、水田さんが傾注した女性学教育をはじめとした教育領域が守られることを切に願う。
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