シリーズII第10回は、イタリア人のアンナ・ボン・デ・ヴェネチア(Anna Bon di Venezia)をお送りします。1739年頃の生まれ、死亡年は1767年と言われながら、はっきりしたことはわからないまま年代不明とされています。大作曲家の1人、ヨーゼフ・ハイドンは1732年に生まれていますので、おおよそ同世代の女性作曲家です。
生まれはロシアかヴェニスのどちらかと言われており、父親は宮廷音楽やオペラの脚本家と舞台デザイナー、母親はオペラ歌手でした。アンナは当時のヴェニス共和国のもと、まだ幼い4歳で、慈善院と呼ばれたオスペダーレ・デッラ・ピエタ(Ospedale della Pieta)に入学し、1754年まで寄宿生活をしながら音楽を学びました。
時には両親のツアーに付いて歩き、慈善院を留守にすることもありましたが、基本的には慈善院で暮らしていました。ここは孤児院が大きな部分を占めていましたが、才能のある子どもたちの音楽院も併設していました。
ここから巣立った代表的な作曲家には、アンナのほか、ポンテ(Vicent Da Ponte)がいます。そして、アントニオ・ヴィバルディ(Antonio Vivaldi )が、作曲家兼ヴァイオリン教師として教えていました。1703年から1740年の間のことです。「調和の霊感」はここで作曲されました。ヴィヴァルディは少女たちによる小オーケストラを編成し、少女合唱団とともにコンサートを頻繁に催しました。このような音楽部門のコンサート収入が、慈善院の大きな収入を占めていたそうです。
アンナは1755年もしくは1756年には、両親と共にフリードリヒ3世・フォン・ブランデンブルグ=バイロイトの下、宮廷音楽の担当者として新しい職を得ました。現在のドイツ・バイエルン州に位置する都市です。
フリードリッヒ3世は、学識豊かで芸術を好み、妻と共に1744年から1748年に「バイロイト辺境歌劇場」を建設しました。ちなみに、このオペラ座は現在では世界遺産に指定されていて、後年、作曲家ワーグナーが「祝典歌劇場」を建てる際に影響を与えた建物となりました。
アンナはバイロイトから小1時間のニュールンベルグで、1756年に作品1、「6つのフルートと通奏低音のためのソナタ」を書き、翌年1757年には、作品2にあたる「6つのハープシコードのためのソナタ」を書きます。ハープシコードのためのソナタは、アンナの署名入りの手書きの前書きが残されており、「素晴らしいお人柄のHer Serene Highness Princess Ernestina エルネスティーナ王女へ」最大限の賛辞とともに献呈されています。
その後ボン一家は、アイゼンシュタットのエステルハージ侯に仕えます。1762年のことでした。アンナは少なくとも1765年までこの地に留まりました。
エステルハージ家の著名なお抱え作曲家は、言わずと知れたハイドンがいます。ちょうど同じ頃(1760年代)に宮廷のお抱え音楽家として入り、その後30年あまりの時間をエステルハージ侯に仕え、数々の作品を残しています。恐らくボン一家は、当時の宮廷音楽家長ハイドンの下で活動をしたのではないかと言われています。
ちなみに、アイゼンシュタットは、ウィーンの東部に位置する街。エステルハージ侯は、ハプスブルグ帝国のハンガリー公爵として君臨していました。いささか横道に逸れますが、作曲家のフランツ・リストの父親も、この宮廷音楽団のチェリストとして在籍しました。そして、フランツ・リストの生まれた街は、現在のオーストリア/ライディング、アイゼンシュタットは50km程度の距離です。
アンナは引き続き、1759年に作品3「フルートと通奏低音のための6つのディベルティメント」を書きました。他の作品には「ソプラノと2本のヴァイオリン、ヴィオラと通奏低音」「ソプラノ、2声のアルト、ヴィオラと通奏低音の”Ardete amore “ 」「モテット”Eia in preces et veloces “ アルトと2本のヴァイオリン、ヴィオラと通奏低音」があります。その他にオペラを作曲しましたが、今となっては紛失しているそうです。このオペラはエステルハージ侯に仕えていた間に書かれたとされています。
彼女はどの作品もけれんなく純粋で、アートの世界に例えれば、カミーユ・クロディーユ(彫刻家ロダンの愛弟子で恋人だった女性)のようだと評する演奏家もいらっしゃいます。
彼女の名前のAnna Bon di Venezia は、ご本人によってVenezia を加えたとされています。当時、同姓同名の著名人が他にいらしたために、自分の名前が混同されないようにしたそうです。
グローブ音楽辞典によれば、1767年、アンナは結婚します。夫はイタリア人の歌手のモンゲリ・ヘトリックというお名前の方でした(Mongeri Hettrick )。その後、残念なことに彼女の足跡は途絶えてしまいます。あらゆる手を尽くしましても、作品も人生も、この後の彼女の記録が残されていませんでした。
References:
"Anna Bon" in The Grove Music Dictionary
WTJU 91.1 FM in http://www.wtju.net/anna-bon-di-venezia-harpsichord-sonatas-a-welcome-rediscovery/
Anna Bon, Wikipedia,
https://en.wikipedia.org/wiki/Anna_Bon#cite_note-3
CD review of Anna Bon,
http://www.musicweb-international.com/classrev/2002/Feb02/ADW7338.htm
Artist Biography by Uncle Dave Lewis,
https://www.allmusic.com/artist/anna-bon-di-venezia-mn0002156276/biography
BBC4, Vivaldi Gloria at La Pieta, Venice.
https://www.youtube.com/watch?v=cgaOVV4JQHA
Special thanks to Marilena Marczinca who translated documents in Italian to English.
この度の作品演奏は、作品2のハープシコードソナタより、第2番変ロ長調をお贈りします。