女たちの「謀叛」: 仏典に仕込まれたインドの差別

著者:落合 誓子

解放出版社( 2017-12-11 )


 「いのち終わりてのち 男となりて救われる」  
 (「変成男子」へんじょうなんし)
 これがこの現代に於いても変わることのない仏教の女性観です。 今の今まで、こんなセオリーを捨てることも見直すこともない仏教各派。あなたは男になってまで救われたいでしょうか。このままでは、現代に生きる私たちにとっては仏教はもう関わりのない遺物と言えます。 私はノンフィクションライターですが、鎌倉仏教の祖師ひとり親鸞が開いた真宗大谷派の末寺に生まれ、今も住んでいます。

 古来から変わることなくカースト制度が生きて働くインド。釈迦はそんな中から立ち上がり人間のいのちの平等を説かれた筈なのに、釈迦以来三千年の歴史で仏教は一体どうなったのか。 再びヒンドゥに飲み込まれることによって経典に降り注いだ歴史の塵。 私は親鸞教徒の立場でその根本聖典である「淨土三部経」に澱のように溜まったヒンドゥの塵を丁寧に取り除くことを試みてみました。
「私は仏教に関心がないから無関係」 というなかれ。 女性の地位の低さは先進国のほぼ最下位。またセクハラが満ち満ちていても「me too」が私たちの生活の現場で話題になることはほとんどありません。そんな今の源を辿っていくと・・・・。ヒンドゥの塵を身にまとったまま、釈迦から遠く離れてしまった仏教経典の現状が見えてきます。
 為政者の作った生活規範を壊すことのできない私たち日本人。歴史は「頭上を通り過ぎる季節と同じ」で国民自らが歴史の主体者になることのない日本。いつまでたっても生きにくさを抱えている「私たち女」。それらはみんな繋がっていると私は考えています。そこから一歩を踏み出すために、是非読んでいただきたい一冊です。