化粧をするのもしないのも、私の自由(6ヵ国目/世界一周)

前回のタイからミャンマー、バングラデシュを過ぎ、6ヵ国目のインドに来ました。世界経済フォーラム(WEF)によると、インドのジェンダーギャップ指数は、調査対象144ヵ国のうち108位。政治面でのスコアは好成績で、歴代の首相には女性もいます。しかし、インドの庶民女性は一般に教育がおろそかにされ、病気になっても十分な治療を与えられないなどの問題があり、社会的地位は男性に比べてまだまだ低い傾向にあります。東京からインドの首都ニューデリーまでの距離は約5,800㎞。直行便が1日に2本以上出ており、成田空港発の場合、9時間ほどかかります。
旅に出てから、約3カ月が経ちました。さまざまな国へ行き、さまざまな人と出会い、さまざまなことを考える毎日が続いています。そんな私が最近よく考えるのは「化粧」についてです。
日本では、一定年齢を超えると「化粧をして当然」という風潮があります。会社員として働く女性で化粧をしていない人を見かけることはほとんどありませんし、大学によっては大半の女子が化粧をしています。私の通う大学のキャンパスでも、女子はほぼ全員が化粧をしていて、お洒落な身なりの子ばかり。綺麗な洋服やアクセサリーに、セットされたヘアスタイル、そして完璧に施されたメイク。化粧せずに大学へ通っていた私は「化粧をして大学に来るのは、最低限のマナー」と言われたり「よく化粧せずに大学に行けるね」と批判されたりしたことがあります。
しかし、海外では化粧をしていない女性を多く見ます。観光地で出会う西洋人はほとんど化粧をしていませんし、これまで訪れたアジア諸国を見ても、ほとんどの女性が化粧をしているような国はありませんでした(「美容大国」韓国には行っていないので、韓国に関しては不明ですが)。

女性が化粧をすることを強要しているのは、まぎれもなく日本の社会です。つい最近、twitter上で流行していたハッシュタグ(#)の「化粧するかしないかは自由だ」という主張を、まさに海外に来て強く感じています。日本特有の「まわりと同じ行動をとることが正しく、まわりと違う行動をとることは悪」という感覚が引き起こしている、大きな問題ではないでしょうか。化粧したくない女性だっているはずなのに、化粧をしなければ就職面接の際には減点されたり、職場では化粧がほぼ義務化されているなど「化粧したくないなら、しなければ良い」の一言では済まされない現状が日本にはあるのです。
だからこそ、私はひとつ決めたことがあります。それは「自分が化粧したいときには化粧をする、したくないときにはしない」ということ。いまは徹底的にそれを実行しています。だって、化粧をすることは義務ではなく「権利」のはずだから。だから私は、したいときにだけ、自分が好きなメイクを楽しんでいます。それがたとえ誰かに「けばい」「濃すぎる」と言われたとしても、変える気はありません。自分がしたいときにしたいメイクをする、ということにこだわっています。そして、これを日本に帰り、再び大学に戻ってからも続けていこうと思っています。もしかしたら誰かが私のことを「変な人間」と認識するかもしれません。はたまた「常識外れ」というレッテルを貼るかもしれません。しかし、私は大多数の人間に認められるよりも、自分自身が自分を認められるような生き方をしていくつもりです。
「女性だけに化粧をする義務があるなんて性差別だ」と思っているのなら、自分のできる範囲で、まずは何らかのアクションを起こすことが重要だと思うのです。日本が男女ともに、もっと平等でもっと自由に生きられる国になるためには、一人ひとりが身の周りのことから、自分の行動を少しずつ変えていくことが大切だと考えています。(佐野仁美)
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