昨今、LGBTとセットで話題になっていますね、「生産性」。そういえばあの杉田発言のことを「これが差別です」とツイッターで明快にフォロワーに伝えていた新井祥先生。多産な漫画家で、名古屋の専門学校で漫画の描き方も教える先生でもあり、コミカルにわかりやすく伝えることにたけた性教育のパイオニアでもあります。
頭で想像しただけの世界、つまりファンタジーやフィクションではなく、自分の見てきたことや体験してきたことを漫画に描かれてきた新井先生の漫画は、性教育の副教材としておすすめしたい作品にあふれています。とくにLGBT、インターセックス、そのほかのセクシュアル・マイノリティについての広くて深い知識を読者に伝えています。連載が15巻の単行本にもなっている漫画『性別が、ない!』は、性教育の参考書としてだけではなく当事者研究の成果として読むことも可能です。
この漫画と同名のドキュメンタリー映画『性別が、ない!インターセックス漫画家のクィアな日々』が、このほど名古屋の劇場でも初公開になりました。そこではアシスタントのうさきこうさん(こう君)との日常生活が描かれています。
時系列的には漫画『性別が、ない!』の続編ともいえる位置にあるものの、映画の中の新井先生は、漫画の新井先生ほど、おちゃらけたりボケたりしていませんし、こう君もさほど表情でつっこむキャラではありませんでした(リアルトークでボケるのは、主にこう君のお役目です)。
渡辺正悟監督によって切り取られた二人の日常の中で、新井先生は自身の根っこのありかをていねいに再確認し提示する人、新井先生とこう君は自分たちの関係の居心地のいいあり方を互いに交渉しながら慎重に育てていこうとする人たちでした。
ジェンダー教育に関わるものとしてけっこうささってきたのが、新井先生が表現者としての矜持をのぞかせたくだり。わたしの友人たちからは「新井先生カッコいい。またファンが増えるのでは?」「ストイックすぎて苦しくならないだろうか」といったコメントがあがっていましたが、たぶんこういう側面に対してだと思います。だれも傷つけることがないようにと気を使われているところ。場をわきまえることを人に伝えるときの叱り方。そうしたシーンで新井先生は、自分のぶれない根っこのありかを示してくれているように思えました。
ここで、男であるとか、女であるとか、そのどちらでもない、などと性自認が変わっていくことはどうなんだと疑問をもたれる方もいらっしゃるかもしれません。ゆれたり変わったりすることは構わないと、新井先生は劇場でのイベントとして行われたトークでもおっしゃっていました。ジェンダーが社会の中でつくられてきたものであるとは、まさにこのようなことなのです。自分の性別が何であるかは人としてのぶれない根っことは離れたところにあって、言ってみれば枝葉や花や果実のようなものなのです。
新井先生は30年ほど女性として生きていらっしゃいましたが、男性として生きることに決め、映画の中のある時点までは男性として生きてこられました。この映画で視聴者は、新井先生の人生的転機のひとつに立ち会うことになります。
わたしは、新井先生が男性として15年ぐらい生きてこられたころ、なぜ男性として生きることを選ばれたのかと直接おたずねする機会がありました。日本はまだまだ女性が差別される社会で、男性として生きるほうが何かと楽だからと話されていました。女性と男性、両方の性で生活することを経験された新井先生がそうおっしゃるのです。わたしがフェミニストだと察せられてのご発言かもしれませんが、「女として生きる方がやっぱり生きづらいんだ」って裏書きをもらった気分でした。
新井先生が映画の中であえて選ばれているように、中性として生きていくことは、男性や女性として生きることよりずっと難しいことでしょう。わたしたちは、「あるがままの男性として」も、「あるがままの女性として」も生きられない文化の中で生きながら、ジェンダーが文化的な構築物であることを日々実感します。だから「あるがままの中性として」生きることなどほぼ不可能ではないかと類推できるのです。
親密な関係のひとつの結び方としても考えさせられるものがありました。新手の恋愛映画のような編集は、渡辺監督の業(ワザ)でありましょう。発情期だったらうるうるきてたかもしれないと思われるような恋愛映画のトーンが多少ありました。監督が上映後のトークでもおっしゃっていたようにハッピーエンドではありません。ことが単純でないこと、親密な関係において互いの性自認や性的指向を意識せずにはいられないヒトの性(サガ)のようなものが、なんとうまく表現されていたことでしょう。
思わず「恋愛」という言葉を使ってしまいましたが、二人が恋愛関係であるとかセクシュアルな関係にあるとかの枠にははめたくない自分がいます。たとえそういった概念と類似の要素を含んでいたとしてもです。
新井先生はこう君のことを「パートナー」と呼んでいました。こう君は新井先生とずっと一緒に暮らしていきたいと語っています。映画からは、カメラを介してふたりのコミュニケーションが現在進行中であること、映画が終わってもこのやりとりは続けられていくであろうこと、それがまたカメラを介するときよりも危なっかしく続いていくのだろうということが伝わってきます。
性別に関係なく、親密な関係にある人たちは、いつも不安や不安定を支え合う関係をめざすような難しい技が試されるのではないでしょうか。
性自認がどうあれ、性的指向がどうあれ、恋愛(みたいな感情)をこじらせている人、こじらせそうな人、一緒に過ごしたいと思う人と一緒に過ごすことが簡単なことじゃないと思うすべての人にとって、ジェンダーやセクシュアリティに関わる問題を抱える当事者意識を持つこと、つまり「症状の自覚」が処方箋に至る第一歩です。でもまず「当事者になる」とはどういうことなのでしょうか。新井先生とこう君のそれぞれのケースが大きなヒントになることは間違いありません。(石河敦子)
公式ウエブサイトはこちら。
出演:新井祥/うさきこう/IKKAN/倉持智好/中山貴将/細細老師/青山とまり/馨
ナレーション:小池栄子/テーマ音楽:Over the Rainbow(歌:藤田恵美)
監督:渡辺正悟/構成:鷲見市子/撮影:大石英男/編集:藪下一也
助監督:草加茂裕/プロデューサー:キム ヒージュン
音効:冨田昌一/整音:川原崎智史/デザイン:山田麻美
企画協力:ぶんか社/宣伝:細谷隆広/配給:オリオフィルムズ
製作:ザ・ファクトリー/2018年/BR/DCP/1時間46分/ドキュメンタリー
©2018 Z-factory, Inc. 映画「性別が、ない!」