破壊しに、と彼女たちは言う―柔らかに境界を横断する女性アーティストたち

著者:長谷川 祐子

東京藝術大学出版会( 2017-03-30 )


 仏蘭西国旗の変奏曲のような美しい三層の表紙・カバー・帯は、手に取ったときのエリクチュールがそれぞれ異なる。 乳白色の表紙は硬質な紙の触感、大きめの緋色の帯は滑らかで半透明で、仕上げにふうわりとのせられた菫色の帯はヴェールのような柔らかみがある。 読む前から本書のテーマであるアート=言語になる前の感じる・さわるという経験へ優美に誘われていく。

 デュラスをもじった表題のこの本は、40数名の現代の女性アーティスト達に対する精巧な美術批評である。 アートが既存の価値観を超えた新しい世界の見方を提示するものだとすると、女性がアーティストとして作品を制作するということは、畢竟フェミニズム的なアプローチと共通点を有することになる。

 女性の身体を欲望し所有し消費する世界のなかで、ここではない世界は、ヴァギナを開陳し自身の体として引き受け、あるいはモノ化された対象物として極限までカリカチュア化するという形で示される。 さらに、今やアーティストたちは機械装置の中に感情や身体を隔離して無機物の中に閉じ込めるなど、女性性の表徴に依存しない手法でそれをやってのける。

 アーティスト達たちは、世界の外枠を変えようとするのではなく、内側から、自分たちの知覚体験を変えようとする。 彼女たちにとって表現するということは、世界の再構築であり、セラピーに近い。 それは自分自身へのセラピーのみならず、この偏った世界への処方箋でもある。

フェミニズムは言葉を得ることで、思想を得た。
アーティストはそのさらに前、言葉に結晶する前の手触りをつきつけてくる。
様式や記号を剥がし、新しい位相を示してくれるもの。
私達の硬直した認知の限界を揺さぶり、無垢に戻してくれるもの。
そのアーティストのコードを丹念に読み込み、翻訳した言葉は、世界を再構築しようとするフェミニズムの言葉に転用することが可能であると思う。

 筆者により選び抜かれた表現が珠玉で、哲学的思索に満ちている。 実践を通して問い続ける上質のことばとして、一読したい一冊である。