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排泄系トークのすすめ。 富山由紀子

2010.03.18 Thu

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<p>いきなりの告白で恐縮ですが、わたしはシモネタが大好きです。とりわけ、誰かを傷つけたりせず、ただ笑えて、しかるのちスカッとした気持ちになれる平和なシモネタをこよなく愛しております。皆様の中にも、シモネタ愛好家は多いことと思いますが、世間様はことあるごとに「シモネタに強い女はモテない」などと言って、女子からシモネタを取り上げようと躍起!あれほんとにイヤですねー。また、そのような言説を気にするあまり、男子の目が届かない場所での活動、すなわちガールズトークという名の地下活動を専門としている方もいるでしょう。アングラならではの濃厚な味わいも悪くありませんが、ずっと日陰に隠れているというのも、ずいぶんと不自由なハナシです。<!–more–></p>
<p>確かに、シモネタには「お下品お下劣」のレッテルがべったり張り付いていますから、モテたいなら喋らない方がいいのかも知れません。しかしながら、モテのためにシモネタを避けて通る人生は、はっきりいって貧しい。シモネタのソムリエールよろしく、TPOに合わせたネタのセレクトができてこそ、人生は華やぐのです。それに、エロすぎずグロすぎない「上物のネタ」は、人間関係における何よりの潤滑油となる場合も少なくない。罪のないシモネタで笑い合う人々の心は、間違いなく和んでいる。そのことを皆様も経験的にご存知のハズ。自分ひとりのモテより、みんなのためにシモネタを仕掛ける。そんな生き様もアリでしょう?SHIMONETA of the people,by the people,for the peopleでしょう?</p>
<p>前回のリレーエッセイ担当者である鷹番さんは、お尻の拭き方が母娘ともどもお尻→膣の方向だとカミングアウトしておられましたが、あれぞまさしく平和なシモネタ(褒めてます!いい意味です!)。他にもいろいろと知的かつ有益な記述があったのに、わたしの脳に深く刻まれたのはダントツでお尻の拭き方でした(鷹番さんゴメン)。</p>
<p>改めて思ったのは、ウンコネタは、小学生からご老人まで幅広く共感を得られるシモネタ界の王様的存在だということです。エロネタと違って、あまり男女差がないことも相まって、汚いだのなんだの言いつつ、けっきょく笑って許されることが多い。エロ関連だと、性の違いがどうしても浮き彫りになって、セクハラに発展しやすいのですが、ウンコはそうでもないということですね。もちろん、そういう性癖の人もいるので、何とも言えない部分はありますが、おおむね平和が約束されていると言えましょう。</p>
<p>そして恐らく最も平和なのは子どものウンコネタです。アラレちゃんの「ウンコつんつん」を例に出すまでもなく、子ども+ウンコ=汚くない、むしろ可愛い。という宇宙の法則のようなものが存在するのです。冒頭に挙げた東村アキコの育児エッセイ漫画<a href="http://amazon.co.jp/dp/4087821889">『ママはテンパリスト 1』</a> には、「思いっきり泣くと いつもうんちが出てしまう」3歳の息子「ごっちゃん」が登場しますが、デラウェア(ぶどう)を取り上げられてはギャン泣き&うんち、近所のネコにもおっぱいを飲ませてやれとママに要求するも「それはちょっと」と拒否されるや地面にビタン!と這いつくばりつつの号泣&うんち。「あーまた出た」とつぶやく東村ママは、このネタが汚いというよりは可愛いのだということよく分かっていますし、読者としてもいちいち「わー、ばっちぃ!」なんて思いませんわね。</p>
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<p>大袈裟に言ってしまえば、年齢や性別、果ては国境をも軽々と超えて理解&共感できるのがこのネタ最大の長所なのです。例えば<a href="http://amazon.co.jp/dp/4140813946">『トイレの話をしよう 縲恊「界65億人が抱える大問題』</a> という本は、ローズ・ジョージというイギリス人ジャーナリストが書いたトイレとウンコに関する名著ですが、彼女の主張は恐らく世界中のどんな人にも理解可能だろうと思われます。</p>
<p>「紙で肛門を拭くことは、衛生学的には、乾いたティッシュで身体を拭いて、汚れが取り除けたと考えるのと同じくらい意味がない」と知ったときの衝撃、あるいは下痢のせいで15秒に1人の子どもが亡くなっているということの悲惨さを思う気持ちは万国共通ではないでしょうか。</p>
<p>ちなみに、この本の帯には「みんな“ウンコ”と聞いて、ぎょっとしなければいいのに」と書いてあるのですが、おそらく、ぎょっとするのは「まともな大人」を気取るためのポーズであって、みんなウンコネタには割と気を許しているし、衛生の観点から真面目な関心を寄せていたりもするのですが、まだどうにも「声に出して読む」勇気が出ないのです。名作ばかりでなく、ちょっと口にするのがはばかられるようなことも、声に出してみると、案外スッと言えちゃったりして、ついでに笑いも取れちゃったりして、いつの間にか人生がカラフルになっていたりするものではないでしょうか。その信念を押し付けるつもりはありませんが、そっと差し出すくらいは許して下さい。</p>
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<p>あ、そう言えばいかにも声に出して読まれそうな名作の中にもウンコネタ、ありました。谷崎潤一郎の<a href="http://amazon.co.jp/dp/4101005141">『細雪』</a> のラストに書き込まれた一文「下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた」です。蒔岡家の三女で美人という設定の「雪子」がこの超有名長編小説の最後の最後でまさかの下痢ですよ!どうしてなの谷崎センセイ!?その理不尽ぶりと相まって、日本文学史に燦然と輝く美しいウンコネタとなったことだけは間違いなさそうです。</p>
<p>ここまでやたらウンコを連発してきたので、ついでと思ってもう思い切り裾野を広げちゃいますけど、どんな創作物も自分が一度体内に取り入れたものの排泄物であるとするなら、フローラルブーケの香りで誤摩化さず、こっそり捨てるのでもなく、できることなら堂々と、笑いながら見せつけ合い、平和に語り合えたらと思うのです。だって、そういう言葉の運用には自身をどこか新しい場所へ連れ出してくれる可能性が満ち満ちているのですから、勇気を出してみる価値はあると思います。ま、それでモテなくなっても責任取れませんけどね。</p>
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<p><a href="http://wan.or.jp/book/?p=255">次回「「ゼイタクな恋愛」を満喫する腐女子たち」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから</a></p>







カテゴリー:リレー・エッセイ