前回のグアテマラの生活改善アプローチ活動紹介つながりで、今回はメキシコの農村で行われた生活改善アプローチの経験をご紹介します。
メキシコとオアハカ州
メキシコ南部にオアハカ州という州がある。メキシコは地域による貧富の差が激しく、国内総生産(GDP)ランキングで世界15位(2018年)にありながら、最低限の生活レベルを保つことさえ困難な住民もまだ多くいる。オアハカ州は全国32州のなかで2番目に貧困度が高い州である。
また、メキシコには現在約65の先住民グループが存在するが、そのうち16グループがオアハカ州に存在する。メキシコの先住民は、他の国や地域の場合と同様に経済的にも社会的にも周縁に追いやられ、虐げられた生活を強いられてきた。それに加え「マチスモ(男性優位)」の考えが強く残っており、女性達はさらに弱い立場に追いやられている。
生活改善アプローチ活動の導入
メキシコ社会開発省の職員が、日本で行われた生活改善アプローチの研修に参加し、そこで学んだことを現場で応用するため、オアハカ州にあるサンタ・ルシア・ミアウトラン村(以下、ミアウトラン村)を一モデル地として選んだ。
ミアウトラン村はオアハカ州の州都から車で約3時間にある村で、人口3,356人(2010年)、先住民人口がほぼ100%を占めている。住民の約8割に保健サービスへのアクセスが不足しており、電気が届いていない住居が約15%あった。(社会開発省・全国社会開発政策評価会議報告、2010年)さらに、男性のアルコール依存度が高く、社会開発省の職員にとっても、「なんとかしなければ」という村だった。
社会開発省の職員は、まず住民女性を集めて生活改善アプローチ活動についての説明会を行った。会合に出席した女性達は発言するどころか、会合の間ずっと無言でうつむいたままで職員と目を合わすことさえもなかった。これは会合の間だけの話ではなく、日常生活でも女性達は家から出ることはほとんどなく、隣近所の女性達と会話することさえほとんどなかったという。夫あるいは父親である男性たちは妻あるいは娘である女性が外を出歩くのを嫌がり、家に留まることを要求し、女性達もその状況を受け入れていた。
また女性達は、社会開発省などの政府機関から物資や金銭を一方的に受け取るタイプの支援に慣れており、生活改善アプローチの説明会に参加した理由も「出席さえすれば『何か』がもらえるだろう」という考えがあったからだった。職員が、今回の活動支援は物資や金銭ではなく、機会・場、技術を提供する支援であること、そして何より女性達自身が主体となって活動しなければならないことを説明すると出席した女性達は戸惑いをみせた。
生活改善アプローチ活動の実施
それでも活動をしてみたいと関心を示した女性達を集め、10人前後からなるグループを形成した。まずグループメンバー同士で自分たちのニーズを話し合った。メンバーから一番にあげられたニーズは食器洗い兼洗濯小屋の設置だった。
「最初の活動として、食器洗い兼洗濯小屋を作ることにしました。それまで私達は外で家族全員の食器や洋服を洗っていました。カンカン照りの日も、大雨、大風の日も、外でしゃがんで洗っていました。そんなところで長い時間しゃがんで作業することにより、多くの女性が身体をこわしたり、腰痛を起こしたりしていました。」(女性グループメンバー談)
小屋は各メンバーの家に作られた。材料は自分たちの家や家のまわりにあるものを活用し、自身がそれぞれ使いやすい配置・デザインを考えた。そして、各々が自分の小屋を作るのではなく、全員が一緒に各メンバーの家を順番にまわって、議論し協力し合って作った。
「この食器洗い兼洗濯小屋は、各メンバーが自分でデザインし、使いたい材料を使って作りました。そのため小屋によっては枝で作っているものもあれば、トタン板で作っているもの、釘を使っているものもあれば縄で作っているものありますし、洗濯場と食器洗い場を別にしたところもあります」(女性グループメンバー談)
そして食器洗い兼洗濯小屋がメンバー全員の家庭に設置された。
「この小屋ができることによって、陽や雨風がさえぎられるようになり、いつでも家事ができるようになりました。またしゃがまずにすむため、女性の病気も減りました。」(女性グループメンバー談)
この一つ目の活動が終わると、「次は何をするか」、「何が必要か」をグループメンバーで話し合った。今度は、「鶏小屋」を作ることにした。
「食器洗い兼洗濯小屋をすべてメンバーの家に作った後、次に何が必要かを考え、それまで庭に放し飼いになっていた鶏を囲い込む小屋を作ろうとメンバーで決めました。」(女性グループメンバー談)
この鶏小屋の設置も食器洗い兼洗濯小屋と同じく、グループメンバーが順番に互いの家に行き、議論し協力し合いながら行った。
すべてのメンバーの家に鶏小屋ができると、次のニーズを話し合った。
「鶏小屋の設置が一通り終わった後、次は何が必要かをメンバーで考えました。『人から見られずに水浴びができる小屋があったら良い』ということになり、水浴び小屋を作ることをグループで決めました。」(女性グループメンバー談)
このような形で、「生活を良くするために何が必要か」という点について外部の人間から教えられるのではなく、メンバー同士で考え、議論した。そして自分たちで決めたことを、自分たちのまわりにあるものを活用しながら、自分たちの力で少しずつ継続的に実行し、少しずつ生活状況を改善していった。
社会開発省の職員によると、以前は、女性達は他の女性に自分が抱えている問題を話すという機会さえなく、本活動を通じてようやく少しずつお互いに話すようになった。その過程で問題を抱えているのは自分一人だけでないことに気付き、それがグループ活動を続ける大きな動機付けになっているということであった。
またあるときは、社会開発省の職員の手配で、市外の施設への視察に行った。その一つに近隣の市にあるエコロジーセンターの視察があった。そこにあった数あるエコロジー資機材の中でも特に貯水タンクに女性達の関心が集まった。村では乾季になると常に水不足になる。雨水を貯める貯水タンクがあれば、その水不足を少しでも解決できるということに女性達は気が付いた。そしてその貯水タンクを自分たちで申請することにした。
このときは外部からの物資の支援を受ける活動となったが、以前と大きく異なるのは、一方的に配布されたものを受け取るのではなく、女性達自身がニーズに気が付き、自分たちでできることとできないことを判断し、できないことを解決するために自分たちで支援の要請をしたところにある。
また、以前は個々の家庭で行っていた畑の農作業もメンバー同士お互いに手伝うようになった。その頃から、当初は妻や女性達が会合に参加したり、活動のために外出したりするのを快く思っていなかった男性たちの態度が変わり始めた。畑仕事に出かけようとする妻に、「農作業は女性だけではきついだろうから、自分も手伝う」と言い、女性達に交じって活動に参加する男性が出てきた。それが一人二人増えて、数人になった。
さらに以前は、女性は村の住民総会に参加することができなかったが、女性グループの活動が活発になるにつれて、女性の参加が認められるようになった。村の職員にもはじめて女性が一人秘書として任命された。女性達は、住民総会に参加できるものの投票権はまだないし、任命された秘書も役場の中で「自分の意見は尊重されていない」と感じている。それでも女性グループの活動によってグループ外にも変化が生まれた。
私がミアウトラ村を訪問したのは、このような変化が出てきていた時期で、女性達が活動をはじめてから2年ほど経ったときだった。この訪問は、グアテマラで地方自治体を通じた生活改善アプローチの活動をするために、対象市の市長たちに具体的な活動事例をみてもらうためのものだった。グアテマラの男性市長11人を前に、女性達は写真も活用しながら堂々と自分たちの活動を発表してくれた。そしてこう言った。
「自分達の活動を見に来てくれるのはとても嬉しい。これからは自分達も他の市や国に行って、他の人たちがどのような生活、活動をしているのか見てみたい」(女性グループメンバー談)
数年前まで、隣近所の女性と会話することさえほとんどなかった女性達が、他の国から来た男性の権威者たちを前に堂々と自分たちの経験を発表できるようになり、さらに他の市そして他の国にまで興味・関心を持つようになっていた。
いつかこの女性達が「訪問する側」になり、他の国々や地域の人々の生活状況をみて、そして自分たちの経験をもとにそれらの国々(日本も含む)や地域の人々の生活を改善するための支援をするようになったら、それはとても嬉しい。