フラワーデモ東京に参加して こばやしあすか
東京駅からお堀のほうに向かう人の群れの中、一本の花を手にたずさえている女。あ、あそこにも。彼らは雷が鳴り雨が降ってもフラワーデモにやって来たんだなあと、私は胸が熱くなる。
白い花束を胸に持つ男。花かんむりをしてる女。バギーに乗った赤ん坊は髪に花飾りをつけている。集まってきた人たちは、後ろの人に配慮し石畳にしゃがみ、静かにスピーチに耳を傾けている。周りの交通音の大きさに比べ、被害者の身体から絞り出されるスピーチの声は輪の外にはかすかに聞こえる程度で、人びとは被害者の言葉に体の全神経を集中させて聴き入っていた。
一人のスピーカーは、海外で広まっているという「安全ピン運動」のことを話した。差別やヘイトスピーチが怖くて外出できない人々を励ますために、「私はあなたを差別しない」という想いを胸につけた安全ピンで示す。「あなたのそばにいる、あなたはひとりではない」とのメッセージを日常で示すことができるアクションなのだそうだ。
ひとつひとつのスピーチを聞くごとに、性被害を軽く見る社会の風潮や、加害者を擁護するような司法を変えなくてはと、怒りがわいた。
女性、男性の、被害者のお話のなかで聞いていてつらくなったのは、彼らの多くは体験したことの異常さに対して精神的な防御反応で「何もなかった、大したことではなかったのだ」と、自らの感覚を麻痺させ、傷の痛みを感じないように、感情を押し殺してその後の年月を生きざるをえなかったことだ。精神的につらい症状を長期間わずらっても、その原因は過去の性被害が原因だったということに気づくのに、30年以上かかったことを、一人の男性はスピーチで語ってくれた。被害にあったその日から、自分は自分でなくなってしまったと語る被害者は、加害者のせいで、日常の穏やかな生活も、自分の性を自身で大切に育てる喜びをも、ズタズタにされ踏みにじられたのだ。
私は彼の話に、自分の子供の頃の嫌な体験を思い出した。
あれは5歳の頃、親戚の家に遊びに行って女たちは料理に忙しいからと、私はおじさんとお風呂に入れられた。 そこで、そいつに不自然に足を開いて前屈するように言われ私は性器をいじられたのだ。そいつは、私が痛いっ!と叫んだのでやめた。でも、私は覚えている、この歳になっても。
はっきりと言葉で言いたい、私は嫌なことをされた、自分がされたくなかったことをされた。被害にあって40年以上経ち、異議申し立てをする自分がここにいる。
思いきってデモの参加者にその自分の嫌な体験を話してみた。その人は、性暴力の被害を、軽いいたずらに過ぎないと言われたり、よくあることだからと取り合ってもらえないことは多いと言った。いったいどれだけ多くの人が、他人からはいたずらと軽視される性被害にあい、わだかまりを抱え続けるのだろうと思う。
とても不快に思うのは、自分自身で体や性の成熟を祝福する前に、他人に好奇な目で見られいたずらの対象とされ、された行為が汚い記憶として体と心に残されることだ。
自分の性を好奇な目で見られたくない。私の性は私自身の美しい大切なもの、私のものだ、他人に支配させるなんて真っ平ごめんだ。
実の父親からの性被害を、家族を崩壊させないために、声を押し殺して隠し続けていた被害者の話を、信ぴょう性がないと疑う警察や司法。警察や司法は被害者が被害について話す苦しみを、まるで分かっていない。そんな社会の風潮をこのままにしておくのは嫌だ。私たちが変えたい、次の世代に負わせたくない。
フラワーデモの場はまるで、スピーチする人の心の痛みや傷を少しでも和らげたいと、幾重にも被害者をつつみ守ろうとしているかのようだった。
怒りはわいてくるのだけれど、被害者をこれ以上傷つけたくない、痛みから彼らを守りたいと思った。いつしか私は被害者の傷が癒えるようにと心の中で祈っていた。
おだやかで静かなフラワーデモの場には、被害のひとつひとつの話に怒り身を震わせ涙を流す、200名を超える人の輪ができていた。
デモにはひとりで来たのに、帰りには思いや感想を一緒に話せる仲間ができた。フラワーデモはあたたかい優しさに満ちた、人の輪だった。(A)
フラワーデモ@東京駅初参加 感想 濱野稔子
今日は何としても行かなければ、と思った。それはスピーカーの一人が伊藤詩織さんだからだ。詩織さんの事件のことについて考えるとき、わたしの精神はおかしなことになっている。あまりにも大きな「怒り」は、持っていると心と体を蝕む。だからわたしの中にあってこの「怒り」は奥底にしまわれて厳重に鍵がかかっている。そして、一見平静を装って、心の海は凪の状態になっている。
フラワーデモはあたたかいデモだった。デモに参加したのは初めてだ。デモではないが、レインボープライドパレードに数回参加している。そのときの心持ちと似ているな、と感じた。「ここに集っている人たちを、わたしは心の底から応援している」
ひとつ違うとすると、「当事者」であるか、ないか、だ。わたしは性暴力被害の当事者だ。そのことに気づいたのは、ごく最近だ。気づかせてくれたのは韓国の小説「82年生まれ、キムジヨン」である。キムジヨンに起きたことは韓国、日本のみならず、世界の女性たちに起きていることであり、何よりもわたし自身にも当てはまることだった。そして、「黙っていること」を強いられていることにも気がついた。
フラワーデモでは、様々な「経験」が話される。時に聞いているだけで苦しくなる状況も話された。でもそうして「放された」痛みは、聞いている一人ひとりの痛みと寄り添うことで、不思議とあたたかなエネルギーに変るのだった。
詩織さんは、あの事件が起きた時に着ていた服を、事件後はじめて身に着けるという行動をしてくださった。あの日、まさか性暴力に遭うなんて思わずに、日常でいつも来ている服を着て出かけたのだという。わたしたちは毎日、日常を生きて、誰一人として性暴力に遭うなんて思わずに生きている。人とひとはあたたかく結ばれることができるはずだ。恐怖や支配や恥辱や悔恨などが生み出される関係ではなく。そのことを深く心に感じたフラワーデモだった。