主人公の一人、ロニートは、ロンドンの超正統派ユダヤ教コミュニティにおける、指導者(ラビ)の一人娘として生まれるが、古い頑なな信仰を捨て、ニューヨークに移住し、写真家として自立している。もう一人の主人公、エスティは、地域に残り、3人が仲良しであった、その一人ドヴィットと結婚して、信仰を守ろうとしている。エスティは、ドヴィットを尊敬し、彼はロニートの父、ラビの後継者と目されているのである。
 ある日、ロニートのもとに父が亡くなったという連絡が入る。そして帰国した彼女を取り巻く周囲の奇異の目。帰国を予測していなかったドヴィットすらも驚く。彼は一応やさしくロニートを受け入れ、ホテルではなく、自宅に泊まるように勧める。そこで、ロニートは、エスティがドヴィットと結婚していることを知りショックを受ける。3人のぎこちない雰囲気がなぜなのか、この時点ではまだわからない。

 やがて、ロニートを、夫にも知らせずニューヨークから呼び戻したのは、エスティであること、二人が思い出の野原で手を取り合っているのが目撃されて、教員であるエスティの教職が脅かされるといった出来事から、ロニートとエスティは、かつてレズビアン関係であったことが少しずつわかってくる。一度は諦めた関係なのに、再会後二人の感情は燃え上がる。地域社会の目、ドヴィットの困惑する感情のなかで、ラビの盛大な葬式が執り行われ、そこでロニートはエスティにニューヨークで一緒に暮らそうと誘うのである。同時にその場で自らも後継者を任じていたドヴィットがその役割を降りると宣言し、物語は急展開する。さらなる別の結末が待ち受けているが、それは映画に任せよう。ただこの予定調和的な結末がいくらかは残念だといえば言える。
 

キィワードは、ドヴィットの後継者を辞退する、実は、本来ラビの息を引き取る最後の言葉である。「人間には反抗する力があります。生き物の中で唯一自由意志を持つのです」と。かくも伝統を重んじるラビが、なぜこの言葉を最後に息絶えたかは、説明がない。ドヴィットは、葬式までに師のこの言葉をどのように理解し賛同したかの説明もない。帰国したロニートによって改めて「自分を取り戻した」エスティを、式後「君は自由だ」と言ってドヴィットは許すのである。

 超正統派ユダヤ教をよくわからない評者にとって、戒律や掟の重圧が実感としてどのようなものであるかは想像外である。旧約聖書レビ記に、男性同性愛については厳しく禁じられていて、「彼らの行為は死罪に処せられる」が、女性同性愛は言及がないと言う(パンフレットより)。それでも掟は掟なのだろう。旧約聖書によれば、女は男から創造されたのであるから。しかしながら、女性は、人前でかつらをつけなければならないような状況においてすら、人は同性への愛情を止めることはできない、というたしかな証である。
 

もう一つのメッセージは、「自分とは誰か」への目覚め・再確認である。「ロニートへの愛=自分」に改めて出会ったエスティは苦悩する。信仰と愛情のあいだで葛藤する二人。誰を愛するかは、個人のアイデンティティの中核をなすと思われるから。エスティならず、ドヴィットも、自由であることに目覚め(たように見え)る。しかし、このような「自分であること」が、背景となっている超正統的宗教理念・社会とどのように対立・葛藤するかは詳述されていない。最後の結末が(見方によれば救いとなるが)やや物足りないというのは、この意味においてである。 鑑賞をお勧めしたい。

主演女優:レイチェル・ワイズ(ロニート)
     レイチェル・マクアダムス(エスティ)
主演男優:アレッサンドロ・ニヴォラ(ドヴィッド)
監督:セバスティアン・レリオ
原作:ナオミ・オルダーマン
音楽:マシュー・ハーバート

英国インディペンデント映画賞(2018)最優秀助演男優賞受賞・4部門ノミネート
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2020年2月7日(金)からヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー。