views
807
生と死の境に 小林杏
2010.06.25 Fri
<p> </p>
<div class="align_left">アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.</div>
<p>鷹番さんのエッセイを読んで、「生きる」ということを考えつづけた様々な作家たちのことが頭に浮かびました。おそらくみな、それぞれの好きな小説や映画の中に、様々なかたちでの「生きる」こととの格闘を見出し、ひかれるものではないでしょうか。<br /> しかしここでは「生を考えるということは、死を考えるということ」という最後の一文を受け、「死」を考えることがいつのまにか「生」を考えることに、そして「生」を考えることが必ず「死」を考えることに反転し、つながっていくと私が思う「写真」というものについて書きたいと思います。<!–more–> 冨山さんのリレー・エッセイでも名前のあがったロラン・バルトは、『明るい部屋―写真についての覚書』という、写真をめぐる著作を残しています。その中でバルトは、亡くなったばかりの母親の「真実の写真」を探し求め、写真についての随想を展開するのですが、なかなかそんな写真を見出すことができません。そしてついに幼い頃の母が兄と温室の前に立っている「温室の写真」を発見したときに、「これだ!」と叫びます。彼の知らない幼き日の母親の姿が映っているだけの「温室の写真」の中に、彼は「母」の「真実」を見出し、それを、彼が写真の本質であると定義した「それはーかつてーあった」と、母親の真実が融合した、「本質的な写真」と表すのです。<br class="clearall" /><br /> 興味深いのは、この著作の中で彼が、写真の中に写っている、今はもうこの世にいない人々の姿が、写真を通して必ず「それはかつてあった」ものとして見る者につきささってくる、その「時間の圧縮」の運動を、幾度となく描いていることです。バルトはこの時間の圧縮を、「それはすでに死んでしまった、と、それはこれから死ぬ、とが一つになっているのだ」と表現します。彼が取り上げる古い写真(絞首刑になるルイス・ペイン/アメリカ国防長官W・H・シェーアードの暗殺を企てた青年/の、独房での写真[1865年]や、母親の少女時代と同じような服装をして輪回しをして遊ぶ少女たちの古い写真などを彼はとりあげます)の中には、すでにこの世にいない人々の姿が「かつてあった」ものとして、生きている姿で写されています。それが「かつてあった」ことを強くあらわせばあらわすほど、私達は、同時に、「それはすでにない」ことをも強く感じることになるという、存在と不在に引き裂かれる体験をすることになるのです。<br /> 写真はよく「思い出」という言葉とともに語られます。写真は「かつてあった」覚えていたいものをそのままに残し、私達に見せてくれるものとして受け入れられているからです。確かにそんな一面が写真にはあるけれど、しかしそれだけではない、存在を感じさせると同時に不在を突きつけるという写真の不気味な力が、私達の身の回りのすべての写真に共通して潜んでいるのではないでしょうか。<br /> そんなことを強く考えさせる「時の宙づりー生と死のあわいで」という展覧会が、今、Izu Photo Museumで開催されています。(http://www.izuphoto-museum.jp/)<br /> 写真史研究家のェフリー・バッチェンのコレクションを展示したもので、生前の故人の写真と髪の毛を編みこんだブローチやペンダント、ドライフラーとともに額に入れられた故人の写真など、家庭の中で個人を偲ぶよすがとして様々に加工された写真の数々を見ることができます。そこでは、故人を偲ぶ家族や恋人といった近親者の思いが生々しく立ち上ってくると同時に、その写真の中に写っている人々の、はっきりと示された存在・そして不在というパラドックスに、私達は立ち会うことになるのです。バッチェン氏はこのような、作品として撮影されたのではない、私達の生活の中にある写真をとりあげることによって、写真研究において写真の新たな角度にスポットを当てる研究者ですが、彼の新たな取り組みとして、この展覧会ではスナップ写真のコレクションも展示されています。死者を追悼する数々の写真オブジェを見た後に、なんということのないスナップ写真の隊群を見ていくと、私達の身の回りにあるごく普通の写真の中にも、この写真のパラドックスが潜んでいように、感じられてくるのではないでしょうか。そこには、「生」か「死」のどちらかだけがあるということはありません。生を見つめていたかと思えば死が顔を出し、死をまなざしていたはずが死者の生ともいえる不思議なものに出会ってしまう。写真を見ることはいつもそんな、生と死をめぐる運動であり、ある種の喪の作業であるように私は思っています。<br /><br class="clearall" /></p>
<p> </p>
<p><a href="http://wan.or.jp/book/?p=295">次回「写真と眠りにちらつく「死」」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから</a></p>
カテゴリー:リレー・エッセイ
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画





