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夢――ユートピアへの回路 松葉志穂

2010.07.23 Fri

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<p>「死」と「眠り」を巡る久津輪さんのエッセイを読み、ふと「夢」について考えた。奇妙なのだが、私の人生で最も古く、最も鮮明な記憶は、あるひとつの「夢」なのだ。大仏の夢だ。私はまだ見たことも聞いたこともないはずの大仏殿の中にいて、天井高く聳え立つ大仏をじっと見ていた。大仏殿の内部には灯もなく、宇宙のような暗闇が広がり、何故か大仏だけがぼうっと浮かび上がっている。子供心には酷く怖い夢だった。<!–more–> <br />「こんな夢を見た」<br /> この一文で始まる夏目漱石の『夢十夜』は「<無意識>に秘められた願望や不安、恐怖、虚無」を「夢」を通して不気味に描き出す。ただ単に不気味なだけではない。十夜の夢が醸し出す雰囲気には、どこか人を魅了しおびき寄せる力が潜んでいる。人の眠りの内部にしか存在しないものでありながら、いや内部に存在するものだからこそ、「現実」と「夢」の境界は錯綜し、時にほとんど同じ重みと鮮明さを持って同居する。時に現実を規定し、支配し、凌駕することさえある。<br class="clearall" /><br /> それゆえに「夢」は絶大なる象徴的意味を付与され、多くの信仰や伝説や文学のテーマとなってきた。</p>
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<p>三島由紀夫の『豊饒の海』四部作では、「夢」が物語を読み解く重要な鍵として全編を貫く。第一部『春の雪』の主人公、清顕は夜毎見る夥しい夢を密かに「夢日記」に書き綴る。幼馴染みの聡子と禁断の恋に落ち、やがて二十歳の若さで世を去る清顕は、親友の本多に「夢日記」を託す。この日記が予言書となり、そこに綴られている「夢」のひとつひとつが、その後の本多の前に「現実」として立ち現われてくるのだ。清顕の魂の生まれ変わりとともに。<br class="clearall" /><br /> 第四部『天人五衰』の終幕、八十歳になった本多は、かつて清顕が愛した女性、今は奈良の尼寺の門跡である聡子に会いに行く。しかし聡子は本多のことをまったく覚えていない、清顕のことさえも。それどころか彼女の口から洩れたのは、これまでのすべての物語は実は本多の心が生み出した幻、つまり「夢」ではなかったか、という言葉であった。<br /> 『豊饒の海』が孕む根源的な謎。ここに至って、私はまるで千尋の谷底に突き落とされたような思いがした。おそらく、あまりにも深く「夢」に関わってしまったために、「夢」が現実の領域にまで溢れ出し、「夢」の氾濫が起こってしまったのだろう。</p>
<p> いささかこの文章の筋も錯綜してきたようだ。</p>
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<p>さて、澁澤龍彦の『東西不思議物語』には、「夢」にまつわる古今東西のユーモラスな逸話が何編か収録されている。中でも興味深いのは、人間の魂が睡眠中に小動物や火の玉となってふらふらと肉体を遊離する話だ。また夜道で偶然出会った人間の後を追っていくと、実はそれが睡眠中の人間の肉体から迷い出た魂だった、という話もある。だから眠っている人を急に起こしたりすると、魂が帰り道を間違えて、その人が病気になってしまったり、最悪命を落とす事態にもなりかねないという。<br class="clearall" /><br /> ここでは明らかに「死」と「眠り」と「夢」は渾然一体となっている。それゆえに「眠り」は「死」のメタファーとなり、「死」の一種の原型として捉えられる。ひょっとしたら幼い私の魂も、期せずして肉体からふらふらと抜け出し、遠く離れた奈良の都を散歩していたのかもしれない。</p>
<p> しかしこう考えることも可能ではないか。「眠り」によって我々は「第二の人生」を生きているのではないか、と。「第二の人生」などという陳腐な表現をよせば、多層的な世界を自由自在に横断しているのだ。ある種のユートピアへの到達といっても良いかもしれない。そのユートピアが我々にとって良きものか悪しきものかはここでは問題ではない。ただ我々は神話の英雄のように、数多くの危難に満ちた旅路を経る必要もなく、目を閉じ、深層意識のトンネルを潜り抜けるだけで十分なのだ。<br /> すると「眠り」を失い、「夢」を失うことは、ユートピアへの回路の喪失であり、一種の「死」を意味するのではないだろうか。</p>
<p> 村上春樹の短篇小説「眠り」は、その「回路」を暴力的に奪い取られた女性の物語だ。彼女はあることがきっかけでまったく眠れなくなる。彼女は宇宙の果てまで見通せそうな恐るべき明晰さを手に入れるが、同時にその心は砂漠のように荒廃し、酷く狭量で独善的になる。そして針のように細く鋭く研ぎ澄まされた彼女の心は、もうこれ以上先鋭化出来ないというところで、ある日突然ぽっきりと折れてしまうのだ。</p>
<p> 実はこの文章を書き上げた日に見た「夢」はかなり嫌な夢だった。目が覚めてしばらくの間、寒気がして、全身に鳥肌が立っていた程だ。内容までは覚えていない。しかしそのぬめぬめとした不吉な感触だけは鮮明に記憶している。</p>
<p> 果たして、私は一体どこのユートピアを彷徨っていたのだろうか。</p>
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<p><a href="http://wan.or.jp/book/?p=291">次回「アメリカン・ドリーム」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから</a></p>







カテゴリー:リレー・エッセイ