
今月は、この連載では初のイギリス人作曲家、セシリア・マリア・バルテレモン(Cecilia Maria Barthelemon)をお送りします。1767年ロンドンに生まれ、1859年ノーフォークで亡くなりました。複数の資料を確認したところ、死亡年に間違いはなく、92歳の長生きの方でした。
両親ともにロンドンで名の知られた音楽家でした。母親はマリアと同じ姓名を持ち、同時にポーリー・ヤング(Polly Young1749~1799)という、独身時代の名前も使用して活躍した作曲家兼歌手でした。母方のヤング家は華麗なる音楽家一族で、祖父や大叔父は高名なオルガニストや作曲家、叔母の1人は18世紀イギリスを代表する歌手の1人として歴史に名前を残しています。父親は、フランソワ・ヒポリテ・バルテレモン(François-Hippolyte Barthélemon)と言い、フランス出身のバイオリン奏者兼作曲家でした。マリアは、まさしく音楽家になるべき家庭環境に育ったと記録がある通りです。
幼少から、母方の叔母セシリアや両親のアイルランドのコンサートについて歩きました。後年、自身の夫になる人物にもアイルランドで出会いました。時には大人たちと一緒にステージに立ち、自作の歌曲やハープシコードソナタを演奏する機会を与えられました。1776年~1777年はフランスとイタリアへ演奏旅行を続けました。フランスのマリー・アントワネット妃は、彼女を膝に抱きながら両親の演奏を聴いたとの記述もあります。その後、彼女自身のマリー・アントワネット妃への御前演奏も行われました。加えて、当時のナポリ国王フェルナンド4世にも御前演奏をしています。教育は、当時ロンドン在住だったライプチッヒ出身の音楽家に、ピアノを含む鍵盤楽器を習ったと記述があります。

ハイマート劇場
歌手としての正式デビューは、ロンドンのハイマート劇場で1779年3月3日に行われました。12歳の時分です。母親と一緒にステージに立ち、ハイドンのメサイアから数曲を歌い、成功を収めました。1782年にはミュージカルにも出演しました。父親が作品担当のオーケストラを率いていましたし、母親も合唱団の指導者でしたので、幕間にピアノ協奏曲を弾く機会や、母親の歌曲の伴奏もしました。また、ある時は娘の演奏に父親がビオラ・ダ・ガンバの伴奏をつけました。音楽界を牽引する両親を持った恩恵は、如何に大きかったかが垣間見えます。

ハイドン
バルテレモン一家にとって大きな存在だったのは、ジョセフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn.1732-1809)との友情でした。ハイドンは言わずと知れたオーストリア出身の大作曲家で、ハプスブルグ王朝下、長い期間エステルハージ宮殿に宮廷音楽長として仕えていました。その後、エステルハージ家に代替わりがあり、新しい当主は音楽にほとんど興味がなかったため、ハイドンは閑職になりました。新しい当主は、それでも悪くない額の年金を支給しましたので、時間の余裕ができたハイドンは外界に目を向け、ウィーンも訪ねるようになり、ロンドン行きの誘いを受けました。イギリスをたいそう気に入ったハイドンは、初回1791年~1792年、2回目は1794年~1795年に滞在しました。ロンドン時代に残した作品は、数ある作品の中で代表作と言われているものも含まれており、後期のピアノソナタは、質の高さや難易度でよく知られています。オーケストラ作品では、交響曲「驚愕」「軍隊」、ピアノ三重奏曲「ジプシーロンド」もロンドンで書きました。
マリア・バルテレモンもハイドンの薫陶を受け、書法も大きな影響を受けました。彼女の作曲家としての活動は1786~1795年になされており、楽譜出版も現在では改訂版も出ています。作品を献呈した対象は、王室から始まるイギリスのエリート層で、錚々たる名前が連なっており、如何に彼女の人脈が華々しかったかを物語っています。作品1は「鍵盤楽器のための3つのソナタ」、作品2は「ピアノフォルテのための2つのソナタ」、作品3はハイドンに献呈した「ハープシコードのためのソナタ」、作品4「バイオリンと伴奏楽器のためのソナタ」。当時のソフィア・マチルド王女の他、300ほどの曲が王室、貴族、その他音楽家の知人たちに献呈されました。

ハイドンに捧げた演奏作品の楽譜表紙
マリアは、2度の結婚歴があったのではないかとされています。これはハイドンに献呈した自作に2つの姓が記されている作品があるためです。ひとつはHinchciliffe。もうひとつはHenslow です。Henslow氏は船の船長で、2人は1796年12月頃に結婚した記録が残っています。それ以降は、あいにく作品の出版も演奏家としての記録も残っておらず、おそらく結婚により経済的基盤ができ、収入を得る必要がなくなったことから活動もしなくなったのではないかと、現在の歴史学者は「良縁に恵まれたのだろう」と記述しています。
ここで、いわゆる「イギリス音楽」を、ごく限られた字数でご説明しますと、イタリア、フランス、ドイツ等に比べて、確かにイギリスは後世に残る作曲家が多くはなく、音楽史に多くの記述が見受けられないと言っていいでしょう。
それでも、ヘンリー・パーセル(1659~1695) が一時代を築き、パーセル以前は、市井の民たちの歌を歌う喜びが生活にありました。パーセルが短命だったゆえ、その後ドイツ人のフレデリック・ヘンデル(1685~1759)が渡英するまで大きな変化はありませんでした。ヘンデルは、すでにイタリアでオペラやオラトリオ作曲家としての確固たる地位を築いたのち、イギリスへ渡りました。イギリス国王ジョージ1世が元々はドイツ人でイギリスへ迎えられたことから、ヘンデルのイギリス音楽界への影響は大きいものでした。その後、イギリスへ帰化し生涯をイギリスで活躍しました。ヘンデル以降の作曲家は、「愛の挨拶」で有名なE・エルガー(1859-1934)、ヴォーン・ウィリアムス(1892~1958),「惑星」で有名なG.ホルスト(1874~1934)、B.ブリテン(1913~1976)と続いて行きます。
イギリスの女性作曲家には、社会活動家として女性解放運動に携わったエセル・スマイス(1858~1944)が、バルテレモンの亡くなった1年後に生まれています。加えて、レベッカ・クラーク(1889~1979)も、主に弦楽器の作品、とりわけビオラに素晴らしい曲を残しています。エセル・スマイスは婦人参政権運動の活動家で、「女性たちの行進/The March of the Women」という作品を書いたことで一躍名前が出ました。レベッカ・クラークは2曲のピアノソロ作品がありますが、あいにく出版に至っておりません。両者とも、なかなか興味深い人生と素敵な作品を残していますので、音源演奏を工夫し、こちらのサイトでご紹介できるようにと考えるところです。なお、イギリスBBC放送のラジオ3や4では、女性作曲家の特集がアーカイブスで視聴でき、筆者もリサーチにあたり折々参考にさせて頂いています。
References(出典):
“Cecilia Maria Barthelemon,” Wikipedia in English
“Polly Young,” Wikipedia in English
Deborah Hayes,
https://spot.colorado.edu/~hayesd/,
Cecilia Maria Barthelemon,
https://spot.colorado.edu/~hayesd/Classic%20Women/cm-barthelemon.html
今回の作品演奏は、「ハープシコードのためのソナタ作品3」、第1楽章アレグロヴィヴァーチェ(AllegroVivace) をお聞きいただきます。全体は3楽章形式で、ハイドンに献呈しています。

《CD発売のお知らせ》
女性作曲家作品集「Pioneers」がいよいよ9月11日発売されます。ナクソスグランドピアノシリーズ、NAXOS GP844。こちらは視聴のページです。
https://www.naxos.com/ecard/grandpiano/GP844/#
皆さまのお耳に留まりますよう、よろしくお願いいたします。
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