今月は、ルーマニアのリアナ・アレクサンドラ(Liana Alexandra)をお送りします。1947年、ルーマニアの首都ブカレストに生まれ、2011年、同地で脳卒中のため亡くなりました。インテリの家系で、父親は軍事大学出身、その後教授職に就きました。母親は学生時代、自然科学を専攻しました。

 リアナは高校卒業後、チプリアン・ポルムベス音楽院(現・ブカレスト国立音大)の作曲専攻で学びました。エネスコ特別奨学金を授与された優秀な学生した。ジョルジュ・エネスコ(George Enescu)は、早くにルーマニアを出てウィーンで学び、フランスで生涯を終えました。世界的な奏者/作曲家として、今もルーマニア国民の誇りです。

 リアナは、ルーマニアの伝統的な民族音楽や世界各国の作曲家の技法、ありとあらゆることを学びました。また、ドイツのダルムシュタットの講習会に定期的に参加し、アメリカ合衆国のオファーにより、USIA(United States Information Agency, Department of State)のフェローとして度々アメリカも訪れました。このような幅広い研鑽により、生涯にわたり100以上の作品を書きました。

 1971年からは母校の音楽院で作曲科の教授を務め、作曲はもとより、授業ではオーケストレーションや楽式を担当しました。1994年には博士号を取り、論文のタイトルは ”音楽の創造”、英語全訳は、"Musical creation:An ineffable approach between fantasy and arithmetic and geometric rigor"です。

     リアナが通った音楽院の校舎

            リアナと夫

 夫は、同じ音楽院で学んだ作曲家/チェロ奏者のセルバン・ニキフォー(SerbanNichifor、1954年生まれ)。ピアノ連弾曲や、チェロとピアノの2重奏で頻繁に競演をしています。加えて彼の特記すべき活動には、ホロコーストの犠牲者に捧げた作品が数多くあります。リアナ亡き後は、彼女の膨大な音楽活動を伝記「告白」として上梓しました。夫婦は終生、苦楽をともに暮らしました。夫は現在もお元気なご様子です。

 2010年10月のリアナのインタビュー動画から、筆者が印象的に思った言葉をお伝えします。「作曲を職業として選びましたが、後から考えるに、おそらく作曲は天職だったのだろうと思います。ただ、そこに行き着くまでには、内に秘めた音楽へのパッション、創造性、どこまでも探求を続ける強い意思を持っていました。決して易しい道のりではありませんでしたが、少しずつ段階を経て、真の意味でプロの作曲家に成って行ったと思います」と語っています。

 作風はネオクラシック~新古典主義の分野にカテゴライズされ、100以上の作品を残しました。7つの交響曲、7つの協奏曲(曲によってソロ楽器は違う)、3つのオペラ、4つのカンタータ、オラトリオ1曲、数多の室内楽曲、子どものための曲も残されています。アンデルセンの童話『人形姫』をバレエ音楽にもしています。コンピューター音楽やパントマイムの音楽にも活動を広げました。ピアノソナタ第2番(1993)は、難解なテクニックとパワフルさが印象的です。日本人ピアニスト松木美和子さんに献呈されています。彼女の秀逸な演奏(東京、1998年)が動画でお聞きになれます。

 作品はルーマニア、アメリカ、ドイツ、オランダ、フランス、イスラエル、ベルギー、ポーランド、オーストリア、スウェーデン、チェコ、オーストラリア、スペイン、イギリスと、世界各地で演奏されています。Youtube動画にはMelody for cello and piano 、夫のチェロとリアナのピアノ競演が聴けます。はかなげな美しさ、いつか演奏したいと思います。

 一方で、様々な学会や組合へ所属していました。ここに書ききれないほどですが、一部をご紹介しますと、ルーマニアの「作曲家と音楽学者の組合」、アメリカの「仕事を持つ女性の集う世界組合」、「ルーマニアとイスラエル2国間の文化交流協会副会長」の要職、ドイツの「女性と音楽協会」、アメリカの「現代音楽協会」と、多岐にわたりました。

 ルーマニアといえば、独裁者チャウシェスクがあまりにも有名です。独裁政権は、1965年から1989年まで続きました。科学アカデミーも意のままに、御用学者を揃えました。リアナはこの政権下、音楽家として、女性の作曲家として、どのように活動したのか、何を思い作品を書いていたのか、亡命の意志はなかったのか? リサーチの始めから様々な問いが浮かんできました。しかしいかんせん、彼女に関する資料は夫によるものが全てで、彼女の作品批評を残した外国人学者たちも、他に文章はありませんでした。

 夫自身も独裁政権下を生きた音楽家です。核心に触れる言葉は見つかりませんでしたが、ふと思い出すに、「体操の妖精」として、かつて世界を魅了したナディア・コマネチ選手もルーマニア人です。チャウシェスク政権下、14歳でオリンピックで満点を飾るほどの活躍をしましたが、89年の政権崩壊直前に、ハンガリー、オーストリアを経てアメリカに亡命を果たしました。チャウシェスクの息子に執拗に気に入られた苦悩は、彼女自身のことばが世界に配信されています。

 リアナ自身が唯一公表している政治にまつわる言葉は、「89年の独裁崩壊前は、私は政府にとって都合の良い人間として生きられなかったと思います。89年以降は、新体制にも順応できなかったのです。そのため、ずっと政府から見張られていたのではないかと懸念はありました。生涯を通してアメリカに親和的だったため、周囲に理解を得られず、友人にも親族にも裏切り者の烙印を押されました。勤務先の大学で、新しい講座を開設したいと希望を出せば、急に却下され、却下した音楽部長も女性でしたが、ひどい扱いを受けましたし、決して私への理解はもらえませんでした。取り巻く環境は明らかに悪くなる一方で、様々な場面で抑圧を受けました。そんな中でも、唯一理解を示してくれたのが夫です。生涯、私の味方でした。」

 作品演奏は「ピアノのための~ワルツ、2005年作」。和音もメロディの音程も独特で、初めて触れた作風に、いっぺんに好きになりました。コンサートで弾きたい作品です。


出典/References
Special thanks to my beloved Romanian friend, Camilia Horvath who translated documents from Romanian into English.
夫のセルバン・ニキフォーについて,
https://en.wikipedia.org/wiki/Șerban_Nichifor
夫による著書「告白」 LIANA ALEXANDRA,confessions about her music.
https://imslp.simssa.ca/files/imglnks/usimg/1/17/IMSLP332504-PMLP537618-SerbanNichifor_LianaAlexandra_Confessions.pdf
Youtube動画の数々:
Confession 告白~ご夫婦の演奏から始まり、リアナのお話(ルーマニア語)が聞けます。
https://www.youtube.com/watch?v=nAwO60rAWA8&list=PL32B73B2B948AFC66&index=1
彼女の葬儀の光景,
https://www.youtube.com/watch?v=uD24gVr8MVQ


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