本書は、ドイツ革命時の1919年1月に虐殺されるまで、最左派の革命理論家として妥協を排し孤立を恐れず闘い抜いたローザ・ルクセンブルクの生涯を、コンパクトにまとめた小冊子である。
 ローザ・ルクセンブルクは、半世紀前の学生運動を知っている世代には懐かしい名前だ。現存社会主義を批判しながらも、革命への幻想がまだ存在していた当時、大衆による自然発生的な闘争を重視し、下からの革命を追求したローザは、反権威主義を唱えた当時の社会運動と共鳴し、そのシンボル的存在となっていた。今の日本では、名前ぐらいしか知らない人が多いと思うが、ドイツでは、1989年の旧東ドイツ民主化運動のさいに、民主主義的社会主義を求めた人物として評価され、彼女の記念碑も数多く目にすることができる。
 ドイツの革命家として知られるローザが生まれたのは、ロシア占領下ポーランドのユダヤ人家庭。さまざまな差別を体験して革命意識を育み、チューリヒに亡命して『ポーランドの産業発展』で博士号を取得。ヨーロッパ労働運動の中心地ドイツに活動の舞台を求め、偽装結婚をしてドイツ国籍を獲得した。ポーランド問題と取り組んでいたチューリヒ時代から、彼女は一貫して国際プロレタリア革命の樹立を追求している。大衆ストライキや社会主義的民主主義(下からの革命)といった革命戦術は、1905年以降のロシア革命の経験から生まれた。ドイツでは改良主義を肯定する社会民主党の右傾化と闘い、ヨーロッパ列強による植民地獲得と覇権競争の活発化の過程で帝国主義認識を先鋭化させ、早くから国際戦争の危険性を指摘し、反帝国主義・反戦のための国際プロレタリアートの連帯を模索した。
 ローザは「女性扱い」されることを嫌がって、もともと無関心だった女性問題からますます遠ざかった。ローザが求めたのは、社会民主党の中軸となる闘争指針決定への影響力の発揮。女でしかも「生意気」だっため、ヒストリー女と疎まれ、相手にされないことも多かったが、「それは自分とまともに議論できる能力のない証拠」だと片づけて前進した。うらやましい限りの自分への絶対的な自信だが、裏づけのある自信だった。彼女は「女性革命家」ではなく、「革命家」と呼ばれている。マイナスイメージが付与されがちな「女性の範疇」を自他ともに乗りこえていた。
 ローザは政治の場では勇猛だったが、多くの人に慰みを与える人間的な優しさに溢れた女性だった。卓越した学識と理論的洞察力に加え、文芸や絵画への造詣が深く、自然を愛した。恋愛でも一途で、相手と心底率直になれる感情的絆を求めた。チューリヒ時代からの伴侶ヨギヘスとの関係が破綻しても、魅力的なローザには、10歳以上年下の3人の恋人がつぎつぎに出現した。
 ジェンダー史研究者である私は、やはりジェンダーを入れたくて、ローザの親友で同じく左派で、今につながる「国際女性デー」の提唱者であるクラーラ・ツェトキンの生涯も取りあげた。彼女は、階級重視の社会主義女性解放論の主導者だ。彼女は、階級路線を守るために女権肯定論者や改良主義者との激しい権力闘争を強いられ、やがて党内の影響力を失った。社会民主党の女性プログラムは、党の指針同様に、改良的なものになる。
 ドイツ革命のさいにローザは、権力打倒は無理だと知りつつも、切られた戦闘の火蓋のなかに先頭に立って飛び込んでいく道を選んだ。「子どもはもてないの?」とヨギヘスにつぶやき、「自分の本来の居場所は党大会ではなく、自然のなか。でも、死に場所は市街戦か監獄」と語っていたローザ。彼女にとって何をさしおいても達成すべきものは革命であり、そのために全身全霊を傾けた生涯だった。
 本書には、成長過程、家族、(偽装)結婚式、仮装パーティでの着物姿、演説、監獄の中、彼女の作った押し花、自画像、旅先からの絵はがき、草稿、記念碑など、さまざまな写真が掲載されている。この写真とともに、ローザの波乱にみちた生涯をたどり、知性と感性の豊かさをあわせもつ彼女の人間的魅力に触れてもらえることを願っている。

◆書誌データ
書名  ローザ・ルクセンブルク
著者  姫岡とし子
出版社 山川出版社
刊行日 2020/11/30
定価  880円(税込)