夜郎自大の30年 蘇る言論圧殺の悪夢

著者:横田 喬

同時代社( 2021/01/27 )


 表紙の題字『夜郎自大』に振り仮名で「身の程を弁えず尊大になる」、『30年』には「大正期と昭和戦前期」と振り仮名がある。そして、表紙の帯には「歴史に顔を背ける者は、過ちを繰り返す――。/日本人はなぜ「戦争」を選んできたのか?/現代の空気感は、かつて通ってきた道と似てはいないか?/日露戦争から日中・太平洋戦争にいたる30年の政治史をたどると、日本学術会議任命問題の重大性がみえてくる!」とある。

 著者は「まえがき」に要旨こう記している。
 ――昨年十月、六人の学者の日本学術会議会員への任命を菅首相が拒んだのを知った時、強い怒りが沸き上がった。「表現の自由」が侵されている、と直感し、我がこととして捉えたから。   
 ――反射的に、戦前に起きた「滝川事件」を連想した。反共右翼学者が「アカ」と攻撃し、文部省が同調した。以後、立て続けに学問圧迫事件が起き、学者たちは貝のように口を閉ざし、時局便乗派が勢力を得て大学自体の右傾化が進んでいった。今回の場合も、菅首相の背後に元公安警察官僚の杉田和博官房副長官なる黒子役の介在が明らかになっている。

 菅首相は国会の質疑で「(削除された六人は)加藤陽子先生以外はお名前も存じ上げなかった」と言い放った。いやはや無責任なひどい答弁だが、懐刀の黒子役に当否の吟味を丸投げしていた実態が図らずも浮かび上がった。では、当の六人の学者の実像はどうなのか。著者は吟味の対象を人文系にしぼり、加藤陽子東大教授(日本近代史)と宇野重規東大教授(政治思想史)を選択。それぞれの主著を手がかりに、二人がなぜ忌避されたのかを探っていく。

 ここでは紙幅の都合で加藤教授の分の一端だけを紹介する。
 加藤陽子教授が2015年に小林秀雄賞を受けた主著『それでも、日本人は「戦争を選んだ」』(新潮文庫)は五百頁近い大冊だ。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変~日中戦争・太平洋戦争。十九世紀末(明治後半)から二十世紀前半(昭和戦前期)にかけてのほぼ半世紀の間に、日本は大きな戦争を五回も経験している。

巻末に載る参考文献は約六十点。内外の重要人物の当時の発言や手記すなわち一次資料をふんだんに駆使して具体性や真実味に富み、なかなか説得力がある。巻末の辺りで「戦死者の死に場所を教えられない国」と小見出しを掲げ、加藤教授はこう記す。  
――四四年から敗戦までの約一年半の間に、(全体のうちの)九割の戦死者を出し、その人たちは(ニューギニアなど)遠い戦場で亡くなった。日本という国は遺族に兵士たちの死に場所も教えられない国だった。
 粛然となり、思わず居ずまいを正したくなる。こうした筆致が「反戦~反体制」と現政権には映り、忌避される結果につながるのか、と筆者は推量している。      (筆者:横田 喬)