【著者から】
女性の生き難さについて語る人たちが、私たちが若い頃よりずっと増えたものの、その生き難さの根っこに「性」の問題があると言う人はほとんどいません。
また、例えば男女平等、ジェンダーギャップ、女性政策などに声を上げる人たちからも、なかなか性の問題に触れる言葉を聞きません。
不思議ですね。何故なのでしょうね。
それは、日本社会で「性的なこと」といえば、風俗、ポルノ、レイプ、性暴力…等々、男性の欲望を満たすためのものというカテゴリーで括られてきたので、女性にはどこか忌まわしい、考えることさえ後ろめい場に、追いやってきたからです。
性産業の場で働く女性たちや、援助交際に勤しむ少女たちは、常に男に搾取される側ですし、一般的な夫婦や恋人同士の性の営みも、女性はつねに受け身の立場を強いられてきました。
もし男女の性行為がもっと対等なものであったら、女たちはこんなにも苦しまず、傷つけられず済んだかもしれない…とか、日本のジェンダーギャップがこんなにも大きいのは、根源にある性概念のところで不平等だからではないか…とかを、ずっと考えてきました。
でも、つい昨日までの私は、そんなことを口にする勇気さえなかったのです。
70になったから、やっと向き合ってみようと思えたことです。
「恋の小説の主人公が70歳なんて!そんなものは売れませんよ」と、ある出版社の女性編集者から言われたこともありました。
そう、人生100年時代と言われながら、私たちは、女性だからばかりでなく、年齢でも差別されているのです。日本人は男も女も、ほんとに差別が好きですね。
動機はそんな風に様々ながら、やっぱり作品の軸に、動かすあるのは「愛」。セックスをプレイで愉しむ小説を書きたいとは思いませんでした。
私にとっての性行為は、たっぷり対等に愛し合うための、手段のひとつでしかありません。
その大切な手段を、私たちはなんと粗末に扱っていることでしょう。臭い物に蓋のところに追いやってきたことでしょう。
でも、そんな理屈なんてどうだっていいのです。
『疼くひと』を読みながらときめいて頂きたいな…愛と性とは密接に繋がったかけがえのないものだということを、思い出して頂きたいな…そして「性よろこび」=「生のよろこび」だということに、いま一度気づいて頂きたいな…そんな思いから書いたはじめての小説。
読んでいただけると嬉しいです。(まつい・ひさこ)
【編集者から】
上野千鶴子さんのご紹介で編集部にとどけられた本作を読んだとき、ああ私たちが生きる先には力強い先輩方がいるんだなと、強く励まされた気持ちになったことを覚えています。
あらゆる場面で、この国のジェンダーギャップに対峙しうんざりさせられますが、エンターテイメントの世界も例外ではありません。
高齢女性が年下の男性と恋におちる作品をいくつ思い浮かべられますか。
男女逆であればすぐに思いつくのに……。
70歳になったばかりの女性、燿子が本作の主役です。
今よりもっと女性が働くことに困難を伴う時代に脚本家として活躍してきた彼女が、人生と欲望に向き合いながら生きていく姿が描かれています。
自分がしたいこと、欲しいもの。それをきちんと自らの心に問い、言語化し、欲することの難しさに、私は改めて気づかされました。
そんな彼女がひょんなことから十五歳下の男性と出会い、そして――。
燿子の真摯な恋の行方を皆様も見守ってください。
著者の松井さんはあとがきで、映画ではできないこととして「老い」と「セクシュアリティ」という難題に挑んでみたくなった、と記しています。
人生百年といわれて久しいこの時代、きっと様々な世代が本作を必要としていると思います。
ぜひ皆様にお楽しみいただけますように。(編集者)
◆書誌データ
書 名:疼くひと
著者名:松井久子
出版社:中央公論新社
刊行年:2021/02/20
定 価:1760円(税込)