2011.02.07 Mon
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セクシュアリティをテーマに、差別と排除の“いま”を取り上げた本書。いまの社会は「以前のような露骨で素朴な排除や差別は影を潜めている」。だが、当事者を理解しているような“作法”を身につけたうえで、自分が生きている生活世界から当事者を排除する、「より微細で陰湿な排除」が息づいているのではないか?(好井) という問題関心がベースとなっている。
収められている論考は多岐にわたる。レズビアンの不可視性(杉浦郁子)、男性のゲイに対する意識のありよう(風間孝・飯田貴子)、性同一性障害のカウンセリング(鶴田幸恵)。
トランスジェンダーをめぐる差別の再生産を扱った三橋順子さんの論文では、性同一性障害に対する認識の広がりが、非GIDのトランスジェンダーを社会的に疎外し、無化することが論じられている。性同一性障害関係の掲示板にあったという、「差別されたくなかったら、GIDになればいい」という言葉は、とてもショッキングだ。性同一性障害に関する言説や「認定」が、差別の再生産の構造を作る。「性を変えて生きようとする人が、すべて性同一性障害であるかのような認識」を医療や法、政治、そして社会が作りだしていることを、私たちは何度も確認しなければならない。
また、杉浦浩美さんの論文ではマタニティ・ハラスメントが論じられている。私はこのマタニティ・ハラスメントという言葉を本書で初めて見たのだが、「働く妊婦」の存在が、いかに見えないものとされてきたのかを痛感した。迷惑をかけない働き方が強いられ、身体の事情が封じこめられることは差別である、と杉浦さんは論じ、それは「すべての働く人々の問題」としてある、と指摘する。過労死や過労自殺やうつ病も、「身体の事情」が封じこめられた、いわゆる男性的な働き方モデルのなかで起こっているからだ。
私は、「ヤオイはゲイ差別か?」というタイトルで書かせていただいた。男性同士の恋愛をテーマとするヤオイ(やおい/BL)は、しばしば「ゲイ差別だ」と批判されてきた。このクレイムに対し、ヤオイ愛好家からは、ゲイ男性の“性”そのものを描くことを目的としておらず、「うそゲイ」を描いている、「ファンタジーだ」と述べられる。「俺たちのことを書いている」というゲイ男性からのクレイムと、「ゲイは無関係」というヤオイ側の主張はすれ違うのだ。本稿は、この、ヤオイのファンタジーとは、異性愛男性が恋愛対象の性別を超え、異性愛者であるという性的指向を越え、恋をすることではないか? そうであれば、ヤオイはゲイの物語なのだろうか? という問題意識と、「差別」や「ステレオタイプ」という、ある意味耳慣れた言葉ではほぐせない問題があることに注目し取り組んだものだ。
序章と6章の論文からなり、多様な角度からセクシュアリティを考えられる1冊だと思う。ぜひ、手にとってみてください(共著者 堀あきこ)
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