このコロナウイルス感染の収束が見えていない時期にオリンピックは「普通はない」と、専門家会議の尾身会長は言いました。普通だったらそこから議論は進んで、オリンピックの開催が「普通では考えられないなら、やはりやめましょう」となるはずです。コロナウイルス蔓延中に、普通はしないことをしたら、「人が多く集まって、もっと感染が拡大するかもしれない」「外国からのたくさんの選手や関係者と一緒に変異ウイルスなど、どんなウイルスが入ってくるかわからない」「日本のウイルスで感染して帰国した人が世界中にウイルスをまき散らすかもしれない」「世界中に五輪ウイルスが蔓延する恐れがある」……、だからやはりやめるべきだ、となるはずです。
ところが、話はそちらには向かっていないのです。「それでもやるとなったら、観客なしでやらないとまずいです、観客を入れたら人の流れが増えて感染を広める危険がありますよ」と、「それでもやる」「やるときはどうする」という別の方向に進んでいます。「そうか、やるしかないのか、でもやるならせめて無観客でやってね」と諦めやすい従順な人々は、考えをそちらに合わせます。
しかし、まだそれでも菅さんは聞き入れないだろうと先を読んでいる会長は、「どうしても観客を入れるなら、制限の基準をもっと強めてくださいね」と、そこまで落としてきました。結局「普通はない」ことが、「あってもいい」ことになってしまったのです。ことばの意味がどんどん変えられてしまっています。今後「普通はない」といわれたら、「それでもやる」という意味に解釈するようになるかもしれません。恐ろしいことです。ことばの意味がずれていくーーいや力のある人の意向に合わせてずらされていくーーのは困ったことです。ことば自身が捻じ曲げられていくと、ことばに対する信用がなくなります。本来の意味で使っている人と、捻じ曲げて使っていく人との間で、コミュニケーションギャップが起ります。どちらを信じていいか分からなくなってきます。ことばの機能が成り立たなくなります。恐ろしいことになります。
そして、最近、ことばが軽く使われる例がとても目立ちます。ことばの意味と違うことが行われたり、いちど言ったことがあっさり引っ込められたリ、簡単に取り消されたりするのです。この前言ったことはどうなったの?そんなにコロコロ変えないでよと言いたくなります。そちらの言い分を、正直に受け取ってまじめに考えると、馬鹿を見てしまうのです。
先月も書きました、パブリックビューイング(PV)です。三密を避けろと言って35000人を集めるとはとんでもないと憤慨したのですが、そのPVは東京都も千葉県も埼玉県も知事が止めると言いだして、組織委員会でもとりやめることになりました。当然のことです。このコロナ感染下、一方で外出も飲食も自粛自粛と言いながら、もう一方で大勢の人が集まってわいわい騒ぐPVを開くというのです。全く「普通では」考えられないことを、いったいだれが考えだしたのでしょう。それを決めた人たちの浅慮と無責任さが、反対署名を集める労力をとらせ、公園の周囲の住民に無用な心配をかけさせ、ワタクシゴトで恐縮ですが、わたし自身も心の平穏をかき乱され憤慨させられてしまいました。何かを決める力のある人たちは、もっともっとよく考えて事を決めてください。「綸言汗の如し」とまでは言いませんが、もう少し言動に責任を持ってください。
水際対策も、どうも本当の「水際対策」のことばが守られていないようです。菅さんは「今後、選手の入国が本格化してくる。関係者にさらに徹底して対策を行うよう指示した」と述べたそうです(毎日新聞6月29日)。「さらに徹底して」ということは、今まで本当に「徹底して」はいなかったということです。現に、9人来日したウガンダの選手団の中に感染者が2人もいましたね。その1人はホストタウンの泉佐野市まで行ってしまったではないですか。つまり、国は徹底して水際でおさえておかなかったのです。国の大きな水漏れの結果、感染者は泉佐野市まで行ってしまった。尻ぬぐいをさせられる地方自治体は、それこそ大変なお荷物をしょいこまされることになるでしょう。こういう現実を目の前で見てしまった私たちは、「水際対策」自体を疑わざるをえなくなっています。
ワクチン接種もそうです。4月以降、自治体中心でやってきましたが、予約の電話はパンク状態でつながらない、高齢者はインターネットは苦手、これでどうやって予約を取るのかと大騒ぎ。この調子では五輪開催の7月中に高齢者接種は終えられまい、自治体任せではらちがあかない、国がやるんだ、と、5月には急きょ自衛隊を動員して大型接種会場を東京と大阪に設けました。初めは自治体の予約が取りにくい高齢者が出かけていきましたが、そんな遠くまで時間をかけて行きたくない、行く途中の乗り物での感染がこわいと、都心まで出かけて行く人は途端に激減、予約枠がたくさん空いてしまいました。そこで今度は、打ちたい人は高齢者に限りません、若い人でも打てますよ、と対象を広げました。
さらに、菅さんが1日100万人接種と言ったものだから、大型会場を2か所開いただけでは焼け石に水、次は大学へ職場へと範囲を拡大、もう大学生も会社員もどんどんやってください、会社では従業員の家族も取引先の人もOK、だれでも打ちたい人はだれでも打ってください、まさにいけいけどんどんの勢いで会場を広げることを奨励しました。
ところが、そうけしかけておいて何日も経たない6月23日夜、河野太郎行政改革相は記者会見を開きました。職域接種の受け付けを25日午後から一時休止する、ワクチン供給が追い付かない可能性があるため、と発表しました(朝日新聞6月24日)。
またもや、現場は大混乱です。接種会場を増やせ、もっともっとワクチンを打てと、あおりたてられせかされて、まじめな企業や大学は大あわてで準備をしている最中に、いや待て、ワクチンがないんだとは、いかにもひどい話です。「急ブレーキに企業・大学困惑」と、翌日の新聞は書いています。必死で会場や人員の手配をした大学などは、「ハシゴを外された気持」と困惑しているのです。上に立つ、力のある人々の朝令暮改の発言に踊らされ、右往左往させられて困るのは、いつも正直で善良な末端です。庶民です。
ほんとになんとかしてほしいです。なにもかも「五輪をやるため」の茶番劇としか思われません。まだ間に合います。五輪をやめましょう。ちょっと頭を冷やして、「普通」になりましょう。
2021.07.01 Thu
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば