7月29日と30日、全国で10693人と10743人、東京で3865人と3300人、全国の感染者数はついに1万人を超え、東京は2日連続で3000人を超えました。

 それでもオリンピック(以下五輪)は続けるのですか。

 中止の選択肢を聞かれた首相は、「人流が減っているので、そこはありません」(朝日新聞 7月28日)と答え、一方で西村経済再生担当大臣は、「7月に入って人出がかなり増えている。特に夜間の人流(人の流れ)が増えた」(毎日新聞 7月29日)と言っています。どちらが正しいのですか。また、五輪を開いているのだからと気のゆるみが出て、感染が増えているのではないかという質問に、小池知事は「逆です、家で五輪を見る方が増えて人の流れは減っています。それをもう少し人流を減らすのに協力してほしい」と答えていました(NHK 7月30日朝 おはようニッポン)。

 ここで、「人流」ということばについて一言。

 「人流(人の流れ)」と( )で補足することでわかるように、このことばは、コロナ禍で生まれた新語の一つです。ジンリュウという耳慣れない発音も抵抗があります。わたしには、大ぜいの人がベルトコンベアに乗せられて黙々と働き場所に送り込まれていく、そんな情景を思い浮かべることばです。わざわざ( )で説明しなければならないなら、初めから「人の流れ」でいいではありませんか。従来からあることばの「人出」でも、よさそうな場面もあります。変な造語は増やさないでほしいです。

 さて、政府や都知事には、人の流れが増えたか減ったか、きちんと数字を出して答えてほしいです。自分に都合の良い数字だけ拾ってきて、すべての真実のように言わないでほしいです。わたしたちは、もう1年半も外出を自粛させられ、会いたい人にも会わないで我慢を続けてきています。それでもトンネルの先の光が見えてこない。4度も出された緊急事態宣言にも、重みを感じられなくなっています。だって、この人の流れの増減をほんの一例として、今までわたしたちは政府の場当たり的な、その場限りの発言に何度も振り回されています。宣言が出たからって、まじめに額面通り受け止めるほどナイーブではなくなっています。

 ワクチン接種を進めるために、職域接種を広める!大学でも取り組め!と大臣が号令をかけたから、職場や大学は人を集め、会場を確保し、大あわてで準備しました。それが整いかけたとたん、ワクチンがないから接種は中止!予約受付も中止!と、同じ大臣が平気な顔で言っている。準備したみなさん、ごめんなさいとも一言も言わないで。

 飲食店のお酒の販売もそうです。言うことを聞かない店には金融機関は融資するなと、大臣がひどいことを言いましたが、与党からも反対が出て、さすがに翌日は全面撤回です。

  こんなことを繰り返されては、外出を控えろ、人の流れを減らせ、会食をするなと言われても、「はい」と言えなくなっています。いつ、ころりとひっくり返るかもしれないんですから。そうです、政府の言っていることを私たちは信じられないから、宣言が出ても効果が現れないのです。

 ここで、信頼を取り戻す方法はただひとつです。

 こんなに感染が広がって病院も逼迫している、救われる命も救われないかもしれない非常な事態になっている、いまや、平和な穏やかな日常ではない、だから、「もう平和の祭典は続行できません、残念ですが五輪は中止します!」と、菅さん、小池さん、橋本さんが言えばいいのです。指導者たちの本気度がわかれば、みんな感染予防に協力します。菅さん、あなたの本気度を私たちは待っています。

 五輪をやめると、いままで必死で練習してきた選手たちがかわいそうと、いつも言われてきました。やめるのがかわいそうだというなら、今、五輪を開いたことでかわいそうになった選手たちのことも考えてみましょう。パンデミックの日本に来るのを恐れて来日をやめた選手、来たけれど陽性とわかって出場を辞退せざるを得なくなった選手、この選手たちはコロナ禍の五輪でなかったら、喜んで参加し、精一杯実力を発揮して栄冠を獲得したかもしれないのです。五輪を強引に開いてしまったから不幸になった選手もいることを、忘れないようにしたいです。

 もう一点、どうしても許せないことがあります。組織委員会が開会式の弁当が余って4000食を廃棄したというニュースです。組織委員会のスポークスパーソンは、「担当者には弁当が足りなくなることを恐れるメンタリティーもある」と語っています(毎日新聞 7月29日)。開会式に何人出席するか、周辺を含めて関係する人は何人か、そのうちお弁当が必要な人は何人か、そのくらい、組織委員会は計算できないのですか。人をいっぱい集めて、ITを駆使して運営している組織がこんな計算もできないとは、ほんとに恥ずかしい話です。このメンタリティ論を正しいとすると、ではきっと他の部署でも「足りなくなることを恐れるメンタリティー」が発揮され、多め多めに見積もっているにちがいない、そして無駄をいっぱい出しているだろうと、ついつい疑ってしまいます。きびしく税金の使い方を考えている人の発言とは思われません。

 わたしは、7月10日と11日に東京第二弁護士会と女性のための相談会実行委員会が開いた、女性のための相談会に参加しました。この会には、酷暑の中、突然の雷雨の中にもかかわらず、さまざまな悩み事を抱えた百数十名もの女性が相談に来られました。

 会場にはマルシェもあって、生理用品など日常品やレトルト食品など、全国の農民連のみなさんから寄付された野菜や花お米なども用意されていました。スタッフが、相談を終えたひとりの女性に、お米もありますがと勧めたところ、その方は、お米はほしいけど炊飯器がない、炊飯器を買うお金は毎日の食べ物の方に回ってしまう、本当はほしいんですけど、と言いながら帰られたそうです。また、去年秋からずっと仕事がなかった、その間一人で悩んでいて不安だった、やっと今月から仕事が見つかって来月は給料が出る、話を聞いてもらうだけでもいいから来てみた、という方がいました。おなかが空いていたら別の部屋におにぎりもありますけど、と言ったところ、そのおにぎりを今日の昼食と夕食用にすると言って、4個も5個も持ち帰られました。また、生活用品一式をまとめたカートを引いて来た方もいました。今晩泊る所もない方でした。

 こういう人がずいぶん増えている昨今です。組織委員会は何を考えているのでしょう。その4000個のお弁当は、都内で路上生活をしたり、ネットカフェで泊っている人に配るべきでした。支援者にすぐ知らせて、分担して配布してもらうよう頼むべきでした。そのお弁当は、わたしたちがスーパーで買う500円なんていうのではなく、1個1000円はするーーいや、もっと高い物かもしれませんーーでしょう。それが4000個だと400万円です。400万円もの大金が平気で廃棄されたのを、黙認してよいのでしょうか。

 こうしたずさんなお金の使い方が許せない、そしてそのお弁当があれば、半日ぐらい飢えをしのげた人の存在を全く無視していることが許せません。

 残念なことに、政府の言うことも組織委員会の言うことも、ことばどおり素直に受け取れない風潮ができてしまっています。五輪ありきで突っ走ってきた関係者たちの一連の言動が、わたしたちに不信感を抱かせ、疑心暗鬼にさせてしまっているのです。信頼関係が壊れてしまって、政府や都知事がコロナ感染防止で何を言っても、聞く耳を持たなくなっていることに対する現状の認識が先決です。それを取り戻せる唯一の方法は、五輪中止を決断することです。初めて主体的な判断を示した指導部として、私たちの前に立ち現れることです。

 遅きに失したとはいえ、せめて今後の感染増加を抑える方法は、これしかありません。