© Agatha A. Nitecka

冒頭から、最終シーンについて書くのは、禁じ手のような気もするが、評者はどうしても ここから始めたいのである。
イギリスの地方都市に住むケイトとジェフは、原題である 結婚45周年を祝って、友人たちが設定してくれた、祝賀パーティに出かける。サプライズな企画、 暖かい拍手、ホールの真ん中で、二人は踊りだし、やがて仲間も踊りに加わる。
楽しそうに踊っていると 見えたほんのしばらく後、ジェフがケイトの手をとって上にあげたその手を振り切るように、ケイトは自分の手を おろし、突然一人じっと正面を向き何かを見据える。
その表情は、暗く、複雑で懐疑に満ちているように見える。
「あなたなら どう思う?」とでも問われているような錯覚。そのまま映画はフェイドアウト、、、。

© Agatha A. Nitecka

実はパーティまでの一週間に出来事がある。
それは、ジェフが若いころ、恋人(カチャ)と一緒に登山をし、 彼女のみ滑落で亡くなったその遺体が、何十年もたって、氷の下から発見されたという知らせがジェフに入るのである。

初めは深刻でもなかったはずが、やがてケイトがジェフを問い詰めるような成り行きに変わる。
ときに険悪な事態も出来するものの、 彼女の問いにジェフなりに応え、結果彼を赦したかのようなケイトの表情は、時折ほんのわずかな変化を見せるが、 大きく変わることはない(ように見える)。
パーティの準備は着々と進み、ジェフは、パーティで、「ケイトと結婚できたことが、 人生最高の選択だった」と涙ながらに述べる。
普通ならこれで大団円となるところだろうが、 そうはいかないところに「さざなみ」の面目躍如たるところがある。
そして既述したケイトの最終シーンの表情。表情の激変と見えるものをどう捉えるかが、本映画の核心であることに異論はないだろう。

© 45 Years Films Ltd

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本映画を「愛の孤独」とか「夫婦とは、結婚とは?」「選択とは?」といった短評で括るのではなく、評者は女男のコミュニーケーションの齟齬として 捉えたい。
なるほど、ケイトは、とてもプライベートな、知的女性である(シャーロット・ランプリングのまさにはまり役。憂いに満ちた表情がすばらしい)。
基本的に自分を説明したがらない。としても、45年間も一緒に過ごしてこれまた知的男性であるジェフが、掬えなかったケイトの言葉があるのだ。

評者にとって、一つ「この家には、カチャが常に居て、すべてがその基準で成り立っている」、もう一つ「私には言いたいことがたくさんあるが、私には言えない」。
これらをジェフはスルーしてしまうのである。
前者の言葉が、屋根裏にたくさんあるカチャと一緒のジェフの若いころの思い出資料を指しているなら、言葉はケイトの「嫉妬」も含めた、ジェフという男性主導型の家庭運営だったと?
仮にそうでなかったとしても、ジェフには 聞き逃せない言説のはず。
後者は、この間の出来事のみを指すのか、もっと全般的に至るのかは不明である。
ジェフはこれも聞きのがす。「それって何?」と尋ねていない。そして許されたと思い込んで、パーティで涙まで流す。
このちぐはぐさ!ジェフよ、お前さん、これでは日本の男と一緒ではないか。つまり妻の感情生活に鈍感というか、配慮が及ばない、感情が分かち合えないというか。
これらの言葉は、ケイトの根底にある、彼女なりの存在表現の極みであろう。

結婚生活をコレでいいのかと疑い、夫に何と言おうと通じないと思っている日本の妻たちよ、大勢でこの映画を見、おおいに溜飲を下げたまえ!
そして「さざなみ」は「大波」に変わることを夫にも知らせるとよい。

タイトル:さざなみ(原題:45years)
監督:アンドリュー・ヘイ
主演女優:シャーロット・ランプリング
主演男優:トム・コートネイ
イギリス映画、95分。
4/9(土)より、東京 シネスイッチ銀座他で上映
コピーライト表記:(C)The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2014