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「手渡し」の物語   やうちことえ

2013.08.23 Fri

 エリック・クラプトンのTears in heavenを聞きながら、ぼんやりと夜のベランダで腰かけていると、何にもしたくなくなってくる。愛息子の死を悼むその優しい音色を聞きくと、しんみりとしながら、自分の中にある様々ないつかの風景が通り過ぎていく。その時、ふと千人針をじっと見つめ、そっと一つ一つの針目をたどる、森南海子さんの姿が現れてきた。『千人針は語る』(海竜社、2005年)の作者で、私はもちろんお会いしたことはない。玉止めだけの千人針、ステッチのされている千人針、地域や、人によって千人針は様々だ。そして、そこに込められた思いは、複雑だ。単純に「戦争協力」という言葉でまとめることは出来ない。戦場に行かせたくない、生きて帰ってきてほしい、という思いを口に出すことは、死につながった時代。一針、一針は、そうした声なき言葉でもあった。願いだけではなく、痛み、怒り、悲しみが、布を突き通す。その一方で、作者の森さん自身は、渡された千人針に、特に何も考えずに、感じずに、ただただ針を刺し、戦場に人々を送り出したことを後悔しつづけていた。だからこそ、千人針に関わった人びとに百人近くに会った。そして、託された千人針と、そこに込められた千通りの物語を残そうとした。

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 クラプトンを聞きながら、そして千人針の針目一つ一つを重い浮かべ、私がその時思っていたことは、クラプトンのTears in heavenと、千人針の物語の間には、大きな違いはないんではないか、ということだった。だけども、二つの間にある大きな溝がある。物語の質などではなく、一方は、くり返し歌われ、大勢の人に聞かれ続けられているということ。そして他方は、おそらく誰も、その小さな玉止めに、物語があるとは思いもしないのだろう。

 その晩、もう一つ、私のぼんやりと鳴り響いていた物語がある。島尾ミホさんの『海辺の生と死』(中央公論新社、2013年)に描かれた、奄美大島で育った彼女が出会った人々、島の風景、鳥たちの声だ。だけれも、その優しい色調の後ろには、戦争のどんよりとした薄暗い影が落ちている。山や、鳥や、海とともに築いてきた人々の暮らしと、その中で豊かに育つ人々の生き方や、文化は、国家という「ケンムン(奄美の言葉で、化け物)」に、吸い込まれようとしていた。そして、戦争が終わった今も、このケンムンは、形を変えながらも、居座り続けている。その中で、島尾さんは、母や、父や、島の呼吸を通して体にしみこんだ、様々な生の記憶を筆に託した。

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 なぜ、クラプトンは、あの歌を世に出すことを、多くの人たちが、レコードなり、ラジオなり、ブラウン管なりを通して聞かれることを選んだのだろうか。なぜ、息子と自分自身、もしくは大切な人たちの中だけに留めることをしなかったのだろうか。そして、多くの人たちが、クラプトンの歌声には耳を傾け、胸をしんみりとさせてしまうことが出来るのに、私たちの想像力が、玉止めの物語に到達する道のりは、何て遠いのだろうか。なぜ、クラプトンの音色は、すぐに思い出されるのに、鳥の声音は、忘れてしまうのだろうか。言い換えれば、女たちの言葉に、私たちの耳は、どうしてこんなにも、閉ざしてしまっているのだろうか。無心に玉止めをしてしまった森さん。その彼女と、宇都宮さんが紹介したナ・ヘソクの物語を、長いこと受けとめようとしなかった、家父長制の文化と、未だに玉止めの物語を聞くことの出来ない私たちと、そして鳥の声音を消し去ろうとする私たちの文化は、地続きなのだろう。

 それでも。森さんが、千人針の一針一針の感触から声を聞きとり、文字におこしたように。島尾さんが、身体にしみわたった奄美の記憶に言葉を添えて、今に伝えたように、女たちの思いや記憶を「手渡すこと」の営みは止むことはない。この営みは、年齢や性別を超えて、人びとをあたたかなエネルギーの渦に巻き込む。そして、そこからまた、新たな力が生み出てくるような渦だ。

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 歌代幸子さんの『一冊の絵本をあなたに―3.11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室、2013年)は*、東日本大震災の直後発足した「3.11絵本プロジェクトいわて」の活動の経過を、そこに携わる人々の様々な背景も含めて綴っている。震災直後から、絵本カーで絵本を被災地に運び、子どもたちに絵本の読み聞かせと、一冊ずつ好きな絵本を選んで持っていく、「手渡し」の活動。2011年3月11日から、悲しみや痛みを目の当たりにし、そこに寄り添おうと、「今、自分にできること」を出発点に、各地から様々な人々が関わった。特に、地域の女性たちの、震災以前のネットワークや、実践が、この活動の機動力になっていた。絵本を通した、人とのぬくもりの記憶を、被災地の子どもたちに、大人たちに届ける活動。物語は、こうして人の手から手へ、ぬくもりを通して、伝えられている。女たちの日々の「手仕事」が、人びとのつながること、生きることを、支えている。

*著者の歌代幸子がWanでも紹介しています。http://wan.or.jp/book/?p=6867








カテゴリー:リレー・エッセイ

タグ: / 女とアート / 小説