エッセイ

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『フランシス子へ』 ねこと表現と吉本隆明と(旅は道草・40) やぎ みね

2013.05.20 Mon

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 うつらうつらと枕元でNHK「ラジオ深夜便」を聴いていたら、「ないとガイド」私のおすすめブックスで吉本隆明著『フランシス子へ』(講談社 2013年3月8日刊)を紹介していた。
自らの死の3カ月前に吉本が語った最愛のねこ「フランシス子」の死を書いた本だ。

  翌朝すぐにAmazonで注文。読むと、なんてやさしい文章なんだろう。あの難解な吉本節からは想像もつかない、やわらかな文体だ。

「特別なところは何もない」フランシス子。「ぼんやり猫だけど、そのぼんやり加減が僕とはウマがあった」。自分の「うつし」がそこにある。「うつし」そのもの、自分のほかに自分がいる。こっちがまだ「言葉」にしていない感情まで正確に推察してそっくりそのまま返してくる。

 そう、そう、ねこって、そうなんだよね。

 どうしてこんなにやわらかく書けるのか。あっ、そうか。吉本はもともと詩人だったんだ。そしてこの表現が、かつての『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』につながっている。

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 1960年代後半、吹き荒れる学園紛争前夜、政治の谷間の時代に学生だった私は、『言語にとって美とはなにか』(1965年)や初出誌『文芸』(1966年11月号~1967年4月号)連載の『共同幻想論』を、わけがわからないままバイブルのように読んでいた。

 「なんべん読んでもわからへん」という私に、ある先輩は喫茶店の片隅で「対幻想」について、とうとうと説いてくれた。でも、ちっともわからない。
 大学の学友会が招いた吉本隆明講演会で吉本が語る言葉に「なに言うてはるのん?」と問う私を、隣の男子学生は呆れはてた顔でジロッと睨んだ。

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 リブの女たちの運動が「惚れ共闘」への反発を一つの要因として生まれてきたのもその頃。やがて遅れたリブに出会って目がさめた時は、すでに遅く、結婚後のあとの祭り。20年後に離婚して、ようやく自分に落としまえをつけたのだけれど。

 言語とはなにか。やむにやまれぬ思いから生まれる「自己表出」と、発言者の意図感情の他者への表現としての「指示表出」、そのタテ糸とヨコ糸が織りなす織物が言葉だと吉本は言う。

 だけど女は、言葉によらない表現を用いて女たちの「関係」を紡いできた。たとえばアリス・ウォーカーの『カラーパープル』に描かれるキルトという手作業によって。
 あるいはまたベーラ・バラージュの『視覚的人間』の想像力のように。

 「顔のないギリシャのトルソーの背中を見ると失われた顔が泣いていたか笑っていたかはっきりと分かるのである。ヴィーナスの腰は顔に劣らず表情ゆたかに笑っている。人間はその全身どこでも可視的であったからである。だが、言葉の文化においては、魂はほとんどみえなくなってしまった」とある。

 言葉によらない表現を夢みたいと思う。それでもなお言葉を用いなければならない。私からあなたへ、「関係」を紡ぐプロセスとしての「言葉」を伝えたいと思うから。

 吉本は『共同幻想論』の序に、「著者の理解がふかければふかいほど、わかりやすい表現でどんな高度な内容も語れるはずである。これには限度があるとはおもえない。この内容をもっと易しいいいまわしであらわせないのは、じぶんの理解にあいまいな箇所があるからだ」と書く。

 そうだ。書き手が書く内容をよくよく理解しているからこそ、読む者によくわかる表現となる。

 「戦後思想界の巨人」といわれた吉本隆明も今や「吉本ばななの父」として知られる存在。
 10年前、アメリカ・ノースカロライナ大学で日本研究をするジャン・バーズレーさんに誘われて、デューク大学とノースカロライナ大学を訪ねた。学生たちとのワークショップの宿題は吉本ばななの『キッチン』。日本語と同じく、翻訳も読みやすい、いい文章だった。

 吉本が晩年にたどりついた表現は、娘のばななの文体にも似て、あるいは、ねこの表現にも似て、人と人との、人とねことの体温を感じさせる、まるで言葉を要しないかのように、あるかなきかの一瞬に生まれる「関係」を、言葉を用いて描き切っていると、読んで改めて、そう思った。

 5月のGWのひととき。新刊を買い求め、古い本を本棚から見つけ出してきて読み、はるか昔の「来し方」を旅する、なつかしい「とき」に恵まれた。

 吉本隆明は「フランシス子」の死から10カ月後の2012年3月16日に逝去。その1年後の春に『フランシス子へ』は出版された。

 「旅は道草」は毎月20日に掲載します。これまでの記事はこちらでお読みになれます。








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