エッセイ

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『がんのお姫様』発売御礼悪のり番外編   海老原暁子

2013.10.22 Tue

 3月3日のひな祭り。女の子の健やかな成長を祈って実家の祖父母が八段飾りを買わされた時代は疾うに過ぎ、「この野郎がよ〜」などと大音声のだみ声がミッションスクールの講堂にこだまする2012年、私はすでに使い古したかつらの襟足が浮き上がるのを気にしながら、退職間近の勤務校で焦っていた。この日は私の最終講義、とはいえ、学長と揉めに揉めて放り出されるように退職することになった私には学校主催の最終講義の声はかからず、HPにも載せぬ、在校生にも告知せずの私的な講義を有志が主催してくれたのだ。仲間が心を砕いて設営してくれた会場にはビデオカメラが備え付けてある。「あ〜ん、どうしよう、睫毛ないのに〜〜」。乙女心は揺れに揺れる。

 教え子ちゃんたちが全国各地から次々に集まってくる。恐る恐る声をおかけした大先輩たちもいらして下さる。嬉しさと寂しさと緊張でテンパってる私に、渋谷典子さんがどさくさにまぎれるようにこんなことを言った。「WANに連載しない?」

何せあっちの知り合いこっちの教え子に次々に挨拶とハグを繰り返している真っ最中である。「うん、書く書く」と答えてしまってから「ぎゃー大丈夫かよ、自分?」。しかしその申し出はまさに天啓であった。仕事一筋だった私にとって、病気のせいとはいえ職を失ったことは天地を揺るがす大ショックで、無職の自分を想像して早くも青くなっていたところだったのだから。もともと文章を書散らすのは好きな質である。闘病記でも書こうかなあと、よみもの担当の荻野さんにメールを入れた。

 退職直後の2012年4月から1年と2ヶ月、せっせせっせと駄文を弄し、なかなか好評ですよ、などと言われるとすっかりその気になって、抗がん剤の副作用でフラフラになりながらもこれを頼りにと書き続けた。その間、再発治療後のがんは8ヶ月で再々発。そう遠くない将来に死ぬんだな私は、と少しずつ覚悟が固まっていくその過程を、時にくらーくなりながらも一生懸命言葉に仕立てた。

 ちっぽけな私が生きた証、といったら大げさだが、一冊にまとめたいなあと思うようになったのは、図々しいが自然な心の動きだったと思う。自分の図々しいアクションを人は忘れてしまうものだ。闘病記を本にして出版するというアイディアを最初に誰に相談したのか、全然覚えていないのだ。きっと渋谷さんだったんだろうな・・・

 WA Nの理事会が東京であるので、懇親会の席で上野さんに相談してみようと請け合ってくれたのは荻野さんだったと思う。懇親会でのことはよく覚えている。忙しく立ち働く上野さんに、荻野さんはひっつきまわってしつこく話しかけてくださり、私は上野さんが「うるさいなあ、あとにしてよ!」と怒りだすのではないかとハラハラしていたのだ。渋谷さんと荻野さんの連合軍に押された上野さん、私をキッと見つめると「企画書だして!」と言ってくださった。その後しばらくお話させていただいたはずなのに、記憶は再び茫漠とする。ものすごく緊張してたの、ワタシ。だって、私、上野さんの本、全部読んで真の意味で大人になったんですもの。『ナショナリズムとジェンダー』の勉強会では興奮しすぎて鼻血まで出したんですもの。

 おっちょこちょいで二度も結婚し、子供三人も産んでそれでも仕事したい!と無理をし過ぎて自爆したバカな私である。上野さんと二人で話しをするなんて、よくあの時鼻血が出なかったものだ。抗がん剤を延々打ってる最中だったから、血液少なかったんだろうな。

 最初の企画書は「これでは出版社に話しをもちかけられません」とあっさり却下。二度目にOKが出て、話は岩波の編集者、大山美佐子さんにつながった。

 イ・ワ・ナ・ミ? 私が? あの、ハトロン紙のかかった薄茶色の文庫で高津春繁訳の『女の平和』を読んでいた高校時代、岩波文庫は青土社の『現代思想』、朝日出版社の『エピステーメー』と並んで、冴えない私の僅かばかりの矜持の証だった。わかりもしないのに『純粋理性批判』を、お茶の水のレモンでわざとらしく読んだりした。その岩波書店? えええーーーっ? と、こんな風に大仰に反応してしまうあたりが私の情けないところなのだ。さらりと「あら、岩波、いいじゃない?」とかできるといいんだけど、正直、眠れなかった。私なんかが岩波から本出していいの? 学術書じゃないから、まいっか。でもでもでも・・・「デモもストもない!」と古典的な一喝で自分を落ち着かせ、私は真面目に本づくりに取り組んだ。

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 大山さんはやさしくイジワル、まさにツンデレな編集者である。こういうのを有能な編集者って言うんだろうなあと涙にかきくれ、、というのは嘘だが、自分でも気になっているところにいちいち図星の指摘が飛んでくるものだから、アドレナリンが出まくりだった。ああしかし、なんと楽しい半年であったことか。がんになって得しちゃった! 回り道した人生だったけど、終わりよければ全て良し。不本意のうちに失われた幼年時代へのオマージュという意味でも、今回の出版は私の人生の最大にして最良のイヴェントであった。

 連載をもちかけてくれた渋谷さん、毎回誤字を指摘し、段組みを整えてアップして下さった荻野さん、読んでくださったWANのサポーターのみなさん、何の得にもならないのに岩波への橋渡しをしてくださった上野さん、こんな素敵な本をつくってくれた大山さん、そして、お目にかかったことはないけれどWANを通してつながっている全国のみなさん、本当にありがとうございました。これからも命の続く限り、できることをできる範囲で一生懸命やっていきたいと思っています。

P.S. どうかみなさん、地元の図書館に『がんのお姫様』の購入依頼をお願いします!(なんて図々しいんでしょうね、ほんとに)。

編集部から:
 これまでの「フェミニストの明るい闘病記」は、こちらからお読みになれます。

 また、法人会員の皆さまには今回、特別に本のプレゼントがあります。プレゼントご希望の方は、こちらからどうぞ。 牟田和恵さんによる『がんのお姫様』の書評も、あわせてお読みください。








カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

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