エッセイ

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ウィーン~プラハ~ドレスデン~マイセン(旅は道草・24) やぎ みね

2012.01.20 Fri

 ウィーン南駅9:08発、ワルシャワ行き国際列車に乗る。古いコンパートメントの寝台車に乗客はほとんどいない。ガタガタ揺られて1時間あまり、出国管理官がパスポートチェックにやってきた。パスポートの余白にオーストリア国境の駅「Hohenau」出国とスタンプを押してくれる。

 次の停車駅Breclafはチェコ国境の駅。トーマスクック時刻表を見ると、ここで乗り換えないとプラハへ行けないことにハッと気がつく。このまま乗っていたらスロバキアからポーランドにつれていかれる。慌てて網棚から荷物を下ろし、ホームに飛び下りた。しばしハンブルク行き国際列車を待つ。ウィーン南駅で買った切符には経由駅が記されていなかったのだ。知らずにワルシャワまで行っていたら、旅の行方はまた違うものになっていただろうな。

ウィーン・分離派会館セセッシオン

 13:30、プラハのホレショヴィツェ駅着。地下鉄Cに乗り、プラハ本駅へ。トラム⑨で一駅。古い石畳の坂を下りたところに、お目当てのホテル「カフカ」がある。フロントで「予約してないんだけど、泊まれます?」「あいにく今日は空いてないよ」「3日泊まるから、だめ?」「しょうがない。キャッシュで前払いならいいよ」とOKをもらって一安心。
 フランツ・カフカは、近くのジシコフ区で労働者災害保険局員として働いていたという。

 ハプスブルク帝国の3都市、ウィーン、プラハ、そしてブタペスト。世紀末、新しい造形表現を求めて飛び出したグスタフ・クリムトやオットー・ヴァーグナー等の分離派運動は、やがてアール・ヌーヴォー、ポストモダンのうねりを生み出していく。そのひとつ「金色のキャベツ」分離派会館セセッシオンはウィーン中心区・リンクのそばに建っていた。

  20世紀の2つの大戦にも戦禍を免れたプラハは、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、アール・ヌーヴォー、キュビズム、モダン建築など、古きよき建築物が数多く現存している。トラムに乗り、細い路地を歩くと、それぞれに、お気に入りの街角を見つけることができる。

プラハ・フラッチャニ地区

 私のおすすめはプラハ城から北西にあるフラッチャニ地区。静かな道をひとり歩けば、塀の向こうに、ふっとシルエットが消える。なんだか映画のヒロインになったみたいな、ちょっといい気分。

   ヨゼフォフ地区。華やかなバジージュスカー通りから一歩、路地を入れば、そこはシナゴーグやユダヤ人街が建ち並ぶ一角。

旧新シナゴーグ

旧新シナゴーグはヨーロッパ最古のシナゴーグ。1270年に建ったものと16世紀に建てられたものが合わさって「旧新」と名付けられたという。

 ユダヤ人墓地と儀式の家の近くのお店で、赤いカシミアのストールを一枚買う。

  ホルショヴィツェ駅発9:34、「わが祖国」(スメタナ)のモルダヴァ川をあとにプラハからドレスデンへ向かう。チェコの車両は旧式でローカル線みたい。ボックス席には柴犬も乗ってきた。

 チェコ国境の駅Decinで出国チェック。ここでドイツ車両に乗り換える。ドイツ製の新型車両はエルベ川をすれすれに走る。ドイツ国境の駅BAD Schandau Bahnhof(ドイツ連邦共和国)で入国スタンプを押してもらう。

 車窓からのぞむエルベ河畔は、ほんと、ロマンチック。どこからかクラシック音楽が聴こえてきそうな風景だ。

  ドレスデン中央駅着。第二次大戦の大空襲で壊滅した街・東独ドレスデンは、冷戦終結後、ようやく復興を遂げ、中央駅は見事に再建。瓦礫と化したフラウエン教会も世界中から寄付を得て、2005年、石組み一つにいたるまで元通りに復元されたという。

マイセン

 ドレスデンからマイセンへローカル線で30分。蒸気機関車が今も現役で走っている。中世で時が止まったかのような静かな町・マイセン。うっとり高台のお城から眺めていると、どこか遠くからカリヨンの音が響いてきた。

 小さなマイセン駅近くに宿をとる。いただいた東欧の家庭料理もおいしかった。

 中国の磁器と伊万里焼の影響を受けたというマイセンの陶磁器。ちょっぴり高かったけれど、「旅の終わりに」と、白地に青いタマネギ模様のお皿をひとつ買い求めた。

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