渡邊哲子(わたなべさとこ)プロフィール
兵庫県神戸市出身。南カリフォルニア大学(USC)にてソーシャルワーク大学院修士号を取得。2010年米国ニューイングランド地方6州に住む日本人と日系人のための社会福祉の非営利団体「JB Line, Inc.」を設立。日英語のサポートライン、ケースマネジメント、シニアサポート、離婚・親権・ハーグ条約、アウトリーチなどの支援を通して、さまざまな問題で悩む日本人・日系人のための相談業務に携わる。約100名のボランティアの方、スタッフや理事の協力とともに、困っている人がいれば共に乗り越えられるよう取り組んでいる。
団体は2018年外務大臣賞、2022年Thayer Awardを受賞。マサチューセッツ州公認ソーシャルワーカー。またJB Lineと別にアメリカの悩む方々のためメンタルヘルスのセラピストとしても従事。ニューヨークを拠点とする「邦人医療ネットワーク(JAMSNET)」理事。
夫の医学留学に帯同しロスアンゼルスの空港に降り立ったのは1999年2月。日本の臨床心理学士の次の専攻として「移民としての自分の背景を使って」「米国50州どこに住んでもこのライセンスで人を助けられるよ」という米国人たちの勧めに従い、ソーシャルワークの修士を取得することにしました。米国のソーシャルワーカーは助けを必要とする人の為にはどのような場面でも働くことができる専門家で、学校、病院、裁判所、軍、政府組織、非営利団体など、いたるところで社会的弱者を支援する同僚を発見することができます。
南カリフォルニア大学(USC)のソーシャルワーク大学院卒業後の就職先では、自分の個室のオフィスがあり、肩書があり、自分でクライアントのための決断をして署名をし、その書類をファイルしておけばよいという、思い切りのよい責任の与えられ方が日本と違いとても感動したことを覚えています。日本で女性の総合職が取り入れられる前年に就職したためなおさらでした。この責任に値する仕事を精いっぱいしようと身が引き締まりました。
低所得で多くの社会的問題を抱えたクライアントがほとんどで、日本人の私がどこまでアメリカ人である彼らの背景や問題を理解できるのかと自信がない部分も多くありました。しかし「相手を助けようとする誠実さ」は国や言語を越えて通じる、という真実をその時の仕事のおかげで心から実感することができました。JB Lineで働く今も、またアメリカ人のセラピストとして働く時も、相手を思う一念は必ず通じていくのだ、との信念が私の支えになっています。
◆JB Lineの設立
2008年にボストンに引越しをすると、ソーシャルワーカーである私に相談が人づてに届き始めました。相談窓口を立ち上げる必要性が感じられ、当時のボストンの領事のお一人に「24時間のホットラインを一人で立ち上げる」ことをご相談すると、「渡邊さんは無謀な人ですね」と大変驚かれました。
今ならその意味がよくわかりますが、当時の私は猪突猛進、すぐに行動を始めました。この「ボストン便り」でも感じていただけるようにボストンは素晴らしい人材の集まる街で、助けて下さる方がたくさん集まりました。試行錯誤もしましたがJB Lineはあっという間に現実の非営利団体として出発しました。
◆東日本大震災を機に
2010年10月に立ち上げ、最初の数か月は数件の電話がかかったのみでした。2011年3月11日に東日本大震災が起こり、海外の日本コミュニティも心配で大揺れし一致団結した機会にJB Lineの存在が広まっていきました。今まで誰に尋ねて良いかわからずに何年も過ぎて複雑になったような相談が寄せられ、最初の2-3年はこうしたケースを少しずつ解決するような状態でした。DV被害、シニア、詐欺、メンタルヘルス、医療、法的問題などの中には今まであまりかかわったことのない問題もありました。
◆サポートラインとケースマネジメント
JB Lineに相談電話があるとまずは電話でお話を聞き、複雑な場合は直接にお目にかかりJB Lineとして何ができるかを相談者と共に考えます。私たちの基本の考え方の一つとして「相談者は自分で意思決定をする力がある」というものがあります。海外で困難に直面する時には、少し情報をお伝えすれば解決していける時と、全くもってどうしてよいかわからないという時とありますが、どちらであってもご自分で最終的に決断して頂けるようにお手伝いをします。そしてその決断を支えます。
例えば海外での長い生活のあと、配偶者を失うなどで日本への帰国をお考えになる方もいますが、日米どちらの老後が正しいというわけではないので、迷われるお気持に寄り添いながら意思の変更が何度かあったとしても最終的な決定はご本人にお任せしながらお手伝いします。
◆シニアのサポート
どんな問題も支援したいとの思いから立ち上げたJB Lineではこれは受け付けないという問題はありません。ただ10年活動するうちに柱になったものはシニアのサポートです。戦後に米国人の配偶者と渡米された方、留学などから定住された方、子供さんを頼って老後に渡米された方、など状況は色々ですが、日本語でお話をするサポートグループ「わの会」や日本の歌を歌う「歌の会」は大人気です。
また老後に身寄りがなくなる方や海外で終末期を迎えられる方にはソーシャルワーカーとしてお手伝いします。そして一番喜ばれるのがボランティアさんたちの定期的な訪問です。一人一人のこれまで生きてこられた人生の素晴らしさをしみじみと皆で共に実感する時です。
◆一つのケース(個人情報を守るため内容を変えてあります)
80代の田中さんは若いころからずっとボストンにお住まいです。60代でご病気をされたので体が不自由です。私たちが関わる3年前までは地下のご自宅から一歩も外に出ることもできず、ご近所の親切で何とか日常生活が行われていました。日本のご親戚との連絡は途絶えています。ご近所の方もまた年齢が上がり田中さんのお手伝いが難しくなり、JB Lineを探してご連絡がありました。
ソーシャルワーカーである私が訪問し、何が必要か、何をしてほしいと思っておられるかを聞かせて頂きます。一方でご本人が気づいていないお一人暮らしの危険(住まいの安全性、医療面、認知など)を査定させて頂きます。田中さんの場合はたくさんの解決すべき課題がありました。既に一人暮らしが難しいことは明らかで、シニア施設への引っ越しが必要です。これらすべきことのリストの中で急ぐことから順番に、アメリカの行政、日系コミュニティのリソース、スタッフやボランティアさんのお手伝いを頂きながら一つ一つ進めます。
特に体が不自由な田中さんに合った施設を見つけるのは難しく、時間もかかりました。けれども面白いことは一生懸命努力するとどこからか誰かからか扉が開くのです。この不思議な感覚はアメリカだからでしょうか。最終的に田中さんに喜んでいただける施設が見つかり、引っ越し、家の中の全てを処分して管理会社にお返しして一つの大きな仕事が終わります。
そしてここからはボランティアの方が定期的に田中さんを訪問し日本語でのおしゃべりを楽しんでくれます。シニアの方から大変喜ばれるJB Lineの支援です。ソーシャルワーカーとして法的代理人になっている私も家族の代わりになって田中さんを定期的に訪問します。安全な施設で冗談を言うことで笑顔になる田中さんとのひと時を大切にしています。
◆ボランティアの存在
JB Lineの活動はボランティアの方に支えられています。殆どの活動が純粋にボランティアで行われています。皆さん素晴らしい知識や専門性、そして人柄をお持ちなので、そのおかげでこの11年驚くほど多くの支援やまとまった情報を提供することができ、感謝でいっぱいです。
海外生活の中で当たり前のように起こる困難ですが、こうした温かいボランティアの方の支えで共に乗り越えていけることは素晴らしいと思います。誰もがお互いにできるお手伝いを周りの方にできれば世の中は温かいものになると思います。私自身もいつも周りの方に助けられてばかりです。
上記の他にJB Lineではボランティアの皆さんと共に、以下の支援にも取り組んでいます。
*国際離婚のサポート
国際的な行き来が増え(COVID19で減ったものの)国際結婚をされる方が増えた結果、国際離婚も増えました。お子さんを抱えての国際離婚は特に大変です。そうした方々の相談を随時受け付けていますが、その難しさに当事者の皆さんと頭を抱えることもしばしばです。海外で生活を立てるのはそれでなくても大変で、家族や親戚のサポートがない中、シングルペアレントとして子育てをする方の苦労は計り知れません。
苦労を代われないものの一緒に伴走するのが私たちの仕事です。ニューイングランド6州を越えてアメリカ全土から、時には日本からも相談が届きます。特に米国の離婚は裁判所の介入が必要であるため、日本人には不慣れな弁護士を雇う必要もあります。最近ウェブに国際離婚のプロセスを詳細にまとめました。→
https://www.jbline.org/useful-info/family/divorce
*医療と健康保険
アメリカの医療そして健康保険は日本に比べ大変に複雑です。JB Lineに相談を頂くのが一番多いのは健康保険かもしれません。
*アウトリーチ
相談ではなく、こちらからコミュニティに提供する支援をアウトリーチと呼び、その中心はセミナーです。ワクチンのセミナー、老後のセミナー、教育など自分たちで、あるいは講師を招いて行います。またCOVID19蔓延時の孤独感を解消するためのZoomでのラジオ体操も2年近く行いました。傾聴のプログラムも喜ばれています。
◆最後に
作家の司馬遼太郎さんが『アメリカ素描』というご本の中で、「人間は体力が衰えると、カイコがマユの中に入るように自分の文化にくるまりたくなる。」と書いておられます。若く元気な時は海外での暮らしは刺激があり楽しいものですが、体力が衰えると決して楽なものではないと思います。けれども誰もが文化のルーツである日本に帰ることができるわけではなく、また若く元気な時も問題は起こります。
カイコのマユになれるかはわかりませんが、問題が起こって不安にさいなまれる時にも少しでも自分の文化にくるまって温かく感じていただけるような支援を提供したいと思います。
夫の帯同による渡米がそのまま家族で永住へと移行した私ですが、これからも海外で多くの素晴らしい団体、人々と協力していきたい、そしてJB Lineの活動が形が変化しても続いていくようにこれからも前進していきたいと考えています。
JB Line : https://www.jbline.org/home
LB Lineについて: https://www.jbline.org/aboutus
お役立ち情報: https://www.jbline.org/useful-info