はじまして。真野あやみと共に生きている「永遠」と書いて「とわ」と言います。年齢は8歳なのですが、以前のエッセイにもあるようにオリジナル人格のあやみさんが「お花に語りかけると、お花から返事があるんだ!」とオリジナルはそう思っていたみたいですが、実際に語り返していたのは私でした。オリジナルは私の存在を知らない、けど人格で住む私はオリジナル人格の存在を知っている。

いつもは、オリジナルと呼ばずに「本人」という言い方をしていますが、今回少しでも分かりやすいように「オリジナル」という書き方をさせて頂きます。また「主人格・名前・彼女」と言い方が異なることも少なくありません。

生きる権利

今、通院している医師が「解離性同一性障害」と診断してくれたおかげで、私は再度この世界の空気を吸うことができました。合間をみて外に出ることはありましたが、過去の支援で絶望を抱えてしまい、人格である私も社会が凄く怖かったです。ですが、「解離性人格障害なんですよ」と聞こえた時は、「もしかすると理解してくれるかも!勇気だそう!」と思ってオリジナルと何とか交代をして「ここ、何処ですか?」と。支援してくれている人に聞きました。この言葉が再スタートのはじまりだと私は思っています。

18歳は法の壁で縛られ、一度バッドエンドを迎えたわけですが、オリジナルも解離のことすら知らなかった。私たち中にいる人格の中には、「怖い、人を信用したくない」「人を頼ると危険だ」「外に出たら加害してくる人もいるから家だけでいい」そんな恐怖と戦う人格たちの声は頭が割れそうなほどの痛みで、耐えることが苦しかったです。何とも言えないこの感情?は何なのか。 様々なつながりを持たせてもらったり、一緒に戦ってくれたり「生きる権利」をやっと掴むことができ、「朝まで眠ることができて、邪魔(実父)もなくて朝までベッドでゴロンとできる生活…幸せすぎる」と言った人格もいたし、「ここは聖域だ!」と叫んだ人格もいました。

話す権利をくれない大人たち

今回は、よく「当事者が語るとか、大丈夫?」「するなら回復してからやったほうがいい」と言われることは結構あります。しかし、何かをしたいという気持ち、その気持ちがやりがいにもなり、回復にも繋がっている。生きていてよかったと思う時が、研修をしていくなかでとても感じます。皆さんと出会えることが私にとって、とても嬉しいことだからです。

今までとてもつらい人生経験をしてから「ゆっくり休んだらいいのよ」「何もしなくていい。もう、そんなところ抜け出して、これからの人生楽しんだらいい」と言ってくれる大人は多数います。
オリジナルは「人は切磋琢磨して生きていく。一期一会に感謝する生き方をしよう」7歳前後で、その言葉を知識としてではなく、行動できる人間になりたいと言っていました。言葉だけではなくストン!と身体と心が納得いくまで。そういう姿や努力を知っている人格はオリジナル人格のことが大好きです。過去の友人たちに「そんな天使みたいなのいる?何か裏がありそうで怖いって最初思っていたけど、ずっと変わらない。本当にそんな人がいるってことを人生ではじめて知りました」と。

私自信も研修をこれまで何回かしてきましたが、気付く点がありました。人にとっては私がこの言葉を使うことに抵抗のある方がおられたら申し訳ありません。

スラム街で生きてきた私たち(想像しながら読んでください)

オリジナルが生きた街はスラム街。靴も履けないし、買うお金もない。夜な夜な危険な山を登っては体に傷がつく。資金面を何とかしてパンを食べないと死んでしまう。その幼い少女は行きたくないのに、他の家族は実家に居続けるのに対し、知らない男性に手をとられて知らない街に連れていかれました。実家とは全く異なっており、家族と離れるのは寂しいけど、今日からここに住める喜びもありました。
しかし、嫁いだ先で知らない人から何度も何度も性暴力に遭い、他の家族から掃除をすること、言葉もきっとその少女の胸に痛みを感じなくなる程つらい内容でした。階段の下で寝ている方がいいと思うこともありました。
でも、一番は何がしたい?両親の元に帰ること?
夜中、飛び出して実家に戻るけれど、両親はその少女が帰ってくるのを拒みました。娘をお金に換えたのだから急いで嫁いだ先に戻ってもらわないと、生計がたてられないどころか、全額返金しなくてはならない。少女は愛のある養育者が欲しかった。少女は誰にも見つからないように身を隠しながら、なんとかこのスラム街の外に行きたいと思うようになりました。
もう暗いはずなのに、灯りのある方に走ってその場を見に行きました。すると、灯りは子どもを車の乗せて人身売買を行っている車の灯りでした。身体が固まってしまい動けないし助けも呼べない。

少女は更に自分が着ている服をギュっと肌に押し付けるように掴んで、嫁ぎ先の性暴力のことが浮かびます。痛みはこれまでの虐待を連想させるもの。笑顔で過ごしている家族の姿が浮かぶのですが、「私の家は何処なの…」とたった一人でスラム街の夜を過ごしていました。少女の目はまるで何が起きたかを語りたいけど言葉にできない。キラキラ輝く目は日に日に暗く染まっていきました。

次第に灯りが見えても反応することもなくなりました。働くエネルギーになる食べ物はないし、空腹を感じないのです。少女は自分で思うのです。
「私もあの子みたいに誰にも抱きしめてもらうことなく死ぬのかな…。もうダメかもしれない。でも、売られたくない」そう考えて目を閉じようとすると眩しいほどの灯りが見えました。
少女は「売られる」と思いました。相手がつけているライトで少女は見つかってしまい、「いやだ」「売られたくない」と必死で叫びました。
すると、少女を抱っこしながら連れて行ってくれる男性が、「売られる?おじさんたちは君たちを売ることはしない。学校に行きたいなら行ってもいいし、何か音楽でもやりたいかい?」と。少女の脳内で無数の感情が張り裂けそうになります。車に乗せられ運ばれているのは少女とあと2人の兄弟。「やっぱり売られるんだ…」急に孤独感があらわれ「もう生きる意味もないのね、私には。でも、最後にお母さん手料理が食べたい。食べたい…」
「着いたよ」と眩しい光が差し込んでいました。「おじさんたちは嘘をつかないよ。ここは学校。好きなことをみんなと学べる場所なんだよ」
少女はきょとんとした顔で、「違う…」。少女に寄り添って話を聞く大人たち。「違うって何が違うのかな?」と女性支援員に尋ねられ、少女は「…私のような子どもはまだあの 街にたくさんいるの。みんなここに連れてきたい」
「まずはお風呂に入ったほうがいいわね」とシャワー室に連れて行くのですが、「ここにいると気持ち悪いと感じてしまう」「どうしてなのかな?」「あの車に乗っていた兄弟は元気なの?」 「ええ、元気にサッカーをしたりしているわよ」と支援員。
「私…お父さんやお母さんにも認めてもらえなくて、家族みんな自分が働いた分でご飯を材料を買ったりしていた食べてた。仕事ばかりで絵本も読んでもらえなかった。お歌も歌ってくれなかった。夜になると隣の家は私よりも小さい子がいて、そのお母さんはその子に優しいふんわりとした声で歌ったりして。私もそのお母さんの歌を聞いていた。でもある日、隣の家族は引っ越したの。あれは引っ越しではなくって、何処か危険なところよ」その後、死体で見つかったって聞いて。隣に住んでいたのに気づけなかった。ここに連れてきたかった」
少女は涙を浮かべながら「私はスラム街に戻りたい」突然そう言いだし違う支援員は事情を聴きました。 「私はただ運がよかっただけ。スラム街では今でも危険なところに行かされて命を落とす子もいる。何人も見てきたの」「あなたはそこから出られるパワーがあったの。だから今こうして勉強したり遊んだりできているじゃない?自分を信じて」笑顔で答える支援員。「ううん。私はスラム街の子たちを危険なところから守って、苦しんでいる子がいたら病院に連れていって、勉強したかったらここに来て」 そういう少女に支援員は「痛みを知ったからわかるのね。でも、まずはあなたが幸せじゃないといけない」
「幸せって誰のものさしではかるの?スラム街にいた頃は私は10cmだった。けど、ここにきて、苦しんでいる人がいるのを知って、私は見過ごしたくない。大人からしたら社会ってそんなもんなのだ!って言うかもしれない。私たちの命をどうか対等に見てほしい。対等と思えないから後回しにしたり、いろんな暴力が起きる。救える命を私は救いたい。それっておかしいの?」
「ううん、何もおかしくない。正しいこと。でも、私たちにも限界があったりするの」少女の目はずっと下を向いたまま。今、涙を見せるのではなくって、どうしたら救える?どうしたらその子たちと…」
「共に生きたい・寄り添いたい」
「居なくなった!」少女は深夜前に飛び出し、スラム街に帰ろうと必死で走った。汗なのか涙なのかは分からない。
「きっとスラムね!」
少女が着くよりも先に車が到着しました。「あ、あそこにいる」と支援員がその少女に声をかけるのではなく、少女の後をついていきました。
少女は支援員が付しろからついてきていることは気付いていました。振り返り、支援員にこう言いました。
「ここが私が暮らしていた街。小さな街よ。私たちはここに隠れて生きてきた。いつお空に連れて行ってくれるのかって夜空に反抗した。私はつい最近までは、1日でもはやくキラキラしたお星さまになりたい。お星さまになって困っている子に光を届けたい。その光は生きるための光。私にとって、この子たちは全員ファミリーなの。支援員さんは私とこの子たちを引きはがしたい?」
「あっちにも私のファミリーが住んでいるの」と言いかけて少女は石段に座り、やせ細った少年を抱きかかえました。「この子…もう少し前だったら助かっていた?どんな環境に生まれても、どんな姿で生まれても、私たちはヒトという動物。お金があれば確かに便利。好きなものだって買える。大学を出たら海外にも行けたりするらしいね。お金の前に大 切なのは…私は【心】だと思う。大人たちが、命の大切さを分かっていない。私は教育する場所がもっと必要だと思う。雨も降るから屋根もいる。風の音が大きいと窓がないとせっかくの授業が聞こえない。自分自身を守るための教育も必要よ。私は助けたい!とかそういうことじゃなくって、人間として生きることを、【すべての人に生きる権利が欲しい まずはその権利がほしい。そして周囲の冷たい大人たちにも知ってほしい。私たちも同じ人間なのだと」

【少女は夜明けに夢をみる】

今、あなたの心にはどんな星が見えますか?私たちは【真野あやみ】というオリジナルの中にいる人格。真野あやみの中に私たち人格は生きている。 スラム街には実際行ったことはないけど、海外の貧しい町には仕事で生きました。切磋琢磨しながら生きようとする子どもたちの目はオリジナルも言っていたけど「あの目は忘れられない。あの輝きを守りたいよね」と。

虐待の後遺症もあったりして、解離性同一性障害であることをオリジナルが自覚し、研修するなかで「DID を知らない人が多い。これは、あまりにもショックでした。オリジナルは子どもの頃から心身共にSOSを出していました。過去のエッセイにも書いているので、子どもの心と命を守りたいという活動されている方にも、ぜひ読んで頂けたらと思います。

「エッセイ書いてしんどくない?」と直接聞きに来る方もいたりしますが、正直に答えると、今までのエッセイでも何回も嘔吐したり、何時間も人間ではないような涙と声が出ますし、でも私たちは立ち上がる力を持っていると信じています。砕けそうな時は鏡を見ながら、「虐待をなくしたい。がんばれ、私」と立ち上がります。

国境を超えても暴力は悲しいことに存在します。「少女は夜明けに夢をみる」という貧困や虐待といった過酷な境遇を生き抜いて少女たち。暴力を受けるのに耐えられず犯罪をしてしまった少女のことも描かれています。
ドキュメンタリー映画です。 映画『少女は夜明けに夢をみる』オフィシャルサイト
国境を越えても虐待も性暴力も存在する。感情すらも手放してしまうような出来事を傍観者のひとりにはなってほしくない。そういう願いがあなたの心に届きますように。

当事者として「生きる権利」「生きられる場所」が全国各地にもっと必要だと感じています。

真野あやみと共に生きてきた永遠8歳より