【性虐待の後遺症を語る】

まだ紅葉には早いですが、朝晩は冷えますね。皆さんはお元気ですか?

前回は8才の永遠ちゃんが書いてくれていましたが、今回は虐待のある実家に帰った私について書いていこうと思います。
ハーブティーでも、お好きなドリンクを片手に読んでください。

虐待のある家庭に戻った私ですが、親は私が東京に逃げる前と変わらず。変わらないどころか、虐待は悪化していきました。とくに性虐待の頻度は増え、目が覚めると全裸姿の自分がいることも。
何か方法はないのかと法律を調べたりもしました。
民法834条に記載されている「子の親族か検察官の請求によって、家庭裁判所はその親権の喪失を宣告することがきる」
2004年の児童福祉法改正では親権喪失の請求をする本人である「児童」を「児童または児童以外の満20歳に満たない者」という表現に変更されたが、児童相談所は18歳未満の児童に対して保護する制度を持つ。18歳を超えると親が持つ親権喪失の相談に児童相談所は対応できないといった壁がありました。

【絶望を感じた先に待っているもの】

昨年、私を一時的に保護してくれていた長田美穂さんが私のことを「記事にしていた」ということを当時お世話になっていた方から教えて頂き、探した結果その記事を見つけることができました。一部を除いては事実が描かれ、専門家の意見も掲載されていました。私は強く親権喪失を願っていましたし、父親とも対決したいとも思っていました。記事を読んだ私は「怒り」を感じ、私のトラウマとして今も残っている出来事があり、そのことを思いだすだけで今でも寝込んでしまいます。寝込むだけではなく食事もとれず、嘔吐してしまう。
信じていた人から思いがけない言動をされること。それがどれほど深い傷として残るのか。
「失敗は成功の源」という言葉がありますが、この件に関しての失敗は許されないものであり、壊れた(ブレイク)ものは修復(リペア)をしなくてはならないものなのですが、リペア作業は全くなくブレイクばかりの逃亡生活でした。

もう「絶望」しか感じない私は、知らない間にベランダから飛び降りていたり、首を吊ろうとしたりしました。まるで脳が何も機能しない状態となりました。
以前から絶望感や自殺未遂は何度もありましたが、今回のように脳が機能していない状態になったきっかけは望まない妊娠でした。父親なのか違う人なのか。違法中絶を強要された私はそのことも記憶をとばし、感情も無感情となり、生きているのか分からない状態となりました。しかし、私の身体には「危険、逃げろ」というのが長田さんのおかげで刻まれ、再度東京に行くことにしました。

【再び東京へ行き、性暴力を受ける】

何故、東京に行けたのか。理由はあるのですが割愛させて頂きます。
東京にて一人暮らしがスタートしました。
しかし、私はそこでもまた性暴力被害に遭います。
母親に「マンションのオーナーの息子が部屋に入ってくるようになった…」と電話で告げ、「そうなんだ」と。「お母さんが、娘をお願いしますって言ったことで勘違いしているみたいで、私のことを彼女扱いしてくる」と言いましたが何か助けてくれるわけもなく、「鍵だけはしっかりしめときなさい」と言われたのですが、オーナーの息子なのでマスターキーを持っており、鍵を閉めても意味がない。
チェーンをしても簡単に部屋に入ってこられ、部屋にいる時間はどんどん長くなり、私の日常の行動を追ってきて、最終的には性暴力がはじまりました。
警察に相談することは全く眼中になく、東京でお世話になっている方からの電話があり私はそこで「こういうことがあって外に出られない」ということを告げました。直ぐに警備会社に連絡をとってくれて「必要なものを持って、暫くはホテルで寝泊まりしよう。リラックスできるように音楽とかは持って出たらいいと思うし、好きなものとか持ってきてもいいよ」と警備会社の人が迎えにきてくれて、数日間ですがホテルにて保護されました。
私ではなく、警備会社の方が警察に掛け合い、被害届けは受理され捜査がはじまりましたが、「精神疾患で登録されていて、前も似たようなことをしたという話はあった」と聞かされた私ですが「何がですか?」と答えたようで、事件化するのは難しいということで一時的に証拠を警察署にて保管という形になりました。
その後、新幹線に乗って実家に帰ることになったというのは覚えています。ホームに警備会社の人が心配そうに立つ姿。ゆっくりと動き出す新幹線。書いている今、何故この気持ちがあるのか分かりません。
父親と同年齢くらいの男性に対し「この人が私のお父さんだったら私は幸せだったかもしれない」と。自然と涙が頬を伝った記憶があります。

実家に帰った私は暫く自室で寝込みました。17歳の時から睡眠薬を処方してもらっていたのですが、それも効かない。
「何処でもいいから!入院できるとこ探してよ!」と大声で怒鳴った記憶があります。
何度も何度も大声で叫ぶ私。そして、私ははじめての精神科に入院することになりました。

【精神科へ入院】

牢屋のような空間。トイレも人権などない。壁にはたくさんの悲鳴の言葉がかかれ、爪でひっかいた跡が沢山。「出せー」と叫ぶ声。
「真野さん、ごめんね。最初はこの部屋に入ってもらうことが規則であって。3日くらい経てばここを出られると思うから」と優しい口調の男性の看護師。
休息ということで、睡眠薬や抗うつ剤を沢山処方され、フラフラして起き上がることもできない。
「真野さん、お部屋うつろうか」
そう言われ、私はナースステーションの中にある個室に入ることになりました。白くて清潔感のある部屋。今までいた牢屋とは全く違う。人として生きることを許されるような部屋。罪を犯したわけでないのに牢屋のような部屋に閉じ込められ、監視される日常。
個室にうつった私は今までのように、ずっと寝て過ごし、聞こえるのは看護師や医師の声。
徐々にその部屋から出る時間が作られ、外の空間にならしていく。
再び部屋がうつり、監視カメラのある個室に入ることになりました。
「真野さんは何も悪くない。ここに入院している人たちとは違う。だからなるべく早くここを退院してほしいって僕は思っている。ここにいる必要は全くない」とシーツ交換の時に言われた言葉です。 「真野さんに謝ることがある。話してもいい?」と言って私と目線が同じ位置になるようにしゃがんで話しだす看護師。
「病棟をうつらないといけないことになった。真野さんの担当を外れることになってしまって、最後まで寄り添うことができなくなった。けど、僕が信頼している看護師の〇〇さんにしてほしいとは伝えた。でも、そうなるとは限らないけど…」
その人が去った後、担当看護師は聞いていた名前の人でした。凄く優しい女性でした。

暫くして、家族との面会が許されました。母親が来て「あんた、妊娠してたらどうするの?」と言う母。その時の私は理解が出来ず「妊娠?何のこと?私はそういう行為をしたことないよ?でも、赤ちゃんがいるなら命は大切だから生みたい」と伝えました。
その後は「あの布団高かったのに、警察が保管していて返すことはできないって言うし」「なぜ私が怒られないといけないのか意味が分からない!」という母親。理由を聞くと「真野さんの家庭が間違っている!娘さんの気持ちを理解しようとしてこなかったお母さんに責任があると言われた。私のどこが悪いわけ?」と怒鳴り泣き散らす母親。
無感情の私はベッドに腰をかけ、母親を見ている。看護師が部屋に入ってきて、母親を部屋から連れ出して「今日は帰ってください」という言葉が耳に入ってきました。
その後、私は合計で3回入院しました。

【過去を教えてくれるパーツ(人格)たち】

正直なところ、私は記憶が抜け落ちています。今から1年前に「あなたは解離性同一性障害です」と診断されて2か月間「そんなことはない」と否定してきましたが、自分の中にいる自分ではない誰かがいること。友人に「私っておかしい時ある?」と聞いたりしました。「あるよ!あれ?さっきまでと全然違う。何か憑依でもした?って思っていた」と言われたこと。クローゼットにかかっている自分好みではない洋服があること。
2カ月経って「自分は解離性同一性障害(DID)なのだ」と受け入れました。

【愛おしい存在の中の子たち】

連続エッセイで私は自分の経験を書いていますが、記憶のない出来事が多くあります。
今は内部の子たちとある程度はコミュニケーションをとることができ、エッセイを書いています。「出来事を出来事として伝えてくれる子」もいれば、「出来事に感情を混めて伝えてくれる子」もいます。感情をもつ子の話を聞くと私も耐えることができず、何もできない日があったりします。出来事だけでも壮絶で、聞くこともイヤとなることもあります。
しかし、耐えがたい出来事を私の代わりに引き受けてきた子たち。
私たちは「統合」ではなく「システム」として「チーム」として、この先の人生を生きて行こうと思いました。
なかには「統合されるなら私は消えちゃう。人格だと言われても一人の人間として生きてきたのに消えなくちゃいけないの?」と思う子もいましたが、今は統合ではなくシステムとして生きていくという方法があるということを聞き「ホッとした。消えなくていいんだ!」と喜びを感じている子もいます。

身体はひとつなのに、私の中にはたくさんの子がいる。私が書いたものもあれば、私の中の子たちが書いたものもあります。

フラッシュバックでしんどい時、自分自身を見つめなおす時、ありのままの自分を知る時。
手をつないで歩いている親子や楽しい会話をしている家族を見ると、「いいな…」って思うことはあります。しかし、望んでもそのような家庭ではないですし、例え家族で外食する時も偽りの顔をもった家族。外面のいい親に合わせて自分まで偽りの姿になる。
自分自身に嘘をつくことになると、ふとした時に自分を責めてしまう。様々な苦しみがループします。しかし、今は一人暮らしをしながら支援員の方や外部の方と交流していくことで、少しずつではありますが「私」を感じられる瞬間もできてきましたし、感覚も感じるようになってきたりして、「これが生きているってことか」って思うこともでき、辛い涙もあれば嬉しい涙もあるということ。大人になってからでも腹側迷走神経を育てていくこと。閉ざされた右脳を使って、感情をキャッチすること。

私と同じように不健全な環境で育って大人になって苦しんでいる方は沢山いると思います。
子どもの人権が守られていない日本社会なので、想像以上におられると私は思っています。

私は研修を通して、解離性同一性障害のこと、虐待の後遺症のこと、性虐待の後遺症のことを伝えていっています。私の中の子たちが凄く頑張って作ったパワーポイント。
前回のエッセイで8才の永遠ちゃんという子。8才とは思えない能力をもち、研修を行なっています。私とは比較にならないスキルを持っている子だと私は思って、永遠ちゃんをみています。私には子どもはいませんが、私の中の子たちを見ていると、何だか母親の気分になったりすることもあります。

虐待や性暴力は家庭の問題ではなく、社会の問題であり、児童養護施設出身の方も適切なケアを受けることなく18歳になったからといって追い出され「自分たちが帰る場所はない」と感じたり、心が癒えることもなく二次被害を受けたり。自分たちとは同じ経験をしてほしくないという思いで、社会に訴えている方もいます。

私もこれから先も被虐待者として、これからも社会に伝えていきます。

来月はクリスマスの月ですね。子どもたちの願いが届くことを心から願っています。
大人の皆さんにも幸せが訪れますように。
今月は私たちの中の子がとても癒され、大好きな絵本をご紹介させてください。

きみのことが だいすき

著者:いぬい さえこ

パイインターナショナル( 2022/02/14 )

12月、またここでお会いしましょう。